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第8話「ピンチな男」
月、水、金と、変わらずユウヒは寮に忍び込んできた。
どうやら寮父が警備を強化した様子はない。今までと変わりなく、彼は真夜中にやってきて、俺の部屋で睡眠をとり、早朝に居なくなった。
それと並行し、俺の夜会の準備も順調だった。
全体打ち合わせで、各持ち場の進行状況を確認しても、どこかに躓きがあるようには思えない。
皆が責任感を持って、取り組んでくれている。
招待状はすでに各寮生の手に渡った。もう女子高校生に渡した者も多数いるようだ。
当日は檜垣寮の入口で、プロの警備員がタキシード姿になり招待状のチェックをしてくれる。
会場となる食堂は、臙脂色をベースに落ち着いた色合いでテーブルセッティングをすることになった。
テーブルに飾るフラワーアレンジメントは淡い黄色。会場ではピアニストが演奏し、皆を迎え入れる。
食事は、イタリアンを中心としたメニューで、デザートを多めに用意してもらうようシェフに依頼した。
ステージの出し物としては、プロのマジシャンを三組、ゲストでお呼びする。
招待客が帰るときに渡す土産は、小振りなバームクーヘンと一輪の薔薇。
とにかく、招待されやってくる女子が喜んでくれるように、と皆が計画してくれた。その年その年で雰囲気が大きく変わるのが夜会だが、今年は少し気障なくらい、シックな会となりそうだ。
次の月曜日。真夜中にやってきたユウヒは、酷く疲れた顔をしていた。
ダンスのことなど何も分からない俺が、「少し休んだら?」と口にしてしまったくらいに。
「ありがと。うん、そうだよな、分かってるんだ。でもさ、練習しないでいるのってすごい不安でさ」
確かにそうだろう。
夜会は結局、皆で力を合わせアイデアを出し合い、準備を進めることができている。でもユウヒは、たった一人で人生をかけ闘っているのだから。
「ちょっとトイレ」
今までも、何度か彼が寮の共有トイレを使うことはあった。
慎重にドアを開け、キョロキョロしてから廊下に出て、ささっと行って、ささっと戻ってくる。そもそも真夜中だから、今まで誰かと出会ってしまうことは、なかった。
しかし。一人でトイレに行ったユウヒは、なぜか二人で戻ってきた……。
「竹田……」
そこにいたのは、俺が夜会準備スタッフの中で、最も信頼している男、補佐の竹田だった。
「ハヤセ、こいつ誰?トイレで出くわして、本気でびっくりしたんだけど。問い詰めたら、ハヤセに借した漫画をどうしても今日中に返してほしくて、忍び込んだとか言っててさ」
「この男を見たのって、竹田だけ?」
「まぁ、そうだけど。こいつが着てるTシャツとジャージ、ハヤセのだろ?ていうか、こんな綺麗な男、同級生にいたか?」
「あのさ、竹田。彼はA組の葉月ユウセ。自宅生なんだ。これには事情があって。……頼む。どうか見逃してくれ」
「え?」
「お願いだ。見なかったことにしてほしい」
俺は深々と頭を下げる。その横でユウヒもペコリと頭を下げた。
しばらく沈黙ののち、クククっと竹田は笑いだした。
「なんか今さ、ハヤセも人間だったんだなって思ったよ。完璧すぎる寮長だと思ってたけど、ちゃんと男子高校生らしいとこもあったんだって、むしろ安心した」
「安心?」
「全く隙が見えなかったからさ。夜会の準備だって、本当は一人で全部できたんじゃないかって思ってた」
「そんなことない。皆のお陰で順調なだけだ」
「変な夢を見たってことにしとくよ」
竹田はそう言って、ひらひらと手を振り、自室へと戻っていった。
少しずつ、綻びが出始めている。そう思った。
でもあと少し。残りは水曜日と金曜日の2回だけ。
ユウヒと過ごす夜を、俺は、どうしても守りたかった。
—
俺は、本当に愚かだ。どうしようもない馬鹿だ。
ユウヒが真夜中に学園の赤レンガの塀を乗り越え部屋にやってくることを、俺自身のリスクだと捉えていた。
だからユウヒにも「バレないように気を付けてほしい」と伝えたし、一昨日、竹田にバレたときも、とにかく頭を下げ、大事にしないよう対処した。
でも、大切なことは、そこじゃなかったんだ……。
ユウヒには「寮に来ないで、ネットカフェに泊まったほうがいい」と伝えるべきだった。
練習のしすぎで疲れているのだから、尚更だ。
だけど。
ユウヒに会いたかったから。一緒にベッドで眠りたかったから。
結局、俺は自分のことばかりで、ユウヒのことを少しも慮ってやれてなかった。
水曜の夜。
施錠していない窓が、外から開けられ、カーテンが風で膨らむ。
待ち望んでいたユウヒが来てくれたと、俺はベッドから下り、彼を迎えいれようとする。
しかし、ユウヒはいつものように、身軽に部屋へ侵入してこなかった。
どうしたのかと窓の向こうを見ると、泣きそうな顔をして手招きしている。
「な・に?」
口の動きでそう伝えると、内緒話をするように耳を貸せと、ジェスチャーで訴えてくる。
耳を窓の外に向ければ、涙声のユウヒが小さな声で俺に言った。
「今、塀を乗り越えたとき、着地に失敗して足をひねったかも……」
