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第3話

3話 束の間の晩餐 同窓会から2ヶ月ほどが過ぎようとしていた。冬は鳴りを顰めるどころか厳しさを増し、水を得た魚のごとく勢いを増している。   あれから霧島とは適宜連絡を取り合う仲となった。大体の連絡と言えば霧島からの飲みの誘いが専らで、『次の金曜日あって飲みに行こう』だとかに1、2を返して了承する。  LMINを見返しても、霧島の提案、真歩の了承、時刻の共有、真歩の了承…の繰り返しのみ。実に味気ないシンプルなものだった。  かく言う本日の夜も、霧島との飲み会だ。デスクワークもそこそこにしたいが、どうにも区切りが悪くズルズル仕事をしている。気づけばあっという間に定時は過ぎ、花金に浮き足立つ同僚達を恨めしげに見送った。   やっと真歩が解放された頃。定時から1時間も過ぎた時刻になってしまった。霧島に指定された時刻は15分後に迫っている。  元々酒類が強くない真歩は、どうせ飲むのであれば自宅付近が良い。霧島もそれを承知しているからか、毎回通っている店は会社から離れてはいるが真歩の自宅からはそう遠くはない。  ――つまり、決して15分では居酒屋に付かない距離にある。    油断した。  霧島との飲みの際は遅れる事なく合流する事が常だっただけに、今回の残業は予想外もいいところだ。  慌ててスマホでLMINを呼び出し霧島へ連絡をする。 『ごめん、残業した。30分後に着きます』 怒っているだろうか、不安になりながらも、暫しスマホを両手に携え画面を睨む。するとあっさり既読が付き、霧島からの返答が返ってくる。 『お疲れ。先始めてるから気をつけて来いよ』 そのメッセージの後には、よくわからない犬のようなモノがどえらい笑顔でサムズアップしているスタンプが送られてきた。  良かった、怒ってはいないようだ。   霧島はマイペースだが、変なところで気がきく男だ。  霧島が、このまま真歩が着くまで外で待っていると、言えば、寒空の下で待つ霧島を案じて真歩から「室内に居ろ」と言われるのは目に見えている。その手間を省いて一手先を見越した行動をとり、ついでに真歩を労わる事ができる男である。   『気性な奴』と苦言を呈したいが、これも僻みでしかないのだろう。  真歩はひとつ鼻を鳴らしてからスマホをポケットに仕舞い駅まで急いだ。 自宅最寄りから急行で2つ程離れた駅で下車をする。居酒屋までの道のりは心得ているが、それ以外の場所はあまり良く知らないため、脇見せずに一直線行き慣れた道を進む。  暗く足早な人たちが行き交う路地をひとつ曲がると、急に明るい雰囲気を醸し出すこの瞬間が嫌いではない。  冬ならではの、外気とは裏腹なオレンジ色の優しい灯りが両脇を点々として、何処からともなくいい匂いが漂う。  暖簾を引っ提げた家屋が左右に並びその中から「商い中」と書かれた分厚い看板が立てかけてあるひとつの扉を横にひいた。 「いらっしゃいませェ!」  大きく伸びやかな店員の声に木霊する様に、店内の所々から迎え入れられる様な、元気な声が聞こえた。  冷えた外の空気を忘れさせてくれるアットホームさが真歩と霧島は気に入り贔屓となった。  そのうちの1人が真歩の方へ駆け寄り愛想のいい笑顔で「1名さまですか?」と小首を傾げて微笑んだ。周囲の雑談に掻き消されない様に少しばかり声を張って店員と会話をする。 「待ち合わせです」 「かしこまりました!どうぞ」 半身を引いた店員の前を歩き霧島を探す。後ろから「お待ち合わせ様ご来店です!」と、また元気の良い声が聞こえた。  待ち合わせと言う単語に顔を上げる男がいた。そちらを見やれば、にこりと笑みを携えた霧島が片手をゆるゆると振っている。  霧島の方へ歩みを進めて着席がてらに軽く謝罪が口から出た。 「ごめんね、遅くなって」 「だから気にすんな。先初めてっから。ほら、神渡もなんか食え」 邂逅の辞もそこそこに、メニューを手渡してくる霧島に苦笑いを浮かべる。「僕ってそんなに食いしん坊に見える?」訴えかければ、先に注文していた焼き鳥串を頬張る冬一がフッと笑った。 無言は肯定、か。   手渡されたメニューにはズラッと料理やドリンク、アルコールが記載されている。何を頼もうかと吟味する。  酒を入れる前に先にソフトドリンクでご飯を食べよう。ここは焼き鳥が旨い。しかしながら居酒屋と言えば、だし巻き卵や梅水晶なんかも捨てがい。あ、こっちの炒飯、ここの焼き鳥入ってるんだ…これは、旨いんだろうなぁ…。  あれやこれやと商品に目移りしていれば、目の前の霧島が吹き出す。  何かと思って目線を上げればタバコを持った手で口元を覆っている。 