4 / 6

〘 2 〙今に見てろよ-2

 浜辺に漂着していたのは、エルとアスランだけではなかった。ちょっとした物資や、海賊の襲撃によって殺された他の護衛の死体も、同じ浜に流れ着いていた。  アスランはエルに、出発前に死体から服を()いで着ろと命じた。 「そんな剥き出しの格好で砂漠を歩いてみろ。一刻と経たないうちに日射病であの世行きだ」  ──言うに事欠いて、剥き出しとはね。  金と努力を注ぎ込んで磨き上げた素肌を晒していたエルとしては『あられもない格好』とでも言い表したかったところだ。けれど、素直にアスランの指示に従った。  重たい死体をひっくり返しながらシャツとズボンを脱がせ、他にも、使えそうな道具を拝借する。  中身のまだ残った水筒に、ナイフ。それらを携帯するためのベルトを手に入れた。ブーツは爪先が余る大きさだが、裸足よりはマシだ。  鏡で自分の姿を確認することはできないけれど、その方が返って良かったと思う。  死体から剥いだ服はことごとく寸法が余っていて、シャツもズボンも、ベルトで無理やり身体にくくりつけているような有様だ。腰には不格好な小物入れやら水筒がぶら下がり、無骨なナイフまで刺さっている。まるでだぶだぶの服を着た子供のように見えるはずだ。  帝国西方領(メナン)の宝石と呼ばれるヤルマーの都で一番の踊り子と(うた)われ、提督や高官(パシャ)たちの覚えもめでたいこのエルヴァン・バイラムが、こんな無様な格好に身をやつす羽目になるとは。 「はあ……」  嘆息をつくエルに向かって、アスランは濡れたシャツの切れ端を放った。 「これを頭に巻け。日除けになる」  エルは顔を(しか)めつつ、海水まみれの生臭いターバンを巻き付けた。  アスランの頭にも、同じものが巻かれていた。着古したシャツにベルトに下穿き(シヤルワール)、武器だけを身につけた姿は、どこからどう見ても放浪者だ。 「鎧は着ないの?」 「ここに捨てていく」  それでは護衛としての戦力が落ちるのでは、という懸念が顔に出てしまったらしい。アスランは言った。 「砂漠で鎧は役に立たない。それよりも身軽でいた方がいい」  そして、エルが身体から外して並べておいたアクセサリーに向かって顎をしゃくった。 「お前も、そのじゃらじゃらした飾りは置いていけ、と言いたいところだが……」 「絶対に、嫌だ」  エルは慌てて、アクセサリーをアスランの手から遠ざけた。駱駝二十頭分に等しい値が張るものを『じゃらじゃらした飾り』と呼ぶ人間の側に近づけたら、価値が暴落しそうだ。 「わかった。わかったからそう毛を逆立てるな、黒猫(カラ・ケディ)」  小さくため息をついてから、アスランは言った。 「いいだろう。重くても泣き言は(こぼ)すなよ」 「泣き言なんか溢すもんか」  息まきつつ、エルはアクセサリーを革袋の中にしまい、ベルトにくくりつけた。  ──黒猫(カラ・ケディ)? 俺が?  そんなあだ名で呼ばれたのは初めてだが、なぜだか嫌な気分ではない。けれど建前として、憤慨するふりだけはしてみせた。 「俺は黒猫(カラ・ケディ)じゃない」 「そうかい。わかったよ、踊り子殿」  アスランは受け流すように言った。  ──なんだか、調子が狂うんだよな……。  アスランと話していると、なぜだか心臓の鼓動を乱される。その理由に頭を捻りつつも、エルはなんとか旅仕度を終わらせた。  それから、少し後。  砂漠を歩き始めて四分の一刻もしないうちに、エルはターバンのありがたみを()みしめることになった。 「暑い……」 「わかりきったことを(しゃべ)ると、余計に喉が渇くぞ」  まるで、上からも下からも熱せられている鍋の底にいるようだった。ターバンの水分はあっという間に蒸発したけれど、強い日差しを遮ってくれた。これがなかったら、今ごろ気を失って砂の上に倒れていただろう。  海を背にして歩き始めた二人の目の前に、今度はどこまでも続く砂の海が広がっていた。雲一つない空は抜けるような青、連なる砂丘は赤銅。風に舞う砂がキラキラと輝く様子は見事だが、景色を楽しむ余裕はなかった。  太陽から降り注ぐ容赦ない熱は、頭の上からのし掛かってくるようだったし、足を取られる砂地を進むのは想像以上にキツい。喉がからからなのに、思いきり水を飲むことさえ許されない。  これをあと三、四日も続けるのだ。それも、アスランが道案内を間違えなければの話。 「お前は魔法を使えるらしいが、ここで雨を降らそうなどとは考えるなよ」  望んだからといって、そうぽんぽん嵐を呼べるわけではない。ラマシュへの()(とう)には、文字通り寿命を削るほどの代償を必要とする。昨日の嵐を呼ぶためにラマシュに捧げた生気の分も、まだ完全に回復しきってはいなかった。  それに、もっと深刻な副作用もある。しばらくは、ラマシュの魔法を使うつもりはなかった。 「なんで雨を降らせちゃいけないの?」 「砂漠に急な雨が降ると、鉄砲水が起こる。流されて、今度こそ溺れ死ぬぞ」  エルはムッとして、ぼそぼそと言い返した。 「悪かったよ、考えなしに嵐を呼んで」 「だが、船に残った者には助けになっただろう」 「なんで?」  アスランが、海の方を振り向いて目を(すが)めた。 