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第6章 恋じゃないと言い聞かせる

「ここから歩いて7分ほどのところに、新しく喫茶店ができたらしいですよ」  正午を少し過ぎたスーパーのお菓子売り場。何を言われたのか一瞬わからず、ポカンとしてしまった僕に、筒井さんはポケットのスマホを操作して見せてくれる。 「長年の夢を叶える形で、オープンさせたんですって」  スマホにはあたたかな雰囲気の喫茶店の外観と、マスターの言葉が映っていた。   「そこ、行きませんか?」  反射的に誘ってしまった。  だんだん顔が熱くなってくる。指先が小さく震える。筒井さんの目が見れなくなって、つい下を向いてしまう。   「行きましょう」  おそるおそる顔を上げると、筒井さんはその声と同じやわらかさで微笑んでいた。  家に帰り着いて荷物をおろすと、頭を抱えたくなった。  どうして誘ってしまったんだろう……。普段の僕なら、一歩立ち止まって引くところだったのに。  笑ってくれたけど、本当は迷惑だったんじゃないだろうか。店員と常連客だから、断れなかったとかじゃないだろうか。  考えてしまってから首を振った。あの笑顔の裏で、そんなことを考えていたと思いたくなかった。  さっきより空が曇ってきている。今すぐ降り出しそうな感じはないけれど、淡い灰色の、厚い雲。  洗濯物を取り込みながらふと思った。  あの日も、こんな空をしていた。  小学生の頃、一度だけ高熱を出した。父も母も、仕事が忙しい時期だった。  窓から見えるのは、淡い灰色。  ベッドサイドには、僕の好きないちごとうさぎ型のりんご。  仕事を1日休んでくれた母に、 「ごめんなさい」と言うと、 「何言ってるの」と頭を撫でてくれた。  窓を閉めると同時に、その記憶はゆるゆると溶けていった。  夜、布団に入って目を閉じると、昼間の筒井さんの笑顔が浮かんだ。「行きましょう」、ふわりと包み込まれるような声が頭に淡く響く。  ……恋じゃない。  寝返りを打って、目をギュッと瞑る。  その日はなかなか寝付けなかった。

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