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第5話「泊まる男」
9月最後の月曜日。
夕食後の食堂には、夜会の事前準備スタッフをしたいという1年生、2年生が予想を遥かに上回り集まってくれた。大変ありがたい。
皆、夜会が楽しみで仕方ないようだ。
集ったメンバーに、夜会の二日前から開催される学園文化祭との兼ね合いを確認しつつ、担当を割り振っていく。
ほんの二、三日前までの俺は、とにかく間違いが起きないために、全部を自分で把握し主導しておかなくてはと思っていた。
それに、各担当と連絡を取り合ったり、話し合ったりの報連相をするくらいなら、細部まで自分の裁量で決めたいと考えていた。
でも、少しだけ事情が変わったのだ。
夜会の前日は、ユウヒのオーディションの日。
料理長が言うように、俺がドンと構えていればよい状態で物事が進んでいたとする。
そしたら、少しだけ学園を抜けて自室に戻り、オーディションの配信を見ることも可能かもしれない……。
いや、違うんだ。
俺はまだユウヒのことを認めたわけじゃないし、寮に忍び込んでくるような男のために、夜会準備の手を抜くつもりは毛頭ない。
だけど、色々と好条件が揃って、配信を見ることが可能になるのならば、一票入れてやってもいい。
その好条件を生み出すために、適材適所の担当決めには気合が入った。
料理担当、警備担当、装飾担当、生花担当、進行担当、舞台担当、音響担当、土産担当……。
前回檜垣寮が夜会担当だった三年前に作られた申し送り書を見ながら、それぞれの役割ポイントを皆に伝える。
ほぼ立候補という形で、各担当のリーダーが決まった頃、ズボンの尻ポケットに入れていたスマホが振動した。
俺は人の視線のない場所までわざわざ移動し、画面を覗き見る。
『今夜、ハヤセのところに泊まりにいくねー。夜遅くなるけど、また鍵を開けておいて。よろしく』
月曜日だから連絡が来るのではないかと、予想はしていた。
『鍵開けておいて』とわざわざ書くということは、先週の金曜も、俺が意図的に施錠しないでいたと思っているわけか。
常日頃から窓の鍵など掛けていないだけなのに……。
俺は鼻から息を吐き、スマホをしまいながら皆のところへ戻る。
「どうかしたか?」
俺の補佐をしてくれることになった同じクラスの竹田が、声を掛けてきた。
「いや、ちょっと面倒な連絡がきただけ」
「そうなの?うれしそうな顔してたから、いい話かと思った」
うれしそうな顔?まさかそんなはずはない。酷い誤解だ。
「なになに、いい話ってなんだよー」
近くにいた同級生も、会話に入ってくる。
「もしかして、夜会に誘う女の子が決まったとか?」
「おぉ!」
勘違いした皆が、囃し立てる。
「いやいや、決まってないよ」
「主催寮の寮長は、とびきり美しくて可愛い女の子をエスコートするのが恒例だろ?」
「え、そうなのか?」
「そりゃそうだろ、なぁ?」
そこからは、どんな子を誘う予定だとか、街で声を掛けられたとか、ひとしきり女の子の話題で彼らは盛り上がり、第一回目の打ち合わせは終了となった。
—
突然部屋に忍び込まれるのも嫌だけれど、無法者がやってくるのを待つというのも、複雑な気分だ。
定められた消灯時間を過ぎ、俺は常夜灯のみをつけてベッドに横になる。
今宵は日が暮れてから気温が下がったので、窓を開けていればクーラーをつける必要はなさそうだ。
20センチほど開けた窓からは、心地よい風が入り、カーテンがひらひらと揺れている。
今頃、ユウヒはどこにいるだろう。
そろそろ居残りレッスンを終え、シャワーを浴び、どこかで夕食を食べたりするのだろうか。
別に、出会ってたった一週間しか経っていない男のことを気にかけている訳じゃない……。
俺はただ、起きて待っていて、苦言の一つも伝えたいだけなんだ。
日頃規則正しい生活をしている俺は、眠気を堪えながら壁の時計をじっと見て過ごす。
突然、白いカーテンが風を孕み大きく膨らんだ。
まるでヒーロー参上とでもいうように、カーテンの向こうから片手に靴を持った身軽な男が、ヒョイっと現れる。
「お・ま・た・せ。ハ・ヤ・セ」
声は出さず口の動きだけで挨拶をされる。
ユウヒは、底を上にして丁寧に靴を置いてから、音を立てぬようゆっくりと窓を閉めた。
「寝ないで待っててくれたんだね、ありがと!」
彼は外に音が漏れぬよう窓を閉めてから、小声で喋りだす。
「閉め切っちゃうと、ハヤセ暑いかな?」
勝手にリモコンへ手を伸ばし「弱」にして、エアコンをつけた。
ユウヒがもっと傍若無人に振る舞ってくれたなら、俺もそれを指摘し怒ったり、拒絶したりできるのに。
大胆にもレンガの塀を乗り越え忍び込んでくる以外は、それなりにまともな男なのだ。
「もしかして、忍び込むためにわざわざ制服に着替えてくるのか?レッスン着のほうが、遥かに塀を越えるのに適してそうなのに」
思いついたままに質問する。
「当たり前だろ。僕が誰かに見つかったとき、青海波学園の制服を着てるか、着てないかじゃ、まるで違うでしょ」
確かに制服姿の男子高校生だったら、ちょっと羽目を外し夜間外出でもしていたのだろうと、近隣住民も通報には至らないはずだ。
何も考えていないようで、ユウヒなりに配慮をしているということか。
「ほらこれ、タオルケット」