「…?なに」 「いやぁ?神渡ちゃんは百面相が上手だなって」 「あ、お願いします!」と半笑いの霧島が店員さんを呼んだ。その仕草こそスマートであるが、『神渡を揶揄うのは楽しくて仕方ない』と書かれた顔面に、細やかな苛立ちを覚えた。 「霧島がちゃん付けしてくるのって、おれを揶揄う時じゃん!なんだよ!」 「まあまあ、そうかっかしなさんなぁ。褒めてるから」 「…褒めてないだろ?」 更に言い返そうとした時、丁度店員さんがこちらへやってきて片膝をつく。  「オーダーお伺いします!」ささやかなる戦争の終止符が打たれた瞬間である。にやけ顔の霧島を、じっとりとした視線で睨み返しメニューに向き直る。 「炒飯と、焼き鳥の…つくね、かわ、もも、ぼんじりを…全部タレでください。あとー、だし巻き卵、餃子、手羽先、梅水晶、韓国海苔。あ、烏龍茶もお願いします」 「おいおいおい。頼み過ぎだろ」 驚いた、という視線を向けてくる霧島にふふんと鼻で笑ってやる。――僕を誰だと思ってる。 「万年お家から出ない人とは、体の作りが違うんです〜」 「お?喧嘩か?買うぞ?それに、俺は家からんじゃない、出なくてもから出ないんだ」 「どうだ…か!」 「あ!おい!」静止する声を無視して、霧島の目の前にあった美味しそうな焼き鳥を一本拝借する。 「うん、うまい」「大事に取っといたのに…」と項垂れる霧島に「先に喧嘩売ってきたのはそっちでしょー?これでおあいこ」と言って焼き鳥を貪る。もちろん、笑顔は忘れない。   「――全く」顔を上げた霧島が柔い瞳でこちらを見る。  頬杖をついて形のいい顔を男らしい広く節のある掌に乗せる。造形の良い唇がゆるりと歪み、なんとも言えない端正な表情で小さく呟いた。  この騒がしい居酒屋の中では何を言ったかまでは聞き取れず、聞き返すと「なんでもない」と一蹴してタバコを灰皿に押し当てた。 ガヤガヤと煩かった居酒屋が段々と静かになっていった。しかしそんなことも気にならないほどに、霧島との会話は弾む。 今の仕事の話、同級生の進路や現在の話、霧島が興味のある新刊。会話はどんどんと花開き、箸も口も止まらぬほど夢中になった。   「失礼いたします!」   店員が卓の前で膝をつき伝票を構える。  何だろうと顔を向ければ、申し訳なさそうな笑顔と共に「お食事もドリンクもラストオーダーになります」と告げた。 はっとさせられ、腕時計を見やればクローズの45分前である。 「神渡、まだ食いたいもんある?」 「い、や。僕はここまでで…」 「ん、俺もいいや。俺たち以上で」 「かしこまりました!」溌剌と言い放った店員は一礼して次のテーブルへ足を向けていた。 果たしていつぶりだろうか。こんなにも心が穏やかで、時間を忘れて話し込んだのは。  ――まるで学生の時の様だと漠然と思う。  霧島は相変わらず話がうまく、それは高校の時からもそうだった。1を発せないおれは、いつだって霧島の2の言う言葉に、匙一杯の感想を言うことしかできない。  でも霧島は、そんなおれの拙い言葉を拾っては噛み砕き、心地の良い言葉とともにおれへ返してくれる。  終業のベルがなってから、完全下校までの数時間足らずだが、日が沈むのを悲しい表情で見ていたあの時と同じ心地だ。 「…あ」 突然、霧島が声を上げた。手元を見れば、グシャグシャになったタバコの外箱と、クセで取り出されたライターである。 「吸いきっちまった…」 「え、もう無いの?」 そう言えば食事中に、真新しいタバコを開けたばかりだったと記憶している。それをものの数時間で吸いきってしまうなんて、とんだ、肺ドス黒おばけである。 「服装だけじゃなくて、肺まで真っ黒なの?霧島は」 「っふは!わりぃわりぃ〜。でも、吸うって決めてお預け食らうのは好かねぇなぁ〜」 霧島の物である小綺麗な黒いカバンから長財布を取り出して、お札を数枚重ねる。その所作がなんだか『できる大人』な雰囲気で面白くない。  おれは最後の一本だった焼き鳥を完食する。 「んじゃぁ、お皿も空になったことだし、タバコ買いに行くから付き合って」 語尾にハートでもつけているのかと思う程に、おちゃらけた言い方をする霧島に寒気を感じながら、重ねられたお札の1枚を霧島に返す。 「ん?割り勘だろ?」 「今日…遅れてきたから、タバコ代にでもしといて」 「んなもん気にしなくていいのに…」 「俺だってちゃんと稼いでるもん!」キャンキャン子犬のように鳴く酔っぱらいに、そこはかとない恥じらいを感じ、他人を装ってそそくさとレジへと足を向けた。 会計を終え、明るい挨拶と共に暖簾を潜る。建付けの悪そうな引き戸ではあったが、役割を外気を遮断する役割は果たしてくれていたようで、冬の深夜が容赦なく素肌を刺す。