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バイルの独白

ある年の研究院には「とんでもない新人がいる」という噂が流れていた。 聞く限りでは前例のないほど優秀で、将来は研究長候補だとまで言われているらしい。 私は人前に出るのが苦手だったため、正直── 「それなら早く代わってくれ」と思っていた。 裏方で黙々と研究している方が性に合う。 そんなある日のことだ。 私の研究室の扉が、“蹴破られる勢い”で開いた。 この研究院のなかで、あれほど勢いのある開け方をする人間は見たことがない。 「失礼します! ドクター・バイル、質問があります!」 勢いそのままに飛び込んできた青年──シャルルだった。 落ち着きがない。声が大きい。 研究に向いているとは到底思えなかった。 聞けば彼は、廊下に掲載されていた私の論文を読んだ勢いでそのまま来たらしい。 その場で応じた質問はどれも光るものがあり、 その純粋な瞳が少し羨ましかった。 一通り説明して帰ってもらった。 もう来ることはないだろうと思っていた。 ……だが、それから毎週のように彼は来た。 気づけば“毎日”になっていた。 研究室の灯りを見つけると勝手に入ってくる。 それだけでなく、いつの間にか勝手にコーヒーも淹れはじめるようになった。 椅子を勝手に持ってきて座り、質問をしてくる。 そのくせ内容は異様に鋭く、 返答に対する理解も驚くほど早かった。 ──本当に向いているのは私ではなく彼の方ではないか? いつからか、そう思うようになっていた。 しばらくして彼はこう言った。 『俺を助手にしてください』 ……継いでくれれば、と思う気持ちがなかった訳ではない。 しかし、彼の才を見せられた身としては断るしかなかった。 彼ほどの人材が私などに使われるのはもったいない。 私の生活にまで付き合わせるなど、なおのことだ。 しかし── 彼は言い続けた。 毎日来て、毎日同じことを言う。 言い回しだけ微妙に変えながら、私が折れるまで続けた。 そして、私は折れた。 彼が助手になってから、研究は明らかに進んだ。 私が手を付けられなかった領域さえ、彼は軽々と補ってくれた。 そのうち──彼は自宅にまで住み着いた。 「先生の生活を見てるとどうにも心配で」と言って。 勝手に生活導線を整え、勝手に食料棚の中身まで管理するようになった。 私はいつも罪悪感を覚えていた。 シャルルほどの優秀な頭脳を、私の生活にまで使わせてしまっていることに。 それでも彼はそばにいた。 私が拒絶しても、諦めない。 私は── 彼の好意に、ずっと甘えてしまっているだけなのかもしれない。 そんなことを思い出していると、“いつも”の時間が迫っていることに気付いた。 シャルルは助手として、朝の雑務をすべて片付けてから来る。 会議の代理、書類提出、買い出し……。 私が苦手なことの多くを、彼は黙って引き受けてくれている。 それらが終わると、決まってこの部屋へやって来るのだ。 その時間に合わせて、飲み物を二つ用意しておく。 そしてふとカレンダーを眺めて気付いた。 今日は、彼の所属申請が承認され、正式に私の助手になってくれた日だった。 バイルは重い腰を上げ、マグカップを二つ用意する。 今日は珍しく、カップの横に小さな焼き菓子も添えた。 だが置いた瞬間、思わず眉根が寄る。 「……しかし。こういう気の利いた真似は……私の柄じゃないな……」 と呟いたところで、 コン、コン── 扉が叩かれた。 (……もう来たか……。今さら隠すほうが不自然だな……) 諦めるように扉を開けると、シャルルが明るい声で言った。 「先生、おはようございます!いつもありがとうございます。 ……え、わぁ、お菓子までつけてくれるなんて珍しい! 何かあったんですか?」 バイルは気まずそうに視線をそらしながら答えた。 「……今日は、君が助手になった日……だろう」 シャルルは一瞬だけ驚いた表情を見せた。 しかしすぐに、あの人懐っこい笑みへ変わる。 「……そんなの、気にしてくれたなんて……すごく嬉しいです! 大事に頂きますね、先生!」 その笑顔を前に、 バイルはただ小さく息を吐き、静かに頷いた。

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