予め棚から出しておいたものを、彼に渡す。
「サンキュ」
ユウヒはラグの上でリュックサックを枕にして、丸くなる。
「あー、疲れた。おやすみ」
「スマホの充電はいいのか?」
「あっ、するする。ありがと。やっぱやさしいなハヤセは」
手際よく充電をし始めたユウヒは、再び丸まりあっという間にスースーと寝息を立て始めた。
その寝顔は俺のベッドのほうを向いている。目を閉じていても、美しく可愛らしいONのユウヒ。
彼のオーディションまでは、二ヶ月を切っている。
幸いここは一人部屋だし、こうして静かに眠るだけならば、寝場所を提供してやるくらい、容易いことかもしれない。
寮生ではないとはいえ、同じ敷地の学園に通う生徒なのだから……。
俺の頭は自分でも気づかぬうちに、彼の侵入を認める様々な言い訳を並べようとしていた。
一人っ子で母はなく、大学教授をする父と、二人暮らしで育った俺。
父はなんでも自分でやる人で、祖父母や公共の子育て支援サポートに頼ることなく、俺を育てた。
当然父は、俺にも自分のことは自分でするよう求めたし、実際やれた。だからそれが普通なのだと思って、幼少期を過ごした。
家は田舎なので無駄に大きく、自室に居れば父の気配を感じたりはしない。温もりのようなものは、家のどこにも存在しないが、それを寂しいと思ったこともない。
そもそも俺は物心ついてからずっと、家族だけじゃなく、他人とも一定の距離を置き、近しい関係になったことがなかった。
チームプレイのスポーツでも習っていたら、遠征や合宿で他人との距離が縮まっただろうに、そんな経験もない。
よって、誰かと同じ部屋で眠る経験が皆無のままこの学園へ来た。
寮に入った初日。四人部屋で、人の寝息や寝言、イビキが聴こえる環境に驚き、苦痛で、嫌悪を感じた。
数日で慣れるかと思ったが無理で、眠れない日々が続く。
その後、寝不足の俺に気づいたタケル先輩のアドバイスにより、イヤホンをして寝る術を身につけた。
雨の音や波の音、焚き火が燃える音を聴きながら眠るのは、それなりに効果があったが、早く寮長になって、一人部屋に行きたいという思いは日に日に強くなった。
そんな俺が今、ユウヒの寝息を聞き、落ち着いた気持ちになれるのは、なぜなのか。
どうして不快に思わないのか。
自分でも不思議でしかたない。
あまつさえ、この男は朝方になると、俺のベッドに入ってくるのだ……。
そうだ!今日は無理をしてても眠らずに起きていて、ユウヒがどんなタイミングで、俺のベッドへ移動してくるのか、観察してみよう。
そしたらハムスターのように身を寄せ合って眠ることを、未然に防げるかもしれないから。
そのときは、予想より早くに訪れた。
ユウヒが眠り始めて1時間もしない頃、彼の寝顔が苦しげに歪んだのだ。
眉を寄せて、タオルケットから出ている右手が何かを掴み取ろうとするように、天井に向かって真っすぐに伸びる。
呻くような声を小さく漏らしている彼が、辛い夢を見ていることは、一目で分かった。
伸ばした右手を掴んで握ってあげたいと思った。どうした?大丈夫だぞ、と声をかけてあげたくなった。
でも「眠っている人の夢に介入してはいけない」と何かで読んだ記憶がある。そう迷っているうちに、ユウヒはガバッと上半身を跳ね起こした。
目が覚めたようだ。
でも夢を引きずっているのか、はぁはぁと苦しそうに肩で息をしている。
俺は見てはいけないものを見たように感じ、咄嗟に目を閉じ寝たふりをした。
少しの間を置いて、彼がいるラグのほうからガサガサと音がし、小さな音で音楽が鳴り始めた。
あの第3スタジオで、何度も何度も聴いた曲だ。
俺はゆっくりと目を開ける。
ユウヒは充電中のスマホで、自分のレッスン動画と思われるものを見ていた。
振り付けをおさらいするように、手と首を動かしている。どうやらさっき伸ばしていた右手もダンスの振りだったようだ。
一曲まるまる振りの確認をしたあと、彼は大きくため息をつき、スマホを置く。
そしてユウヒは立ち上がった。
俺は慌てて目を閉じる。
こちらへ近づいてくる気配があって、彼がベッドへ乗ってきたのがわかった。
俺を起こさないように、静かにゆっくりと慎重に、俺を跨いでベッドの奥側へ移動する。
そして俺のタオルケットを捲って入ってきた。彼の温かい体温と、柑橘系の匂いを感じる。
心臓がドクドクと大きく鳴っていた。ユウヒのではなく、俺の心臓が。この音が聴こえてしまったら、狸寝入りがバレるのではと焦るが、幸い彼には届いていないようだ。
ユウヒは、ごく自然に俺に手を伸ばしてきた。そして背中から俺のことを包み込むように、抱きしめた。
彼はまたスースーと安定した呼吸で寝始める。安心したように、穏やかに、もう魘されることはなく、よく眠っていた。
俺は、彼が背負っているオーディションという重圧を、本当の意味で理解したやることはできないのだろう。そう思いながら俺も目を閉じた。
高鳴っていた心臓は少しずつ収まって、それでも触れ合っている箇所には熱を感じる。
俺もユウヒも、ハムスターになって身を寄せ合う平和な夢を見られるといい……。
朝。目が覚めれば、やはり彼はもうベッドにいなかった。タオルケットだけが綺麗に畳まれ置かれていた。
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