7 / 11

第7話

7話 日常の具現化  上げてもらった霧島の家は、モノトーンと消費尽くされた日常が混在した。黒やこげ茶を基調としたインテリアは、派手を好まない霧島らしく落ち着いた雰囲気で、専門家にでも監修してもらったのではないかと思うほど出来上がった配置、彩である。物があまり多くない雰囲気でもある部屋だが、ただ一つリビングには大きな本棚が鎮座しており、入りきらなかった本たちが平積みになって横たえていた。  そんな完璧な部屋で異彩を放っていたのは、消耗品の乱雑さであろう。カップ麺や飲料水、時短食の空袋が、申し訳程度に30リッターのごみ袋にまとめられている。生活を送るうえで食が無頓着になった事が目に見えて、ここ数日間の霧島の食生活がとても不安になった。真歩と食事をする際には量は少なくとも、色々なものを食べていたのを知っている身としては、食をおろそかにしていた事実が意外だった。そこまで追い詰められていた事にもっと早く気づけていられればと後悔が募る。  リビングに案内されるまでに通った、半開きの扉の先。華奢な机と、ベッドがあった場所……。恐らく自室に、高い塔になっている様々な本と、破り、丸めて捨てられた原稿用紙が、霧島の苦悩を表していてとても見ていられなかった。 「霧島……」  あまりの悲惨さに口から洩れた心配への返事はない。きっと霧島もいっぱいいっぱいだったんだ。あの夜、急な姉との邂逅、掠める家との確執。そのどれもが、霧島を霧島として生きられないようにするには、充分過ぎたのだ。   「――!!」 「ッ!?」  脳が信号を出すより早く、真歩は霧島の手を掴んでいた。必要な言葉は、真歩には語れない。霧島が語ろうとしない真実以上に、真歩が人づきあいが少なかった事が。まさか、こんな大事な場面で遅れとなるのか、その場限りの学生生活を送っていた事への後悔に真歩は苦虫を噛み潰したような顔をする。涙をせき止めてでもいるのか、ぐしゃりと歪められた顔をする真歩に霧島が怪訝な顔をする。 「…どうして、神渡がそんな顔、すんだよ」 「おれだってわからない」 「でも!」続いた言葉は頭が考えるよりも早く、心で語っている言葉だった。真歩の宇宙を優しく照らしてくれた、かけがえのない霧島という存在。もしその霧島が暗闇で歩けなくなっているなら、今度は真歩が霧島を照らしたい。やり方も、して欲しい事もわからない。それでも真歩なりの光が霧島の道標になるなら……。   「霧島、話を聞かせてほしい。あの晩、何を思ったのか…」 「そ、れは……」  眉根を寄せて黙り込んでしまう霧島。話すべきかどうかを慎重に悩んでいるみたいだ。真歩は、急がせること無く霧島の手を握って彷徨う夜の色を静かに見つめていた。霧島の暗部、もしかしたら遠い過去に根を張っているデリケートな部分かも知れない。そんな大きな問題を解消させてやれるか、真歩にはわからない。でも、何も言えず、何も動けず、ただ光を手放していくだけの霧島が少しでも生きやすくなるなら。真歩の行動に意味を感じてくれるなら、と。  願うように沈黙する真歩の目線に帷が絡む。水膜を張ってゆらゆら揺れているアンドロメダは、一度瞬きをした。 「神渡…実は、」  そう言いかけた途端、影がどさりと床に落ちる。一瞬、脳が真っ白になり、あまりに急に崩れていく霧島を受け止めることができなかった。スローモーションの世界で、意識を失っていく霧島は口を必死に動かしていたが、空気を食んでいるだけでなんて言っているか聞き取れなかった。  フローリングにうつ伏せになった霧島へ慌てて駆け寄る。呼吸は浅く、速い。よく見れば、いつもの白い肌が若干赤らんでいて汗もにじんでいる。 「霧島!霧島!!」  触れた額は異様に熱く、明らかに発熱をしていた。その事実に血の気が引いていく。霧島は、体調が悪いにもかかわらず、真歩を家に上げる事を選んだ。何のため部屋に呼ばれたかは真歩にはわからなかったが、無理をさせるトリガーを引かせてしまったのは紛れもない事実だ。ぱたたっ――。瞳から大粒の水が流れていく。蛇口を捻った様に止まることを知らない涙は、次々に霧島とフローリングを濡らしていく。  泣いている場合じゃない、早く霧島を――。形容できないでいる感情を押し込めて、霧島を抱える。姫抱きが出来ればよかったものの、細身とは言え自身より幾分も背が高い相手を抱えるのは難しく、肩へ手をまわして壁伝いに先ほど一瞬見えた寝室まで引きずっていく。  掛かっていた掛け布団を剥がし、霧島を横たえる。一度に放り投げる様にするでは無く、割れ物を扱う様、丁寧に寝かせた。そのまま布団を掛けなおした所で、足から力が一気に抜けた。  重力に従うようにくしゃりと尻を付いた真歩。相変わらず涙は止まる気配を見せない。苦しそうに眠る霧島を見ている、それだけで、真歩の後悔が募る。突然家に訪問したこと、顔が見たいと言ってしまった事、霧島に無理をさせてしまった事……。そのどれもが真歩の心を強く縛り上げる。嗚咽でも出そうな荒い呼吸と胸の苦しさで、霧島に向かってなんども誤ってしまう。「無理させてごめん」「気づけなくてごめん」返事のない応酬に意味は無く、ただ霧島の身を案じて真歩が号泣する悲しい時間だった。 「神渡……」  突然、霧島が真歩の名前を呼ぶ。意識が戻ったのかと慌てて顔を見やれば、変わらず苦しそうな表情の霧島は目を閉じている。寝言、だったようだ。真歩の後悔の独白を霧島に聞かれていない様で少し安心する。友人相手に真歩の感情は重た過ぎた。  人の寝言に返事をしてはいけない、そんな迷信があるが、今の真歩はそんなことも忘れて、霧島へ語り掛ける。「ごめん、ごめんね」と。  離されてしまった掌を布団の上で握りしめる。その手に温かいものが被さった。 「行かないで…神渡」  真歩の手を壊れんばかりに握る、一周り大きい霧島の手。そして、大人らしかぬ甘えた声を出した霧島。真歩は、ハッとさせられた。高熱で体調が悪い中訪れた真歩は、批難されるものだとばっかり思っていたが、無意識の霧島が、行くなという。  離れないで、と縋る手はどういう意図なのか。止まっていた鼓動が少しずつ動き出す。気づいたら絶望の涙は止んでいた。  『――俺も、神渡の顔が見たい』『行かないで…神渡』  霧島から確かに言われた言葉。の言葉は噓だと決めつけるにはあまりにも澄んでいる、雪解け水の様な言葉。想像の霧島は、真歩を非難していたが、本物の霧島は真歩が家を訪ねてきた事を咎めはしなかった。  ――これが、答えなの?真歩の中に浮かぶ、都合のいい想像が光を背負って小さく輝き始める。信じていい、のかな?  神渡真歩には何もない。何もなかった筈だった。輪に混ざる事も、赦される距離にいることも、できないとばかり思っていた。  しかし、霧島だけは真歩を赦したのかもしれない。何もない宇宙を優しく照らす隣人の手をこちらから握り、優しく語り掛ける。 「大丈夫、霧島……。ずっと近くにいるから」  

ともだちにシェアしよう!