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第6話「日常になる男」

 10月に入り、ユウヒが月、水、金と泊まりに来ることが、日常になった。  夕方になると『今日泊まりに行く』と短いメッセージが届き、俺は『了解』とだけ返信する。  そして寮の消灯後、窓を少しだけ開けてベッドで横になり、彼が忍び込んでくるのをじっと待つ。  ノックもなく入ってくるユウヒを、いつの間にか「おかえり」という言葉で迎え、「ただいま」と声が返ってくる習慣ができた。  更に俺は、彼にジャージのズボンとTシャツを貸すようになった。  学園の制服は、夏服から冬服に代わり、生地が厚くなった紺色の千鳥格子柄ズボンでは寝づらいだろうと思ったからだ。  ユウヒの私物も少しだが、俺の部屋へ置かれるようになった。  最初に置かれていたのは充電ケーブル。てっきり忘れていったのだと学園で返すと、彼は首を横に振る。 「それは予備のケーブルなんだ。ハヤセの部屋用にしようと思って」 「そうか」  そうか、じゃないだろ、と心の中ではちゃんと思っている。  ユウヒはあくまでも侵入者。俺はあくまで寮長としてトラブルを防ぎたく、防災備蓄庫で寝られるよりましの、応急処置として彼を泊めているのだから。  少年漫画も、何タイトルか置かれるようになった。 「発売日だったからレッスン行く前に買ったんだけど、読み終わったからここ置いとくね。ハヤセも読んでいいよ」 「いや、18巻だけ置かれても、俺1巻すら読んだことないし」  そう答えた俺に、自宅にある1巻から17卷を何度かに分けて持ってきてくれた。  漫画を読む習慣がない俺も、勧められるままに手に取って、次巻が届くのを楽しみにしてしまったりする。  結局、本棚の一部にユウヒコーナーを設けた。  替えの制服をまるまる貸したこともあった。  大雨の夜にやってきたとき、いくら身軽なユウヒでも、流石に傘を差しながら塀は越えられなかったらしく、ずぶ濡れになっていた。  濡れた彼の制服をハンガーにかけ、カーテンレールに吊るしてやったが、ユウヒが朝練に出掛けて行く時刻までには、乾きそうもない。  朝は相変わらず、俺の知らぬ間に部屋を出て行く彼に、夜のうちに制服を貸した。 「ユウヒの身長って、俺より3センチくらい高いだけだろ?体格だってさほど変わらないし、俺のズボンやシャツでも違和感ないと思うんだ。とにかく着てみてよ」 「サンキュ!本当にハヤセはやさしいね」  しかし、貸してやった制服を彼が身に纏った姿に愕然とする。  まず、ズボンの丈が短い。明らかに3センチの身長差以上の問題だ。つまり足の長さが違う。さらに腕の長さも違っていて、ユウヒには俺のシャツの袖が、若干短い。  もっと言えば、胸筋だ。シャツのボタンを彼が留めたとき、あまりにパツパツでびっくりした。俺とユウヒでは筋肉量が全然違うと思い知る。 「なんか、サイズ合ってないな……」 「ううん。これで大丈夫!ありがとな。明日はこれを借りるよ」  彼は躊躇いもなくそう言ったけれど、俺はどうしてだろう、妙にドギマギとしてしまった。  ユウヒの肉体というものを変に意識し、彼が着替える姿から目を逸らす。  男子校に通い、男子寮に入っている俺にとって、同性の裸など嫌というほど、見慣れているのに。今まで意識したことなんて、無かったのに。  長い腕、長い脚、鍛えられた胸筋。長い首に美しく可愛い顔。身軽な身のこなしに、俺にくれる笑顔。キラキラしたONのときと、学園にいるOFFのメガネ姿とのギャップ……。  彼のことを、じっと見ていたくもあるし、目を逸らしたいほど苦しくもある。  ただ、その切なさに思わず彼の目の前でため息など零せば、「どうした?大丈夫?」とユウヒは訊いてくれる。 「夜会の準備って大変なんだろ?」 「あぁ、うん。でも、スタッフしてくれる子たち、皆やる気も責任感もあって問題なく進んでるから」 「そっか」 「ユウヒは?レッスンどう?」 「残り一か月。今はとにかく怪我をしないようにって、思ってる」 「そうだね。それは大事だ。睡眠もしっかりとれよ」  俺は夜会、彼はオーディション。まるで違う行事だけれど「本番」の日付は一日違い。俺たちは互いを思いやり、その日へ向かって進んでいた。  そんな俺たちだけれど、今も必ず、ユウヒにはタオルケットを貸し出している。  彼も必ず、ラグの上でリュックサックを枕に寝始める。  けれど早朝にふと目を覚ませば、ユウヒはいつも俺のベッドの中にいた。俺のことを包むように背中から抱きしめていたり、俺の頭を胸に抱いていたり。  ただそれに関しては、お互い一度も話題にしたことがない。  朝練へ向かうため、スマホのアラームを小さく鳴らし、彼がベッドを出ていくのは、まだ陽が上らない薄暗い頃。  俺は多くの場合、彼の起床に気が付かないし、もし目が覚めても、気付かないふりをしている。  だからユウヒは、ベッドに入り込んでいることを、俺に気付かれていないと思っている……のかもしれない。  いや。うーん、どうなんだろう?この辺りは曖昧にしておきたい。 —  夏を引きずっていた10月から11月になった途端、夜は寒さを感じるようになった。  俺がユウヒに貸す寝具も、タオルケットから毛布へと代わる。この毛布は、寮父に無理を言って貸し出してもらったものだ。  予備にもう一枚借りたいと申し出たとき、当然ながら寮父は不思議そうな顔をした。  