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春爛漫(3)
二人の会話は警告だった。
犀星が着物の上から玲陽の体をまさぐった。そっと手を下ろし、玲陽の帯に結えてある刀の鍔を音を立てずに押し上げた。
犀星の手を追って、玲陽が刀の柄に触れた瞬間、黒い影が二人の視界の隅を横切った。
庭に放置していた去年の枯葉が、ガサリと音を立てた。
空気を切り裂き、刀が振り下ろされた。二人はすでに、そこにはいなかった。一太刀の間合いに入らぬよう、距離を取って左右に飛び退き、影を見据えて構えていた。
「何者?」
玲陽が声を張った。
「玲親王と知っての狼藉ですか!」
布で顔の下半分を隠した男が、無言で犀星に飛びかかった。
玲陽の動きは素早かった。一息に間合いを詰め、男の背後から刀を閃かせた。春の月が一瞬赤く染まる。
犀星の目の前で、侵入者の男は刀を取り落とし、膝をついた。背中に負わされた傷は的確に急所を断ち、腕が上がらなくなっていた。
「兄様、不用心にも程があります。太刀も持たず、夜の庭に出てきたんですか?」
玲陽は、慣れた動きで刀の血を払った。
「陽が持っていたから、大丈夫だと思った」
犀星は、真顔で答え、男の刀を蹴って退けた。襟首を掴んで引き立たせ、顔を覆っていた布を剥ぎ取ると、口の中に詰め込む。舌を噛みきれないよう、先手を打つ。
その間に、玲陽が男の腕を後ろに捻り、帯で縛った。
「足の筋を切られたくなければ、大人しくしていろ」
犀星は男の髪紐を解いて、布を吐き出させぬよう、轡をかけた。
「どこの手合いですか?」
「俺の知り合いじゃない」
犀星はじっと、男の顔を見て言った。
「だが、相当だな。体から血の匂いがする」
「偶然の盗人、というわけではないですね……」
「おそらく……」
刺客。
過去にも、犀星が命を狙われたことは幾度かあった。玲陽が都へ来る前の話である。
と、裏門の方から、こちらへ、駆け込んでくる足音がした。
犀星は長くため息をつくと、首を振った。
「随分と客の多い夜だ」
「親王! 無事か!」
「こちらだ」
聞き覚えのある声を、犀星は自ら呼び寄せた。姿を見せたのは、蓮章だ。
「殺してないだろうな!」
蓮章の鋭い目が犀星と男を見比べた。
「それは、どっちに言っている?」
犀星は、蓮章の前に男を放り出した。
「どっちも、だ」
状況を把握して、蓮章は
蓮章は珍しく地味な格好だった。濃茶の着物に、音が立たない軽装の皮の鎧を身につけていた。明らかに、夜に動く出立ちだ。
「涼景様は?」
玲陽が蓮章の後ろを見た。
「いや、俺一人だ」
蓮章は首を振った。悔しげに自分を見上げている男を見て、苦笑を漏らした。
「陽が優しくてよかったな。俺だったら、あと一寸、深く斬っている」
犀星が首を傾げた。
「蓮章、知り合いか?」
「こいつの身柄、預からせてもらう。何も言わずに引き渡してくれ」
「そうはいきません」
玲陽が、刀を手にしたまま、蓮章を睨みつけた。
その眼差しには、明らかな殺気がある。さしもの蓮章も、怒りを抱えた玲陽には弱い。
「兄様に手出しする者を、私が許すとお思いか?」
蓮章は助けを求めるように犀星を見た。
だが、犀星も真顔のまま、見返すだけだ。その感情の読み取れない静かな目は、玲陽と再会する前を思い出させた。
「仕方ないな」
蓮章は男を見下ろした。
男が激しく首を振った。
刀を抜こうとした蓮章の手を、犀星が抑えた。
「この者は生かす」
「親王? だが……」
「私が見逃さないと言ったのは、あなたも同じですよ、蓮章様」
玲陽は、感情の無い声で言いながら、蓮章を見据えていた。
「ここで口封じなんて、させません。そうでなければ、最初から私が殺しています」
「……だ、そうだ」
犀星が蓮章の手を放す。
ただ、握られていただけだというのに、蓮章の手首には犀星の手の跡がくっきりと残っている。
