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第2話
2話 星々を輝かせる者よ
霧島冬一 という男とは委員会が同じだった。
数少ない席替えで隣になった際、ホームルームの一環で委員会を決めたことがある。その時に、霧島に誘われた図書委員会に真歩も属する事となる。
優柔不断でぱっぱと物事を決められなかった事や、事なかれ主義だったことも相まって、霧島に委員会に誘ってもらえたのは御の字で、必要以上に悩まなくて済んだ。真歩にとってはこの程度の認識だった。
だがどうか、いざ蓋を開けてみれば図書委員自体の活動は盛んなものでは無く、委員会決定後に開催された図書委員の集まりで、ローテーションを組み、月毎の受付係を決定した以外に盛んな活動は無い。
それ故に真歩と霧島は深い付き合いにはならなかったものの、係の際図書室で隣り合って仕事をこなしていた時のみはよく話す仲だった。
「あの作家が面白い」「このジャンルはお前好きそう」
一言本に対して口を開いた冬一は饒舌で、楽しそうに見開かれた頁に釘付けになって、いつまでも語尾の音をはね上げながら語った。そんな姿に真歩は、『意外な一面を見た』と感じていた。
容姿端麗と言われても違和感のない造形を持ち、交友関係も男女問わずな霧島。真歩はそんな霧島に対して、音楽や車やアクセサリーといった華やかな趣味を想像していたが……。
――人は見かけによらないものだ。
そして霧島のは話が上手い。
霧島が勧めてくれた本の内容はどれもこれも興味を掻き立てた。
以前霧島から勧められた推理小説は時間こそかかったもののなんとか読破した。そのことを霧島に伝えれば嬉しそうに破顔して、鼻息荒く「誰が好きだった?」「どのシーンが面白かった?」と捲し立てられたのである。
真歩は読書家ではない。それ故に高度な評価も、知的な会話もできない。しかし、目を通した台詞や情景ひとつひとつを自分の言葉で霧島に伝えれば、感慨深そうに双眸を閉じて「わかる」と頷いてくれる。
そこに知的さや明敏な会話などは無く、ただひたすらに少年2人が楽しそうに会話をする空気だけが流れていた。
真歩はそれが嫌いでは無かったし、寧ろ楽しいとすら感じていた。
それ以来、真歩と霧島は委員会がない時は、霧島から勧められた本をじっくり読み、委員会で隣の席に座る時に会話をする仲となったのだ。
決して派手ではない霧島との交友関係に終止符が打たれたのは、大学へ進学したタイミングだった。
メールアドレスを交換するほど近くにいたわけではない2人は、お互いの連絡先など知らぬまま、其々の道を歩む事となる。
真歩も、恐らく霧島も高校3年間だけの付き合いになると言うのは薄々感じていた。だが、それを無闇に口に出すことはなかった。
真歩は人と別れる事があまりない、というより、別れが訪れるほど深い交友関係を築いた事が無かった為〝別れる〟というカテゴリに分類したことある人があまりいない。
しかし何故、高校でもっと『霧島と話さなかったのだろう』大学に進学した真歩はぼんやり考えた。もしかしたらもっと近い友達になれたかもしれない、自分の内側の暗部を見せても、あの笑顔で吹き出して笑ってくれるかもしれない。そしてなんでもない様に「お前らしいな」と言ってくれたのかもしれない。
たらればを重ねて行けば何故自分は動かなかったと後悔が後をたたなかった。
いや違う、きっと真歩は冬一に拒絶される事が怖かったのだ。
誰に対しても何に対してもへらりと笑う仮面をつけている事、事なかれ主義で波を荒立てない、善悪こそついているが誘われた悪に対して否ができない弱い自分を。――霧島の芯が通った声で否定されるのが、期待を裏切るのが怖かったんだ。
だから3年我慢すればいずれ忘れてくれると、打算的に霧島とは未来の約束を交わさなかったのだ。
そんな汚い自分は鏡写しの様に『そのまんま』に成長した。
そして真っ直ぐで綺麗な霧島は見事な〝大人〟へと成長していた。
しかしながら、まっすぐな霧島との数年ぶりの会話は実に楽しかった。
あの頃とは違う目線、履歴、声だけれど、根本は矢張り霧島である事には変わりない。双方が共有している昔話に笑い合って気付けば同窓会は解散時間であった。
「なあ、神渡。正直お前とはまだ話し足りない。今度飲みにでも行かないか?」
そう言ってスマホを取り出す霧島。操作している指先は通話アプリを呼び出しているのだろう。
以外な誘いだった。
まさか自分が高校時代に避けていた道に霧島が突っ込んでくるとは、と。
ここで連絡先を交換することを渋れば聡明な霧島のことだ、きっと何か変な勘繰りをされるに違いない。なにより霧島からの誘いを無碍にできるほど彼を知らないわけじゃない。
嫌な音を立てる動悸を隠して顔に笑顔を張り付け、スマホをポケットから取り出す。
「勿論だよ、LMINでいい?」
「ありがとう。なんだかんだ連絡先の交換初めてだな」
QRコードを読み込んで初めて見るアイコンが表示される。それを追加するのを少し躊躇った。かく言う霧島は真歩のアイコンを迷いなく友達追加する。
「あ、…ああ!おれ、スマホ買ったの大学からだったから…」
「え!?マジかよ。今時小学生でももってんぞ?」
ごめんなさい嘘です。普通に高校時代には持っていました。苦し紛れの言い訳と苦笑いを貼り付けて藁にもすがる思いで『流されてくれ』と心の中で祈る。
「…まあ確かに神渡って学校にスマホ持ってきてなかったよな。持ってなかったなら当たり前、か」
