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第4章 優しさの摩耗

「この調子で、毎日負荷をかけ過ぎないように。具合が悪くなったらいつでも電話してきてください」 「はい」 「薬は前回と同じのを出しておきますね」 「ありがとうございました」  静かに診察室の引き戸を閉めてから、ほっと息をついた。  今月の診察も無事に終わった。  帰りのバスに乗る直前にカーディガンを羽織った。夏のバスは寒い。揺られながら考える。夕飯は何だったら食べられそうだろう……。  軽く済ませてしまいたいのが本音だけれど、そろそろお惣菜だっていいからある程度食べておいたほうがいいことを経験上わかっている。  バスを降りて少し歩き、家の最寄りのスーパーに入った。  通院で疲れたのもあり、今日は店内のBGMさえ頭に刺さってくる。  ……早くここから抜け出したい。  お菓子売り場を通り抜けて行こうとしたその時だった。 「こんにちは」  この間診察券を届けてくれた店員さんがいた。ぼんやりしていて、全然見えていなかった。何も返せないでいると、 「お茶、いただきました。ごちそうさまでした」 「……とんでもないです」  途端、頭がざわざわしてきた。  診察券には、「メンタルクリニック」とくっきり書かれてあった。何かそのことで聞かれたらどうしよう。詮索されるのはもちろんのこと、調子を心配されるのも嫌だ。  指先が小さく震える。今自分がどんな顔をしているのかわからない。   「この飴、おいしいんです」  筒井さんが、微笑みながら僕にレモンミルク味の飴を見せてくる。そしてそれを自分の買い物カゴに入れる。  思わず小さく口を開けてしまう。僕のそんな調子をまるで気にしていない感じに、彼は笑みを崩さずこちらを見てから、スッと去っていった。  ……たんぽぽの色。れんげの花、風に揺れるシロツメグサ。  春のにおいがした。  僕はそっと、同じ飴をカゴに入れた。  目が覚めると、部屋が暗い。洗濯物を畳みながら、床で寝落ちてしまっていた。  ため息が重い。体も重い。5分ほど床に突っ伏してから、のそのそと上体を起こす。  カーテンは朝から閉めっぱなしだった。ゆっくりと立ち上がり、電気を付けると眩しくて思わず顔を顰める。  ……両肩を何かに押さえられている感じ。この感じは知ってる。具合が悪くなる兆候。今日は眠る前に頓服も合わせて飲んだ方がいいと思った。  夕飯と服薬を済ませると、また床に寝そべった。横になっても苦しさからは解放されない。じわじわと重苦しさがのしかかり、心に黒い膜が張っているような、このまままた底に沈んでいってしまいそうな、言いようのない不快感が襲ってくる。  その時、床に置いたままだったエコバッグの中に、まだ何か入っていることに気がついた。  ……飴だ。レモンミルク味の。  手を伸ばして袋を手繰り寄せ、封を切った。ひとつ取り出し、包装を開けて、口に入れる。  ……甘い。  筒井さんの、細めた目の感じを思い出した。  穏やかな佇まい。  スーパーでキビキビと働く姿。  仕事と生活を、服薬でなんとかこなしている僕とは違うように見える人。  なのに、筒井さんの静かな笑顔がふわふわと僕を揺らす。    きっと今の僕は疲れ過ぎてる。早くベッドに入ってしまいたい。  ……だけど、口の中の飴の甘さが、じんわりと張り付いて消えてくれそうになかった。

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