舌打ちすると、蓮章は身体の緊張を緩めた。
「わかった! わかったから、二人とも、そう、角を立てるな」
「…………」
二人の意思に逆らってまで場を収めることは、蓮章には荷が重い。
「知っていることを、全て、話していただきましょうか?」
玲陽の視線は、並の刺客よりも凄みがあった。
蓮章はどうにか苦笑して、
「それ、こいつと俺、どっちに言っている?」
「両方に、です」
金色の目は本気だった。ひとたび火が付くと、玲陽を止められる者はいない。蓮章は肩をすくめた。
夜中に起こされ、空き部屋に横たえられた血だらけの男に引き合わされて、東雨はたまらず悲鳴を上げた。血や怪我を見るのが何より恐ろしい東雨には、とんだ災難だった。
そればかりか、すっかり油断して犀星の護衛を果たせなかったという失態が、余計に東雨を憂鬱にさせた。真っ青になっている東雨に、玲陽は微笑した。
「夜更けに、申し訳ありません。傷の手当を手伝っていただけますか?」
「はい……」
これ以上、役立たずになってたまるものか、と、東雨は精一杯に顔を上げたが、すっかり腰が引けていた。
男の傷を洗い、丁寧に薬草を当て、布を巻く。治療に当たる玲陽と東雨を横目に見ながら、蓮章はどこか、所在なさげだった。
「斬ったり、手当したり、忙しいな」
「こんなことになるなら、峰打ちにしておくんでした」
蓮章にはにこりともせず、玲陽は言った。
「事情を」
ぽつりと呟く犀星も、明らかに不機嫌だ。まるで、玲陽を得る前の歌仙親王に戻ったようである。
犀星は真顔で蓮章と真正面から対峙していた。こちらが言葉をためらうほどに、蒼い目には逃げ場のない光が宿っていた。
「納得できるように」
犀星はもう一言、追い詰めた。連章は余裕の笑みも消え失せ、横を向いた。
「…… 納得してもらえるかはわからないが、俺が知っている限りのことでよければ」
蓮章は観念した。
「こいつは、|易永《えきえい》。宮中を跋扈する汚れ役の下っ端だ」
「そんな人が、兄さまを狙ったと?」
止血の布を結びながら、玲陽は顔を上げず、
「随分、軽く見られたものですね」
「事情があるんだ」
いつになく覇気のない声で蓮章は言った。
「こいつは、半年前に拾われた新参だ。先日、四度目に縄をかけたとき、足抜けしたいと言ってきたんだ」
「四度って……」
東雨は思わず手を止め、悲しそうに呟いた。
「いくら何でも、捕まりすぎでしょう?」
蓮章もため息を漏らした。
「腕が悪いわけじゃない。ただ、損な役回りばかり押し付けられ、いいように捨て駒にされていたんだろう」
蓮章の表情には、うっすらと憐憫すら見られた。
「大方、上の連中に、親王を消したら抜けさせてやる、とでも吹き込まれたんだろうよ」
蓮章は腕を組んで、
「ここへ送り込めばどうなるかは知れている。暁も涼景もいる。第一、親王自身が剣術の使い手だ」
「何度も捉えられ、顔も覚えられて役に立たなくなった厄介者を、兄様に始末させようとしたってわけですか……」
玲陽が、薬湯を湯で溶きながら、撫然として言った。
易永は轡を噛んで苦しそうに頷いた。
「あの……蓮章様は、どうして何度も助けたんです?」
恐る恐る、東雨が尋ねた。
「四回も捕まえたのに、四回も逃した、ってことですよね?」
蓮章は声を沈めた。
「言っただろう? 奴らの尻拭いをさせられただけだと。第一、こいつひとり処分しても意味がない。この手のやからはいくらでも湧いてくる」
「答えになっていないな」
犀星が、小さく呟いた。
ああ、と、蓮章は諦めて首を振った。
「わかっている。俺が甘いって言いたいんだろ? そう責めるな」
「どんな人であれ、どんな事情があれ」
玲陽が、チラリと、蓮章を見た。
「もし、兄様に傷でもつけたら……」
強烈な視線を感じ、蓮章は玲陽から顔を背けた。それはある意味、生きるための正常な反応だったのかもしれない。