タオルケットは、各自が洗濯をするので2枚ずつ配られていたが、この寮に毛布が洗濯できるランドリーは無い。  俺は余計な言い訳を口にせず、「お借りしたい」の一言で押し切ったが、それでも貸してもらえたのは、日頃の行いが良いせいだろう。  そんな寮長としての評価を落とすかもしれない橋を、俺は今、渡っているのだ。  しかし、ユウヒのオーディションまでは残り3週間。なんとかこのままバレずに彼の安眠を確保してやりたい。  そんな中、ある事件が俺の耳に飛び込んできた。それは11月最初の金曜日のことだった。  食堂での朝食のとき、耳が早い者が既にその噂を檜垣寮に持ち込んでいた。 「おい、ハヤセ。聞いたか?」 「なにを?」  俺はクロワッサンを口に放り込みながら、聞き返す。 「夜中に学園の塀を乗り越えて、足を骨折した奴がいるらしいぞ」 「え?」  当然、俺の頭にはユウヒのことがよぎり、クロワッサンを喉に詰まらせそうになる。いや、彼は昨晩は自宅へ帰ったはずだ。俺の部屋へは来ていない。 「な、何年生だ?」 「二年。籠目寮の奴らしいから、西側の塀だろうな」  籠目寮……。俺はそれを聞いて胸を撫で下ろし、リンゴジュースでクロワッサンを流し込む。 「それで?どういう状況だったんだ」 「まだ噂だけどな。夜会の招待状欲しさに近寄ってきた子と、付き合い始めたらしくて、夜中に学園を抜け出したらしい」 「そのとき、塀から落ちたのか?」 「いや、浮かれて帰宅したタイミングらしい。塀の下で蹲って、同室のやつに電話で助けを求めたらしいぞ。恥ずかしいよなー。もっと上手くやれって話だよ」  放課後には三つの寮の寮長が緊急召集され「学園の赤いレンガの塀を乗り越えて出入りするなど、もっての外だ」と寮生皆に伝達するよう言い渡された。  骨折者を出した籠目寮の寮長は、特に厳しく注意を受け「寮の浮ついた空気を察するのも寮長の仕事だ」などと言われている。  夕食のタイミングで、檜垣寮の寮生に俺から注意喚起したけれど、この中で最も罪に近いのは、俺だろう……。   『今夜泊まりに行く』  部屋へ戻った途端に届いたメッセージに、俺はすぐ返信をする。 『寮でちょっとした事件があって、今夜はやめといたほうがいいかも。ごめん』  すぐに既読になったけれど、ユウヒからは中々メッセージが届かない。  しばらくして、ピコンと通知がきた。 『それなら大丈夫。今日はネットカフェに泊まるから』  これからもネットカフェに泊まればいいのに、とは少しも思えない。  ユウヒにこの一人部屋に来てほしい。ここに泊まってほしい。一緒のベッドで眠りたい。  そんな自分の感情をハッキリと自覚してしまったのは、ユウヒのオーディションまで残り16日。夜会まで残り17日のことだった。 —  翌日の土曜日。俺は朝の正門でユウヒを待ち伏せる。  俺の部屋に泊まるときには、郵便局近くの自転車置き場に留めているという自転車で、ビューっと門を通り抜けた彼の背中に「ユウヒ!」と声をかけた。 「あっ、おはよう!ハヤセ」  自転車から下りたOFFのメガネ姿ユウヒは酷く眠そうで、目の下には隈があった。 「昨日はごめん」 「いや、全然大丈夫」 「ネットカフェ、あんまり眠れなかった?」 「うーん。たぶんハヤセの部屋が快適すぎるんだよね。僕さ、ハヤセのベッドだとぐっすり眠れるから」  ベッド……って言っちゃってるし、ユウヒ……。 「寮で事件って大丈夫だったの?」 「あっ、うん。まぁ、問題ない」 「そう。じゃ、月曜日はまた泊まってもいい?」 「もちろん」 「やったー!」  駐輪場に人の気配がないとはいえ、そんな風に抱き着いてきたら俺の顔が赤くなってしまうじゃないか。  俺は自分の愚かさを思い知っている。  二カ月もの間、真夜中に塀を乗り越え忍び込んでくる自宅生を、週に三回も部屋に泊めていることがもしバレたら、寮長はクビだろう。  そしたら来年度、功労賞として与えられるはずの一人部屋も、ダメになるはずだ。  それでも、あと二週間。残りたった6回。ユウヒを部屋に泊めたい。リスクを侵してでも、彼をサポートしたかったし、甘い時間を味わいたかった。 「ハヤセ先輩!」  駐輪場から校舎へ続く渡り廊下で、檜垣寮の一年生二人に声を掛けられた。 「先輩、夜会当日のテーブルに飾る花なんですけど、ご相談したくて」  気を利かせたユウヒが、小さな声で「じゃあね」と手を振って、小走りに去っていく。 「花屋さんから、淡い黄色系と赤茶系の2パターン、アレンジ花の提案を受けたんですけど」  クリアファイルから書類を出して、プリントした画像を広げて見せられた。 「どちらがいいと思いますか?」 「君たちはどう思うの?」 「決め手に欠けるというか、どういう基準で選んでいいのか分からなくて」 「装飾担当に相談してごらん。テーブルクロスの色や、飾り付けの雰囲気と併せたほうがいいと思うよ」 「そっか、はい!」「ありがとうございました」    夜会の準備だって大詰めだ。今、ユウヒのことがバレたら、俺の一人部屋が取り消しになるだけじゃ済まないかもしれない。  皆が一生懸命準備している夜会に、水を差すことがないようにしなければ……。  一度ユウヒと、ゆっくり話し合ってみることが必要かもしれない。

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