ピリピリと切先を当てられる様な冷え切った空気が、内側で育った温かさを容赦なく奪う。 「うわ!さっみ〜!」 「おい!くっつくな!歩きづらい!」 「神渡ちゃん、強情〜!」 これだから、酔っ払いは!内申イライラするものを、冬の空気とともに押しやって、初めて二人三脚をするかのようなゆったりとした速さでコンビニを目指す。 2人分の足音と、2人分の喧騒、2人分の結露した空気が空に溶ける。空は白むことなく相変わらずの帳姿である。 ジャリッ、ジャリッ。不揃いな足音はなんだか霧島の話し声よりも矢鱈と耳が拾った。ろうそくが揺れる様な歪なテンポが心地よい。   霧島とのサシ飲みは、最初こそ遠慮してソフトドリンクのみを口にしていたが、回を重ねるごとに『霧島相手に遠慮をするのが馬鹿』らしく感じてしまい、今では少しだけお酒を飲むようになった。  おかげで、身体はほろほろと暖かく、凍てついた寒空を肩を並べれば歩ける程度には温まっている。 居酒屋から一番近いコンビニへ到着すれば、霧島はさっと真歩の隣から消え、なんて事ないように自動ドアへ吸い込まれる。 若干の肌寒ささえあれど、融通が利くようになった足元は軽い。 併設された駐車場のポールへ近寄り、背中を預ける。  兎に角、今年の冬も寒い。ただひたすらに霧島を待っているだけでは凍えてしまいそうだ。…かと言って深夜に走り回る20代男性なんて、職質してくださいと言っている様なもの。運が悪ければしょっ引かれるかもしれない。寒空とは別の冷たさが背中に走り、なんとなくポールから離れてシャンと背筋を伸ばした。 何度か自動ドアの開閉音がなった頃、気配を殺した男が、真歩の背後へと立つ。 ――そして手元に携えたそれを容赦なく顔へ押し付けた。 「っあつ!?」 「へへ〜、驚いたぁ!」 真歩が急いで振り返った先には、満面の笑みで鼻を赤くした霧島が立っていた。真歩の頬へ寄せられた手には、缶コーヒーが握られている。 「おまたせね、神渡ィ」 「ハイこれ」渡されたコーヒーは、そこのコンビニで買った物だろう。タバコだけ買うんじゃなかったんだ。  鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしている自覚はある。  だが、よく考えてみれば霧島は気の使える男だ。真歩を寒空の元待たせている罪悪感と、居酒屋で返した千円札。霧島の手には真歩用の飲み物と自分用の飲み物、それからタバコ。 「…丁度千円ぐらい、ね」 「何?」 煮え切らない。大人っぽい行動をする霧島が相変わらずカッコよくて、衝動のままプルタブを起こす。勢いのまま流し込めば食道を温めるコーヒーが嚥下された。  霧島といえば、疑問符を並べたままビニールを切り取り、慣れた手つきでタバコの封を開けていた。 ライターが擦れる音と、僅かに灯るオレンジ色。さっきの居酒屋街の提灯の様を思い出す。  暖かい色。その色が今、霧島のタバコのフィルターに移って小さく燃えている。   暖を取るには心もとない、フィルターの燃える温度と、コーヒーの温度。でも何故か、澄んだ空気の中でも堂々と立ってられるような安心感さえ有る。   「フゥー」、と霧島が紫煙を吐き出す。先程までのいたずら小僧の様な意地の悪さは鳴りを潜め、ただニコチンを感受する大人な仕草に見えて仕方ない。 「ねぇ、霧島。タバコって美味いの?」 「ん〜、慣れちまえば、美味い!むしろ無いとしんどくなる」 「なんだそれ」真歩は缶を両手で包み込むように抱える。まるで縋るような仕草を霧島には見られていないだろうか。   周りばっかり大人に見える、自分ばっかり子供のままに見える。時代に置いてかれる焦燥感は誰よりもわかっているつもりだ。だから、熱を失って別の姿に変わる缶コーヒーにすら、待ってと嘆いてしまう。   嗚呼、さっきまで己の両足が地についていたと思ったのに。今はもう、置いてかれまいと我武者羅に走っている気分だ。明けない空を、星の飛ばない宇宙を、終わりのない冬の深夜を、ただ僕一人だけが走っている。 トントンと、コンビニ前に設置されて着る灰皿に灰を落とす音で意識が引き戻される。  不自然に会話を途切れさせてしまった。内心の動揺と劣等感を見抜かれていないだろうかと、霧島を盗み見る。しかしそんな心配を他所に、霧島の目は真っ直ぐ先へ繋がっていた。   ――豊かな黒髪を伸ばし、肌の白いスラリとした女性。ひと目見て皆が綺麗だと口を揃えそうなその女性。彼女はこちらを見やれば、真っ赤なルージュを歪ませて吐き捨てる様に、睨み殺すように、霧島へ声をかけた。 「冬一…!!」 「姉、さん」

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