そばにいる無関係の東雨でさえ、玲陽の気迫に完全に圧倒されていた。涼景や蓮章とは違う意味で、玲陽もまた、修羅場をくぐってきている。秘めた凄みは、常人とは一線を画していた。こうなると、玲陽に容赦はなかった。
「蓮章様が情けで逃したりするから、この人は兄様を狙う羽目になりました。私も、見たくもない血を見なければなりません。この人も、必要ない怪我を負うことに……全部、蓮章様の判断の甘さからです」
蓮章は逃げるように姿勢をずらした。
逆鱗に触れる、とは、まさにこのことだった。
恐れるべきは、宝順よりも、玲陽の方だ。
そんな主人たちを見ながら、東雨は内心、複雑だった。
自分とて、犀星の身に何かあれば、怒りに狂うだろうが、玲陽は我を見失っている訳ではない。ただ、本当に怒らせてはならない人、というのは、いるのだ。しかも、すぐそばに。
犀星は微動だにせず、蓮章を見つめ、
「それで、これから、どうするつもりだ?」
「どうするって……」
蓮章は、犀星の感情の見えない顔の方が、玲陽の燃える眼差しよりは遥かにマシだと思いながら、
蓮章が蚊の泣くような声で、
「始末は俺がつける。どうせ逃しても、連中に消されるのを待つだけのこと。どちらにせよ、先はない」
「待ってください」
有無を言わさない玲陽の声が遮った。
「助けてください」
「え?」
蓮章は驚いて玲陽を振り返った。怒りは残っているものの、わずかにその波は引いていた。
「せっかく手当したのに、それも無駄にする気ですか?」
「いや、だが……」
「私が殺さないと選択したのです。生かして下さい」
ぴしゃりと叩きつけるような、玲陽の声が命じた。蓮章は顔を歪めた。
「無茶を言うな。親王を狙ったとなれば、いくら俺でも庇いきれない……」
「俺が許すと言ってもか?」
今度は、犀星が割って入った。
「一度は助けたのだろう? ならば、最後まで責任を持て」
蓮章は黙った。順に二人を見て、最後に東雨にまで顔を向けた。東雨は、諦めてください、と言わんばかりに肩をすくめた。
無理と無茶は、犀星と玲陽の常套手段である。
どうしてこうなった?
蓮章は頭を抱えた。恨めしげに易永を見たが、こちらもこちらで困り果てた顔である。
蓮章は観念した。
「次に暁隊が都の夜番になるまで待て。夜のうちに都を逃す……俺にできるのはそこまでだ」
「あの……」
東雨が、遠慮がちに口を挟んだ。
「そ、その……無事に都を出たとして、その後、逃げ切れるものなんでしょうか? 俺、色々脅され……聞かされてきましたけど、成功した話は聞いたことがないです。いつも連れ戻されて酷い目にあうって……」
「ああ……」
蓮章は口元を手で覆った。
「まぁ、失敗することは確かにある」
「それじゃ……」
東雨は、我がことのように震えた。
「東雨が言うように、十中八九、連れ戻される」
「それがわかっていて……」
玲陽は、治療を終えて、血で染まった手を桶の水で洗いながら、
「生かしてやる、ですか。そんな曖昧な約束、残酷です。希望など、一層、無い方がいい」
フッと、玲陽の気持ちが沈み込んだのを感じて、犀星が唐突に立ち上がった。
「蓮章、とりあえず、こいつは預かる。次の暁の都番はいつだ?」
「二日後だが……」
「では、その夜、迎えにきてくれ。それまで、易永はここで保護する。暁隊にも伝えろ」
「……伝えるって、これは俺の一存でやってることで、立場上……」
「やれ」
短く、王令が降った。
蓮章は大げさにため息をつき、首を振った。
身から出た錆、自業自得だった。
「わかった。だが、おまえたちも気をつけろ。易永を消しに来る奴らがいるかもしれない。甘く見るな」
蓮章は言い残して部屋を出ようとし、何かを感じて、玲陽を振り返った。
自分の腕を抱いて俯いている玲陽には、もう、殺気はなかった。だが、代わりに痛いほどの悲しみが溢れていた。
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