オーディションまではあと4日。俺の頭も真っ白になる。
とにかく無理はさせられない。窓を越えて部屋に入ってくるのは無理だろうと、彼に防災備蓄庫へ行くよう指示をする。
そして俺も、毛布や、患部を冷やすために濡らしたタオルを持ち、窓から外へ出て、備蓄庫へ向かう。
またオバケ騒動が巻き起こってもいい。それより今はユウヒの足だ。
小声で彼に問うた。
「折れてないよな?」
「うん、大丈夫。軽い捻挫だと思う」
濡れたタオルを足に当てると、冷たかったようで、ユウヒがブルっと震える。
「ここ、寒いよな。今、羽織れるもの持ってくるから」
「ごめんね、ハヤセ。迷惑かけて、本当にごめん」
俺は首を横に振り、自分の部屋と備蓄庫を何往復かして、できるだけユウヒに快適な空間を作り上げた。
「朝になったら絶対に整形外科に行って診てもらったほうがいい」
「うん……」
備蓄庫の扉をしっかりと閉めて、真っ暗い闇の中、俺とユウヒは一枚の毛布に包まった。互いの体温は、毛布の中を温め、寒さを感じずに済んでいる。
俺たちは身を寄せ合い、ユウヒが痛みから気を逸らせられるよう、小さな声でぼそぼそと会話する。
「僕も、夜会に行ってみたかったなー」
「俺だって、ユウヒに上手い料理を食べさせてやりたかった。今年はイタリアンなんだ」
「いいなー。デザートもあるの?」
「あるある。土産としてバームクーヘンも渡される」
「バームクーヘンはイタリア関係ないじゃん。ドイツだよ。でも、うらやましいな。ハヤセ、招待する女の子、決まってるの」
「あぁ、そうだった……。どうしよ」
「駅前で、招待状欲しい人いませんかーって叫んだら、すぐ決まるよ」
「やだよ、そんなの」
「寮長はとびきり美人を連れて行くものなんでしょ?」
「その噂、本当なのかな。参ったなあ……」
「ユウヒはいつから一人暮らし?」
「高校入学のときから。俺も一緒に海外行くって話もあったんだけど、ダンス続けたかったし。海外で習うほど度胸もなかったから」
「そっか。あの距離に実家があると、寮には入れないの?」
「どうだろ。でも嫌だったんだよね。誰か知らない人と一緒の部屋なんて」
「分かる」
「だろ。でも、ハヤセと二人部屋ならいいな。楽しそう」
「3年から寮に入ればいいのに」
「そんなこと、できるの?」
「知らない」
「無責任だなー」
「オーディションの二次審査って、受かったらどうなるの?」
「三次審査があって、それから最終審査」
「先は長いんだ」
「そう。一次は動画審査だったから、審査員の前で踊るのは初めて。絶対緊張しちゃう」
「最終審査で受かったら、テレビの歌番組に出たりする?」
「どうなんだろ?でも大きい事務所のオーディションだし、最終審査は密着動画とか作られるんじゃない?」
「すごい。俺、絶対見る」
「あのさー、ハヤセ。僕の目標はとりあえず二次審査突破することだよ。それだってめっちゃ難関」
「でも、ユウヒならダンスも上手いし、キラキラしてるし受かるに決まってる」
「いやいや。オーディション会場に行ったら、バケモンみたいに上手い人が、ゴロゴロいるんだって」
いつの間にか二人ともウトウトしていた。スマホのアラームが鳴り、俺たちは朝が来たことを知る。
いつもは早朝に出て行くとき、この塀を乗り越えているユウヒ。
今日はとても無理だろう。
悩んだ俺は、竹田に助けを求めることにした。
食堂へ向かう途中の竹田を捕まえ、備蓄庫へ連れていく。
「あらあら。どういう状況?」
彼は毛布に包まったユウヒを見て呆れたような顔をしたが「で、俺はどうすればいいの?」と言ってくれる。
「わからない。どうしたらいいだろう?竹田」
身振り手振りで、彼が足を怪我したことを伝え、塀を乗り越えられないのだと話す。
「冷静沈着な寮長ハヤセも、だいぶ焦ってるね。落ち着いて。塀は越えなくてもいいんだよ。ここは学園内なんだから。もう少ししたら登校時間になる。そしたらその自宅生は忘れ物でもしたフリをして、堂々と正門から出て行けばいい」
「あぁ、そうか」
「そうだよ。事情はよく分からないけれど、その男を守りたいんでしょ?だったら冷静になって。このままこうして備蓄庫の前で喋ってるのは、よくない。彼を残して、俺たちは朝食に行ったほうがいい」
「でも……」
「ハヤセ、僕は大丈夫だから」
ユウヒは、毛布に包まったまま精一杯の笑顔を作ってくれた。
登校する者の波に逆らって、ごくさり気なくユウヒは正門から出ていった。
その後ろ姿は、足を少し引きずっている。
昼になっても彼は学園に戻らず、メッセージだけが送られてきた。
『足は大丈夫。今日と明日は学校もレッスンも休むことにした。いい休養になったよ』
大丈夫って……。本当だろうか?
『土曜は来れそう?』
『土曜は朝の新幹線で東京に行く予定』
日曜日には、もうオーディションなのだ。俺だって、月曜日の祝日は、夜会。
顔を見て、頑張ってと伝える機会を逃してしまったようだ。
『とにかく、今日と明日は安静にして』
迷った挙句、そう送信した。
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