「そ、そうそう。はは…」
苦し紛れの言い訳だが、霧島なりに理解してくれたらしい。
もしかしたらただ根掘り葉掘り聞き出すのを避けてくれた優しさなのかもしれない。ただ、今はその優しさに甘えよう。さっさと次の話題を振ろうと頭を回転させる。
「そう言えば、霧島って今何してるの?」
「あ、俺今小説家やってる」
恥ずかしそうに右頬を掻きながら、それでも楽しそうに形のいい唇を横に伸ばして笑う霧島。
「意外だろ〜?」と敢えておちゃらけてみせる霧島に対して、真歩は1人、『そっか』と納得していた。元々委員会活動中であっても真っ直ぐ本に情熱をぶつけていた霧島には最善な仕事の様な気がする。
造詣も深く、本から得た知識にも長けている霧島であれば小説家をしていてもなんらおかしくない。それ以上に、自身の創作物を世に打ち出す熱量と器量の良さに感心してしまっていた。
「え、そうなの?凄いね」
「凄いかどうかは分からねぇけど。まあ…それなりに努力はしてきた、と俺は思ってる」
徐に視線を上げて遠くをぼうと見つめた霧島はなんだか眩しく見えた。「努力してきた」そう言い退けてしまう霧島の目は今何を写しているのだろうか。過去の自分か、将又更に大成した未来の己か。
どちらにしても真歩にとっては遠い存在であることには変わりなかった。
胸を張って頑張ったことなど、おれにはあるのだろうか。
過去を反芻しても、なし崩しに入学した大学、死なない程度に働いている今の会社。できる努力など星の数ほどあったろうに、そのどれもを無視してきて今の自分がある。
あの時、小さな努力でも積み重ねていたら、
いま自分はおれの思う“大人”になれていたのだろうか。
目の前の大人は可能性を1つずつ極めて星の様に輝かせ
、自分だけの宇宙を作ったんだ。キラキラと輝く努力の星々。大小あれど磨きをかけられたソレは誇りを持って空を照らしている。
じゃあ、おれは?おれの宇宙には何が残っているんだろう。
ぽつんと真歩だけが取り残された空には、“武器”と呼べるものが何ひとつ漂っていない。前後もわからなくなる暗闇の中、道標となる輝きもなく、途方に明け暮れて最後は果てる未来が想像できて、なんだか悲しくなった。
霧島の方を見る事ができなくなった真歩は、霧島から目線を逸らす様床を見た。
「あ、雪だ。」
「え?」
ホテルの出入り口で、肩を並べて出てくれば霧島がふとそんな言葉を漏らした。驚いてパッと顔を上げれば街灯に照らされてゆらゆらと不規則に白い結晶が降り注いでいる。どうりで寒いわけである。急いで腕にかけていたコートに袖を通す。多少マシになった寒さも、着たばかりのコートでは暖かいとは言えず、この中を歩いて回るには心元ない。
「うわ〜寒みい…」
「本当だね…これは、早く駅まで行こう」
ずらずらと同窓会にいたメンバーが駅までの道を歩いている。飲酒をしたものも多く体温が上がっているのかバグっているのか、ゆったりとしたテンポで歩き続けている。真歩には寒さでその緩やかな歩調だと体が温まる前に凍死してしまうと本気で思った。
「はは!神渡寒そうー」
「寒いよ!霧島は平気なわけ!?」
「俺も寒い!」
コートのボタンを全て閉じ、ポケットに手を突っ込み首を縮こませ、どうにか暖を取ろうと必死な真歩。その首元に暖かい何かを感じた。
男性物の香水と少しのタバコの匂いを感じるふわふわとした温かな感触。驚いて目を開ければ霧島がやけに優しい笑顔で、真歩に自身のマフラーを巻いている。
黒色でシックなソレを、ぐるぐると何度も顔の周りを周回させて先端同士を一回結ぶ。
「よし!」
「は?え?何?」
「見てらんねぇぐらい寒そうだから貸してやるよ」
「ほらほら頑張れ〜」なんて語尾を伸ばす霧島は、踵を返して集団の後を追っていく。
突然の事に動揺して歩みを止めてしまったが、ハラハラと舞う雪が霧島を攫っていってしまいそうな気がして急いで歩調を戻した。
「き、霧島!」
「お前さ」
突然、先ほどまでの楽しそうな声色は鳴りを顰め、悟らせる様に真っ直ぐ、でもどこか優しげな芯のある声で真歩の名前を呼ぶ。
遅れをとってしまって霧島が今どんな顔をしているかは見えない。きっと今の霧島が真歩に「努力をした」と告げた時と同じ顔をしている気がした。
とくんとくん、と自分の心臓の音が耳に聞こえるぐらい周りの音が掻き消された。そしてその冴えた耳は一語一句霧島の声を聞くために働いている。
「お前って、自分が思っている以上にしっかりと生きてると思うよ。少なくとも俺はそう思ってる。だからさ、そんな悲しそうな顔するなよ。人っていうのは案外子供だけど憂いを帯びる程大人になれてねぇ訳じゃねえよ」
「だからさ」そう言ってこちらを振り返る霧島の双眸には、間抜けな顔を提げた真歩が写っている。雪の中互いに鼻を赤くして、口から漏れる息遣いが白く可視化されている。でも、それでも霧島は、なんだかんだカッコよくて笑っていて真っ直ぐ真歩を見つめていた。
「諦めるにはまだ早ぇんじゃねぇか?」
神渡真歩には夢がない。大学も会社も今の自分が入れる所をなし崩しに選んで、〝いい人〟の面を顔に貼り付けて過ごしていた。
その生活は真歩が死ぬまでずっと続いていくものだと真歩自身も思っていた。
だけど、それも今日限りなのかもしれない。
雪が運んできた思いも寄らないきっかけと言葉に真歩の心が揺れ動いたから。
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