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第6話
6話 12月の小春日和
かさついた霧島の声がインターホンから聞こえた。とりあえず、生存は確認出来たことに安堵した。真歩を呼ぶ声がささやかな生命力と、急な来訪故の焦燥が含まれていて、室内で倒れているかもという最悪の想像は無くなった。
「急に来たりして、ごめん」
語尾を震えさせないように柔らかくものをいう。敵意や猜疑心を感じさせない物言いをしなくては、と頭は回転し続ける。わざと真実を曲げる事は必要ない。純粋な感情をもっていればいいだけなのに、久しぶりの霧島との会話に鼓動ははやる。
泣きたいほど、嬉しいはずなのに――。真歩の心を占拠する焦りは未だ顔を見られてない霧島へと向いている。
「なんで、俺の家……知ってんの?」
「玖珂さんって人から連絡が来て、住所教えてもらったんだ」
「玖珂さん……」ため息を吐くような、落胆とも、安心ともとれる呼吸が伝わる。慣れ親しんだ距離感なのだろうか。本人不在で軽口をつける関係に、ざわりと形容しがたい感情が顔を出す。
「霧島こそ、おれの話してたんだろ?お相子だよ」
「っぶは!そうかも」
覇気こそないが、霧島独特の笑い声が聞こえたことに安心した。週末、居酒屋で酒を酌み交わすときの様な慈愛を含んでいる声が、外気に冷やされた耳に心地よかった。
「……ねえ、霧島。顔みたい」
勝手に喉から出た言葉に霧島のみならず、真歩まで驚いた。本来、霧島の生存を確認さえすれば玖珂から任せられた任務は終了する。しかし、押し込めていた欲望が暴走してとんでもない事をぶちまけてしまった。
「っ!あ、いや、えっと…」
「ごめん、なんでもない」と続けようとした言葉は、霧島の方から遮られる。霧島からかけられる言葉が真歩の焦りを溶かしていく様で、酷く安心した。――たとえ、拒絶の言葉を掛けられると分かっていたとしても。
「家、今すっげぇ汚ねぇ」
「っそ、そうだよね」
急な来訪ではあった。友人を家に招くなんて約束をしなければ、いつでも行える人の方が少数であろう。困らせてしまった、そんな実感が真歩の中で蟠る。自己嫌悪しそうな苛立ちを隠して、インターホンに向き直る。
「急だったもん、しょうがないよ。良ければ日改めさせて」
「それじゃあ」重心をそらせて踵を返す。早くこの場から立ち去りたい。緊張もさることながら、一線を引かれてしまった事への落胆がバレたくなかった。沈黙していたスピーカーが冬の世界を凛と揺らした。
「今、外出れるようなカッコしてねぇし、髭も剃ってないけど、――俺も、真歩の顔が見たい」
予想だにしないひとことに、心臓を掴まれた。キュッと一瞬息が詰まり、ダクダクと喧しいほどに心臓が動き始める。血が沸騰するみたいに全身を駆け巡る。冷えていた末端が常夏のように色づいていく。
おれの顔が見たい?霧島が、今そういった。紛れもない真実に逃げ道を探すが八方塞がりで、このまま提案を断る理由など真歩にはない。
――強いて言えば、今真歩に足りない物は、勇気だけである。
「嫌、じゃないの」
「ああ」
「おれに、会いたいの?」
「ああ」
「だから、そういっている」霧島からのダメ押しも、真歩を赤面させる燃料にしかなり得ない。 こんな感情、初めてだ。脳がバグって、おかしくなる。怖くて、怖くて仕方ないのに、心だけは温かい。真歩は両の手で顔を覆う。良かった、霧島宅のインターホンに、カメラ機能が付いていなくて。こんな顔、友人には見せられない。
すると突然、真歩の奥にあるガラス扉が勝手に開いた。突然の事に動揺していたら、再度霧島から声がかけられる。
「扉、開けたから。――ちゃんと待ってる」
「きり……!」
ぷつりと、音を立てて切られた会話。霧島はもう非対面で会話する気のないようだ。――会える、霧島に……!でも足が震えて、一歩を踏み出すのが苦しい。鉛にでも変わってしまったような自分の下半身を叱咤したい。
今動けよ!動かないと!――絶対に後悔しちゃうから!