「シヴァス海の海賊船は、どれも喫水が浅い。その分足は速いが、嵐に遭うとひとたまりもないんだ」  シヴァスでは滅多に嵐も起きないしな、とアスランが言う。 「皇女様の船団は外海の航海向きだったから、あの程度の嵐なら切り抜けられる。その点では、お手柄だった」  別に、自分以外の者を助けるつもりはなかったのだけれど、そう言われるといいことをした気分になる。 「まあね」  エルは、手柄を誇るように小さく笑った。  今二人は、小高い砂丘をじりじりと登っている。  アスランとのお喋りで多少気が紛れたものの、忌々しいほどさらさらの砂に足を取られ続けているうちに、エルは弱音を口にしていた。 「王宮に辿り着く前に、死ぬかも……」  エルが呟くと、アスランはフッと笑みを溢した。 「俺がそうはさせない。それに、お前だってオリマールの民だろう」  その自信は頼もしいけれど、こちらを買いかぶりすぎなんじゃないかと言いたくなった。  確かに、エルはこの砂漠の国、オリマールの民として生まれた。けれど、五歳で故郷を失った後は、砂漠に足を踏み入れたことはなかった。各地を転々とし、ヤルマーの踊り子一座に加わってからは、都会暮らしがすっかり板についてしまっている。 「ほら、もう少しだ」  先を行くアスランが、振り向いて手を差し伸べてくる。そっと優雅に手を取る余裕がなくて、文字通り(すが)り付くように彼の手を握った。すると、力強い掌と指に包み込まれて、一気にグイと引き上げられた。  砂丘を登り切った先には、開けた砂漠の眺めがあった。  だが、たいした感慨は抱かなかった。目の前に広がっているのはただの……膨大な量の砂だ。故郷では毎日見ていたはずの光景だが、懐かしいとも、美しいとも思えなかった。  そのことに、エルは少しだけ罪悪感を覚えた。 「王宮はどっち?」 「まだ考えるな。気力が挫ける」  アスランは(なだ)めるように言った。 「あそこに木が見えるだろう。わかるか?」  アスランが指さした方向を見ると、確かに、ボサボサとした木の影が見える。アスランは小さな羅針盤を取り出すと、方角を確認してから、パチンと蓋を閉じた。 「今からあそこに向かう。太陽が昇りきる前に辿り着くぞ」 「苦労してここまで登ってきたのに、降りるの!?」  文句を言うと、アスランは小さく笑った。 「心配するな。下りはあっという間だ」  その言葉通り、半刻かけて登った砂丘を降りる──というより、滑り落ちる──のには一分もかからなかった。崩れる足場に大股で踏み出しつつ一気に駆け下りたのだが、エルはあと少しというところで転び、最後の距離を転がり落ちた。 「ゲホッ! ペッ!」  口に入った砂を吐き出していると、目の前に手が差し伸べられた。 「実に見事な降下だった。さすがは踊り子殿だな」 「……うるさい」  頬を赤らめながら、エルはその手を取って立ち上がった。  日が最も高く上り、気温が上昇する昼の時間帯に砂漠を旅するのは死を招く行為だ。  二人はどうにか、昼前にタマリスクの木陰に潜り込むことができた。タマリスクは、もっさりとした細い葉を繁らせる小高木で、砂漠などの乾燥地帯に生える。木陰にはひんやりとした砂が隠れているから、日中の避難場所として最適なのだとアスランは言う。  二人はそこに、胴体がすっぽりとはまる程度の浅い穴を掘って身を横たえた。  身体にこもった熱が、背中にあたる冷えた砂に吸い取られてゆくのを感じる。 「ああ……生き返る……」  エルが呟くと、アスランはエルの頭をくしゃっと撫でた。 「ここまでは、よくやった」 「泣き言は溢さないって言ったろ」  エルが強がると、アスランは表情を緩めた。 「お前の泣き言なら二、三聞いたと思ったが、気のせいってことにしておくよ」  エルは「うるさいな」と笑った。 「お望みなら、まだ歩けるけど?」 「いいや。無理は禁物だ。今のうちに眠っておけ」  エルは上半身をわずかに起こして、アスランを見た。 「寝るって、本気? 真っ昼間からこんな眩しい場所で眠れるはず……」  だが、アスランはエルの言葉を最後まで聞く前に、一人でさっさと眠ってしまっていた。 「……なんだよ」  頑張ったご褒美に、とでも口実をつけて、接吻(せっぷん)の一つくらい奪えないかと思ったのだが、当てが外れた。  まだたったの半日だけれど、これまでのところ、アスランはエルの見込み通り、忠実にエルを守り、王都へと導いてくれている。  だが、これがいつまで続くだろうか。  砂漠ではお互いに逃げ場がないから、アスランが逃げたり裏切ったりする心配はなさそうだ。けれど、エルにはもっと強固な確信が必要だった。  もしかしたら、旅の途中でエルの正体に気付くかもしれない。エルの計画に勘づいてしまうかもしれない。  そうなった時、アスランがエルを裏切らないように仕向けるには、彼を籠絡して虜にするしかない。どうも堅物のように見えるけれど、きっとうまくいくだろう。  男を骨抜きにするやり方は、嫌というほど心得ているのだから。  ──俺を黒猫(カラ・ケディ)なんて呼んで、余裕ぶっていられるのも今だけだぞ。  結局、エルはあれこれ計画を練り、まんじりともしないまま日暮れを迎えた。

書籍の購入

ともだちにシェアしよう!