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第3話

研究室の中に響いた警告音に、バイルは顔を上げた。 「緊急シールドの発動アラート……? 一体誰が……」 と言いかけて、息が止まる。 表示された名前── シャルル。 熱力学科の緊急シールドは、試験段階からバイル自身も関わっている。 誤作動など、ありえない。 「……そんな……なにが……」 シャルルが実験事故を起こすなど考えられない。 彼は慎重で、いつも手順を確実に踏む。 ならば──原因は外部だ。 バイルの喉が渇いた。 「……くそ……どうする……いや、行くしかないだろ……!」 思考より先に身体が動く。 地図に表示された発動地点は研究院の外。 街の外れ──路地裏。 (研究院から離れた場所でシールド……そんな偶然、あるわけがない……) 胸が詰まるような感覚のまま走り抜け、 息を切らして、その場所へ辿り着いた。 薄暗い路地の入口。 荒事に慣れた者の気配を纏った男が、腕を組んで立っていた。 男はこちらへ近づき、値踏みするように言った。 「……あんた、研究院の奴か?」 「……ああ。私の助手が……ここにいるはずなんだ。」 「へぇ? ここにはいねぇけど?」 即答。 「嘘だ。位置情報がここを示している。」 男は口の端を歪めた。 「……あんたの出せる“対価”によっちゃ、通してやってもいいが?」 バイルは息をのむ。 戦闘も交渉も得意ではない。 だが── (シャルルくんを……助けられるなら……) 胸元のバッジに触れ、静かに覚悟を示す。 「……わかった。私の知識で……君たちの求めるものに答えられるはずだ。」 「へぇ……話が分かるじゃねぇか。ついてきな。」 ―――――――――――― 中に足を踏み入れると、椅子に座る女がバイルを見据えていた。 鋭さと余裕の同居した視線。 この集団のボスなのだろう。 「……で? あんたが“ドクター・バイル”かい。」 「ええ。……シャルルくんを返して下さい。  彼は私の助手です。返していただけるなら……何でも話します。」 女は唇をつり上げた。 「随分あっさりだねぇ。研究院の知識なんざ機密だろ?」 「……その通りだ。  だが、彼を助けることの方が……私には大事だ。」 女の目が、一瞬だけ細くなる。 「……タイミングが良かったよ。  もう少し遅れてりゃ、助手クンは街の兵に引き渡すところだった。  用は済んだからね。」 バイルは低く問う。 「“用が済んだ”……? 彼に、何をした?」 女はわざと軽く肩を竦める。 「ちょいと、その頭ん中の知識を拝借しただけさ。」 (……やはり、記憶の抽出……) バイルは表情を変えずに返す。 「……それなら、ひとつ言わせてくれ。  彼の知識だけでは、不十分だ。」 女の眉がぴくりと動く。 「へぇ? じゃ、あんたが“完全な方”を知ってるってわけだ。」 「……ああ。これでも立場がある。  彼より知っていることは多いはずだ。」 「なら訊くよ。あたしたちが奪った“あの理論”──本来はどう仕上がる?」 バイルは淡々と説明しつつ、 一点だけ、致命的な“嘘”を混ぜた。 女は満足そうに鼻を鳴らす。 「よし。約束だ。……連れてきな。」 部下がシャルルを引きずってきた。 焦げ跡と擦り傷にまみれ、意識は薄い。 「……シャルルくん!」 シャルルの瞼が僅かに震えたが、力は入らない。 バイルはすぐに抱きとめ、肩へ背負い上げた。 「あぁ……シャルルくん……。  ひとまず、生きていてくれて良かった……」 ―――――――――――― 路地裏を抜け歩いていると、背中の青年が微かに呻いた。 「……せん、せ……」 風に消えそうな声。 「……なん……で……教えて……」 バイルは優しく答える。 「……彼らに教えたあれは、本物じゃない。  一つだけ、決定的なミスを入れてある。  製造過程でどうなるかは……彼らの自己責任だ。」 シャルルの視線が揺れた。 その反応に胸が痛む。 「もう大丈夫だ……。  研究院へ急ごう。君の怪我は……一刻を争う。」 ―――――――――――― 研究院の明かりが見えた時、 バイルはもう息が切れていた。 背負うシャルルの体は異様に軽く、その軽さが何より怖かった。 「……もう少しだ……シャルルくん……」 返事はない。 医務科の扉を見た瞬間、 バイルは迷いなく駆け込んだ。 「医務科! 緊急だ! 治療を……っ!」 職員たちが一斉に振り向き、 シャルルの状態を見るなり担架を呼んだ。 「この焦げ跡……電撃か? 急いで! ここまでとは……」 担架に移されながら、 シャルルの手が一瞬だけバイルの袖を掴んだ気がした。 「……せん、せ……」 「シャルル君……大丈夫だ……。」 震える声でそう返すので精一杯だった。 治療室へ運ばれていく背中を、 バイルはただ必死に見つめる。 思わず足が進みかけたその瞬間、 医務科員に軽く制され、彼はハッと立ち止まった。 胸の奥がきゅっと痛む。 ふらつきながら、バイルは小さく言い添えた。 「……一段落ついたら呼んでください。  外にいます……」 それだけ言い残し、 糸の切れたように力なく廊下を離れ、 ゆっくりと医務科の外へ出た。 扉の前の硬い椅子に腰掛ける。 握り締めた手は冷たく汗ばんでいた。 胸の奥は重く、痛い。 (……僕のせいだ……。  シャルル君を巻き込んでしまった……) バイルは顔を伏せた。 ただ静かに―― 治療の報せを待つしかなかった。

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