真歩は人づきあいが苦手だった。人並の関わりも、会話も、幸福も、全てをほかでもない霧島がくれたものだった。思い出すだけで冬を乗り越えられるような温かさ、掬い上げてくれたのはやっぱりあの宇宙色だった。広いだけの真歩の宇宙を照らしてくれた一等星。その一等星が会いたいと望んでくれたんだ。他でもない、真歩と。
だったら、今のおれは……。
ザラッ、アスファルトから、最初の一歩が宙へ浮く。時が止まった様に音の無い世界へ切り込みを入れる。タンッ、響く足音は、リノリウムの音へと変化した。
霧島が住むのは301号室。
階段よりもエレベーターの方が早く霧島に合えるのではないか、打算まみれの思考で矢印のボタンを押す。元々近くに留まっていたらしい密室が真歩を飲み込もうと口を開ける。フロアのボタンを押して、そのまま壁に背を付いた。
――なんだか、疲れた。目的のために奔走するなんて、何年振りだろうか。
のらりくらりと人生を歩んでいた真歩にとっては、心臓を傷め、思考を巡らし続ける行為は初めてといっても違わない。
誰かの為に生きるのって難しいな……。内心でため息を吐いた。おれにとっての初めてを、霧島はどう思うのだろうか。重いと、感じてしまうだろうか……。拒絶する霧島の顔が脳内で生成されていく。現実では見たこともない妄想に心を殺される気分だ。とても、冷たい。本当にこんな顔されたら立っていられないだろうな。
人が居ないのを良い事に壁へ頭を擦り付ける真歩は苦笑した。
ピンッ。真歩の乗るエレベーターが3階へ到着したことを告げる。容赦なく開かれる扉は非情で、さっさと蹴り付けてこい、と言われているみたいだ。
たどり着いた扉は、無機質な白い色をしており、表札が当たり前のように『霧島』を掲げている。
霧島の過ごしてきた家、武灯冬和としてペンを走らせた場所。どこもかしこも非現実的なその場所に、真歩は立ちすくむ。
入ると、会うと、決めたじゃないか。今更怯えるな。左右で伽藍洞を掴んでいた手が、真歩の頬を叩く。べちり、鈍い音を立てて痛みを生んだ。
見据えた扉は形こそ変わっていない。でも心構えがあるだけで、冬を越した温かさをはらんでいるみたいだ。
ピンポーン、真歩の感情とは裏腹の明るい音色が響く。とうとう霧島へ存在を主張してしまった。焦りが体内を蹂躙するよりも早く、扉の内鍵が大きな音を立てて開かれる。ドアノブが回り、扉が数センチほど開かれた。
「霧島……」
「……神渡」
返された言葉に、真歩の鼓動が大きく跳ねた。スピーカー越しではない、確かに存在した低い声が聞こえた。室内は電気がつけられていないのか、薄暗い室内から黒い腕だけが伸びている。
何十日ぶりに合う霧島は、いつもとは纏っている雰囲気が違う。朗らかで、いたずらっ子で、どこか大人びた霧島は鳴りを潜め、灰色の世界を見続けるだけの生活を送っていたころの自分ととても似ていた。あの日、霧島にマフラーをかけてもらう前の、ただただ日常を食い物にしていただけのおれと。
「開け、るよ?」
扉の隙間へ指を差し込み、自分の方へ引く。抵抗などはなくすんなり開いた扉は不自然に軽い気がした。
相変わらず、扉の前から動こうとしない家主を両目で見つめる。
ボサボサな髪は、いつも襟足まで整えられている繊細さがまるでなく、ただ頭部から垂れ下がっているだけ。虚ろな瞳は真歩を見つめてゆらゆらと揺蕩っている。必要以上に真歩を見つめない霧島の宇宙の中は、光ることをやめた天の川のようだ。無精髭と半開きの口元、そのまま魂が抜かれてしまわないか不安になった。サイズのあっていないスウェットは、襟周りから中のインナーが見えている。凍える冬なのに、腕まくりをしているのも不可解だった。
「……」
「……」
お互いに無言になる。その間も霧島の双眸は揺れ動いている。軌道を描くガラス玉にこちらを見て、と言いたくなる。――おれが居るのに。芽生えた感情を悟られないように蓋をして追いやる。
足元へ手をやり、靴を脱いだ。その音がやけに大きく響いてもう戻れないことを察する。それでもいい、霧島のことを知れれば。その一心で真歩は霧島宅へと上がった。
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