2 / 6

第2話

昼前の研究院は、どこかゆったりしている。解析装置の稼働音も、魔導炉の唸りも、午前中よりわずかに穏やかだ。 「……先生、コーヒー豆なくなってますよ。買ってきます。」 机に突っ伏したままのバイルが、ぼそりと返す。 「……君に任せるよ……。あと、茶葉も……」 「はいはい。じゃあ行ってきます。」 研究員の朝は早い。買い出しも立派な仕事だ。快適な研究環境は、効率のいい補給から作られる。 研究院の外に出ると、香草の香りが風にまざった。昼前の街は活気づき、商人たちが看板を出し始めている。 そこで声をかけられた。 「おにーさん、研究院の人っしょ? ちょっと見てもらっていい?」 シャルルはすぐには立ち止まらず、横目で相手を確認した。 「……確かにそうですが、急ぎの用でして。簡単な説明なら伺えますが、あまり長い時間は取れませんよ?」 「まあまあ、そんな堅いこと言わず。……ほら、見てくれよ。珍しいだろ?」 男は小瓶を軽く掲げた。 淡く光る液体が揺れる。それを見て、シャルルの足が思わず止まる。 男はにやりと笑った。 「研究院の先生向けに仕入れててね。正式ルートじゃ書類が面倒だろ? 今日だけ特別に見せられるんだ。」 シャルルは慎重に眉を寄せる。 「……正式証明の無い素材を研究に使うわけにはいきません。」 「へぇ、いいのか?……そういえば、バイル先生が似た溶媒を探してるって聞いたぜ?」 (……先生が?) 胸の奥で焦りが灯る。 (もし本物なら研究が一歩進む……。確認だけなら問題ない、はずだ) 「少しだけ、構造を見せてもらえますか?」 「じゃ、人目につかないところで。」 男が薄暗い路地裏を指した。 (視認範囲は確保できる。脱出口も確認済み。短時間なら問題はない) シャルルは一歩踏み出す。 「では、すぐ戻れるようにお願いします。」 しかし、路地に入った瞬間。 「悪いね、兄ちゃん。ちょっと寝ててもらうわ。」 肩に触れた掌から、高出力の魔導電撃が走った。 「っ……!」 声を上げる間もなく意識が沈む。外傷こそ残らないが、神経だけを沈黙させる制圧術式だ。生命活動への影響がないため、緊急シールドは起動しない。 視界は暗転した。 ………… 次に目覚めたとき、身体は動かなかった。腕は麻縄で固定され、首元には重い枷。 (……遠隔操作式の首枷……?) 「目ェ醒めたかい?」 低く掠れた、そのくせ妙に艶のある声。 シャルルは呼吸を整えた。 「……あなた方は……何者です……」 「名前なんざどうでもいいよ。あたしたちは“正当な権利”を取り戻すために動いてるだけさ。あんたの知識が、それに役立つ。」 シャルルは静かに首を振る。 「用途不明の相手へ情報を提供することは、規則で禁じられています。」 「硬い坊主だねぇ。さすが研究院の上澄み。」 彼女が指を鳴らすと、部下が制御装置を起動した。 次の瞬間、首枷から電撃がシャルルを貫いた。 「っ……!」 「安心しな。喋れなくなる程度さ。あんたの返事なんざ求めてない――抵抗さえ削れりゃ充分。」 電流は途切れず流され続け、意識を失うことさえ許されない。 時間感覚は崩れていく。 ただ、姐御の声だけが耳に刻まれる。 「これで泣かないなんて、根性あるね。まあ、それがいいことかは知らないけど。」 シャルルはもう喉を震わせることすらできなかった。 「へぇ、生意気な目だ。」 「姐さん、陣の準備できました。」 「よし。“知識”だけ頂くよ、坊や。」 輝いた魔法陣の光が頭部へ収束し、脳内の情報構造を引き剝がしていく。 シャルルは息を詰める。 「じっとしてな。痛みは……保証しないけどね。」 光が瓶へ吸い込まれ、姐御は満足げに鼻を鳴らした。 「やっぱり優秀じゃないか。じゃなきゃ、あのドクター・バイルが手元に置くわけないね。」 「姐さん、こいつどうします?」 「殺すと後が面倒だよ。見回り兵にでも渡しときゃいい。」 そして最後の一撃。 「じゃあ、完全に落としておきな。」 高出力の電撃が叩き込まれた。 身体が激しく跳ね上がった瞬間、胸元の研究員バッジが淡く赤く灯る。 刹那、温かな防護光が身体を包んだ。 ──緊急シールドが自動起動した。 光が脈動し、やがて静かに消える。 その頃には、シャルルの意識は深い闇へ沈んでいた。

ともだちにシェアしよう!