4 / 10
四年前 03 新入生歓迎会の罠
寮の自分の部屋を教えてもらった後、リュンクスはさっそくオナーと待ち合わせし、新入生歓迎会へ向かった。
食堂は塔の外にある二階建ての建物だ。二階はテラス席になっており、中庭にもテーブルとベンチを置いて洒落た造りの建物になっていた。
寮といい、食堂といい、すごくお金の掛かった建物だなぁ。
圧倒されているリュンクスに、オナーが興奮して話しかける。
「例の先輩は来てるかな。五年生に、貴石級を取得した人がいるそうなんだ」
「それって凄いの?」
「凄いよ! 学生なのに、霧氷の魔術師の二つ名で呼ばれているらしいよ!」
「へー」
オナーは力説した。
正直、どのくらいすごいのか、リュンクスにはよく分からない。
「オナー、話の途中でごめん。トイレって、どこ?」
それよりも、先に手洗いに行きたくなった。
「もう、リュンクスったら。トイレは右の通路の奥だよ。僕は、先に食堂に入ってるね」
「うん。また後で」
リュンクスは食堂手前でオナーと別れた。
すぐに済ませるつもりが、故郷と様式の違うトイレに戸惑い、少し時間が掛かってしまう。
用を済ませて外に出た時、食堂から出てきた上級生の集団とすれ違った。
「……なあノクト、ちょっとだけ、最初の挨拶だけでいいから」
「嫌だよ面倒くさい」
かすかに聞こえる会話は、誰かが誰かを引き留めているようだ。
「すみません」
リュンクスは頭を下げて、そそくさと、上級生の間を通り抜けた。
一瞬、冷たい風を感じた。
違和感を覚えたリュンクスだったが、友人になったばかりのオナーが待っていると、深く考えず、そのまま食堂に飛び込んだ。
その背中を、ノクトと呼ばれた上級生が見ていることに気付かなかった。
案内された席に座ると、空中を飛ぶ人形が、コップや皿を配膳する。魔術で人形を飛ばしているらしい。
各テーブルに上級生が数人付き、新入生に話し掛けて飲み物を勧めたり、学校の裏話を面白おかしく話して聞かせたりしていた。
「リュンクス君は、林檎ジュース? それとも紅茶?」
「林檎ジュースでお願いします」
上級生に勧められたジュースを一口飲んで、リュンクスは「薬が入ってる?」と思った。苦いような舌を刺す感覚がある。父親が薬草を扱っていたので、そういうことには敏感なのだ。
しかし、まさか上級生が毒薬を盛ってくる訳がない。
間違えて酒を混入したのだろうか。
「どうかした?」
「いえ……」
妙な味がすることは気にしないことにして、リュンクスは上級生に質問をした。
「先輩、ちょっと相談してもいいですか?」
近くに座っている上級生に声を掛ける。
その上級生は「なんだい?」と穏やかに聞き返してくる。
「俺、家の事情があって、最低限の魔術も知らないんですよ。皆に追い付いていけるか不安で……」
勇気を振り絞って打ち明けた。
上級生は、なぜか引きつった顔になった。
「そうなのか……助けてあげたいのは山々なんだけど、君は一番怖い先輩の予約済というか何というか」
「?」
「……なるようになる。強く生きろ、少年」
よく分からない流れで励まされた。
それにしても、先ほど飲んだジュースのせいだろうか。
体の調子がおかしい。
「ちょっと腹痛で抜けます。オナー、先に出る」
「お大事に、リュンクス」
オナーに断ってから席を立つ。
動悸が激しくて体が熱い。
寮の自分に割り当てられた部屋に帰っても、熱は収まらなかった。一人部屋で良かったと、リュンクスはベッドに寝転がって荒い息を吐く。誰かに弱っているところを見られたくない。
「くそぅ……」
腹の奥底の熱を直接散らしてほしい。内臓に手を入れて掻き回すような、そんな直接的な刺激が欲しかった。
「……ぁっ」
想像した途端に熱が上がって、ドクンと鼓動が高鳴る。
「俺、今何を想像した……?」
上かけ布団を目深にかぶり、息を殺す。
そのまま熱が冷めるのを待つ内に、いつの間にか朝になっていた。
翌朝、教室で、リュンクスは歓迎会のその後のことを、オナーに聞いてみた。
「俺は途中で抜けたけど、昨日はあれからどうだった?」
「おはよう、リュンクス。先輩と楽しく話をして、それっきりだよ」
「体に異常はない?」
「僕は元気だよ! リュンクスこそ大丈夫かい?」
オナーは何もなかったらしい。
苦しかったのは自分だけかと、リュンクスは肩透かしの気分だった。
「おはよう」
その時、カノンが登校してきた。
彼は真っ直ぐリュンクスに歩み寄り、親しげに挨拶してくる。
「昨日、何かあったか?」
カノンの黄金の瞳に見据えられて、リュンクスは昨夜の醜態が見透かされているように感じる。
「……何でもない」
咄嗟に誤魔化した。
「そうか。だが何かあったら言ってほしい。俺にしか理解できない事もあるだろうから」
どういう意味だろう。
謎めいた言葉を残し、カノンはさっさと椅子に座って前を向いてしまった。
この時にカノンを捕まえて詳しく聞いておくべきだったと、後でリュンクスは後悔することになる。
気が付くと、そこは薄暗い部屋だった。
確か寮に入る手前で道に迷って、おかしな迷路に迷いこんだのだった。出口を探している間に眠くなり、そのまま意識が落ちたのだ。
ツンと鼻に染みる薬品の臭い。
目の前の棚には、蛇の標本が入った瓶がいくつも置かれている。
暗い中でわずかに射し込んだ光を受け、瓶の中の謎の液体に浸けられた蛇の鱗が生き生きと輝いた。
ここは誰かの研究室だ。
「……近くで見ると、君の目の色は綺麗だね」
リュンクスが仰向けに寝ている寝台の隣に、誰かが座っている。
恐ろしく美しい男だ。
眉目秀麗という言葉がぴったりくる、涼やかな女性めいた繊細な面差しながら、力強い男らしさも兼ね備えた容姿。肩幅は広く、背も高そうだ。リュンクスを押さえる腕には、しなやかな筋肉が付いている。
青みがかった銀髪は長く、漆黒のローブを羽織った肩口に流れている。知的な容姿の男に、魔術師のローブはよく似合っていた。ローブの下の白いシャツは、前のボタンがいくつか外れ、色めいた鎖骨が見えている。
「琅玕《ろうかん》という宝石を知っているかな。最高級の翡翠だよ。君の瞳は、それに似ているね」
彼の声は軽やかに踊るように響いた。
こんな訳の分からない状況でなければ、雑談に興じていそうな朗らかさだ。
しかし経緯から考えると、自分はこの男に攫われたのだろう。
リュンクスは警戒心もあらわに尋ねる。
「誰ですか……?」
「私はノクト・クラブス。五年生だよ」
ともだちにシェアしよう!

