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第2話
昼前の研究院は、どこかゆったりしている。解析装置の稼働音も、魔導炉の唸りも、午前中よりわずかに穏やかだ。
「……先生、コーヒー豆なくなってますよ。買ってきます。」
机に突っ伏したままのバイルが、ぼそりと返す。
「……君に任せるよ……。あと、茶葉も……」
「はいはい。じゃあ行ってきます。」
研究員の朝は早い。買い出しも立派な仕事だ。快適な研究環境は、効率のいい補給から作られる。
研究院の外に出ると、香草の香りが風にまざった。昼前の街は活気づき、商人たちが看板を出し始めている。
そこで声をかけられた。
「おにーさん、研究院の人っしょ? ちょっと見てもらっていい?」
シャルルはすぐには立ち止まらず、横目で相手を確認した。
「……確かにそうですが、急ぎの用でして。簡単な説明なら伺えますが、あまり長い時間は取れませんよ?」
「まあまあ、そんな堅いこと言わず。……ほら、見てくれよ。珍しいだろ?」
男は小瓶を軽く掲げた。
淡く光る液体が揺れる。それを見て、シャルルの足が思わず止まる。
男はにやりと笑った。
「研究院の先生向けに仕入れててね。正式ルートじゃ書類が面倒だろ? 今日だけ特別に見せられるんだ。」
シャルルは慎重に眉を寄せる。
「……正式証明の無い素材を研究に使うわけにはいきません。」
「へぇ、いいのか?……そういえば、バイル先生が似た溶媒を探してるって聞いたぜ?」
(……先生が?)
胸の奥で焦りが灯る。
(もし本物なら研究が一歩進む……。確認だけなら問題ない、はずだ)
「少しだけ、構造を見せてもらえますか?」
「じゃ、人目につかないところで。」
男が薄暗い路地裏を指した。
(視認範囲は確保できる。脱出口も確認済み。短時間なら問題はない)
シャルルは一歩踏み出す。
「では、すぐ戻れるようにお願いします。」
しかし、路地に入った瞬間。
「悪いね、兄ちゃん。ちょっと寝ててもらうわ。」
肩に触れた掌から、高出力の魔導電撃が走った。
「っ……!」
声を上げる間もなく意識が沈む。外傷こそ残らないが、神経だけを沈黙させる制圧術式だ。生命活動への影響がないため、緊急シールドは起動しない。
視界は暗転した。
…………
次に目覚めたとき、身体は動かなかった。腕は麻縄で固定され、首元には重い枷。
(……遠隔操作式の首枷……?)
「目ェ醒めたかい?」
低く掠れた、そのくせ妙に艶のある声。
シャルルは呼吸を整えた。
「……あなた方は……何者です……」
「名前なんざどうでもいいよ。あたしたちは“正当な権利”を取り戻すために動いてるだけさ。あんたの知識が、それに役立つ。」
シャルルは静かに首を振る。
「用途不明の相手へ情報を提供することは、規則で禁じられています。」
「硬い坊主だねぇ。さすが研究院の上澄み。」
彼女が指を鳴らすと、部下が制御装置を起動した。
次の瞬間、首枷から電撃がシャルルを貫いた。
「っ……!」
「安心しな。喋れなくなる程度さ。あんたの返事なんざ求めてない――抵抗さえ削れりゃ充分。」
電流は途切れず流され続け、意識を失うことさえ許されない。
時間感覚は崩れていく。
ただ、姐御の声だけが耳に刻まれる。
「これで泣かないなんて、根性あるね。まあ、それがいいことかは知らないけど。」
シャルルはもう喉を震わせることすらできなかった。
「へぇ、生意気な目だ。」
「姐さん、陣の準備できました。」
「よし。“知識”だけ頂くよ、坊や。」
輝いた魔法陣の光が頭部へ収束し、脳内の情報構造を引き剝がしていく。
シャルルは息を詰める。
「じっとしてな。痛みは……保証しないけどね。」
光が瓶へ吸い込まれ、姐御は満足げに鼻を鳴らした。
「やっぱり優秀じゃないか。じゃなきゃ、あのドクター・バイルが手元に置くわけないね。」
「姐さん、こいつどうします?」
「殺すと後が面倒だよ。見回り兵にでも渡しときゃいい。」
そして最後の一撃。
「じゃあ、完全に落としておきな。」
高出力の電撃が叩き込まれた。
身体が激しく跳ね上がった瞬間、胸元の研究員バッジが淡く赤く灯る。
刹那、温かな防護光が身体を包んだ。
──緊急シールドが自動起動した。
光が脈動し、やがて静かに消える。
その頃には、シャルルの意識は深い闇へ沈んでいた。
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