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第8話
8話 悪夢の再現
霧島side
小さい頃はよく、祖父の書斎にこもっていることが多かった。ジャンルに囚われず様々な本が鎮座していたそこは、俺にとっては宝の山の様だった。家族は祖父を除いて近寄る人はほとんどおらず、本のために年中遮光カーテンを閉め切った薄暗い部屋を皆、気味悪がった。そんな場所で俺は祖父と2人、沈んだ日が昇るまで一日中書斎に入り浸っていた。
書斎にいれば、姉からの恨みのこもった眼差しや、父や母からの羨望される目からは逃げられていた。よく、祖父が俺の好きな菓子をもってひょっこりと書斎へ訪れていたが、祖父が亡くなってからは俺一人の城となってしまった。
後継者争いという物は、いつの時代も滑稽で悲惨な結末を生む。霧島家も例にもれず、俺と姉を巻き込んで本人そっちのけでいつも言い争う声がよく聞こえていた。昼夜関係なく行われる喧嘩…もとい家族会議を聞いてはいられずに襖の反対側で膝を抱え姉と一緒に耳をふさいでいた。
霧島の家が戦後から始めた事業は父で3代目だった。代々、男が継ぐことを呪いのように習わしにしていた当主というものは、俺の姉が生まれたことで動揺を極めたという。女では事業ができないと、時代錯誤の考えは霧島家内でも色濃く残る。
初めての子で女を生んだ母はそれはもう酷い扱いを受けていた。そして、母の溜まったフラストレーションは姉へ向いた。「女に生まれてなんて来なければ」そんな言葉は耳タコ程聞かされ、たまの暴力やヒステリックを受け止めて、血反吐を吐く思いを一番安心したい場所で味わってきた。
しかし、当時一人っ子の姉は同い年の幼子の様に腐ることがなく、何とか自身をつなぎ留め、母ではなく霧島の血を代々語らせた先人たちを恨んでいたそうだ。数多の罵声、数多の暴力。とどまることのない涙と血で臭う幼少期を送った。
そして、幼少の頃の姉は大人になった暁には、自身の腕と頭脳で初めての女当主になれるよう、勉学と身体づくりに努めたという。全ては、霧島家の為、母の安寧の為。女である自分でも問題なくこなせる事を証明したかったらしい。
生まれた時敷かれるはずだったレールから落されてもなお、努力し続ける姿は尊敬に値した。
そして、姉の小さな世界は俺の存在と共に狂っていく。男の子を妊娠した。母が嬉しそうに泣きながら家族に報告した日は姉曰く、忘れたくても忘れられない光景だったという。
親戚一同は口々に「これで、後継者問題も解決した」と宣ったそうだ。「私が大人になったら頑張って霧島家の当主になる!」と、姉は親戚全員に言って回ったそうだ。しかし、まだ小さかった姉の言葉は本人の意思や尊厳を踏みにじられた末、聞き入れられる事は無かった。
やがて、俺が生まれ、『冬一』という名前が付けられた。元々霧島家には男尊をしているおかしな空気があり、幼いながらにも感じていた。
俺だけが褒められ、姉がおいていかれる雰囲気。だから俺は大人たちの言葉なぞ信じてはいなかった。しかし、一度母が泣きながら俺に話してきたことがある。どうして2人目の子供なのに一という字を使ったのか。
「冬一、あなたの1という字は、霧島家に……母さんにとって初めての子供という意味でつけたのよ」
語られた真実は、俺と姉の心を折るには十分すぎる、不必要な現実だった。
俺も姉が霧島家の為に、並々ならぬ努力を重ねていた事は知っていた。どんなに小さなテストの前にも、日付が変わるまで勉強していた事、夕方一人学校に残ってグラウンドを走っていた事、俺は全部知っていた。その上で、姉を尊敬していたし、姉以外後継者は考えられないと、自分の好きな本へ逃避していたに過ぎなかった。
例え今、古の母のように強引な行動と言葉を俺に浴びせていても、だ。
その母の言葉以降、俺と姉さんには一生をかけても埋まらない溝ができてしまった。当主として努力を怠らなかった姉が、女であるというだけで道を潰され、弟の俺は姉など存在しなかったという名前を一生背負わされている。
俺がかけた薄っぺらい同情の言葉など姉に届くことは無く、寧ろ次期当主でありながら本の世界へ逃避していた俺の存在そのものが姉にとっては刃同然だったろう。
それ以来、姉さんとは連絡愚か顔を合わせる事は無かった。俺は高校入学と同時にそうそうに家を出て、慎ましく亡くなった祖父の家で暮らしていた。
高校から一番近いという強引な理由を親に叩きつけ、半ば無理やりに始まった高校生活。そこに人が生きている気配など存在しない、静まり返った雪山の様な時間だった。
高校生活も、相変わらず書斎に入り浸る日々。家族が心配した手紙と一緒に送られてくる仕送りと、掛け持ちしていたバイトでどうにか3年間を乗り越えた。手紙の内容なぞ頭には残っていないが、『当主として』が矢鱈連続して書かれていた事だけ覚えている。そのどれもを読み返すこと無く、可燃ごみとして捨ててしまっていたから今更見る事は出来ない。
高校1年の時のホームルーム、委員会を一度決めなおすことがあった。元々本が好きだった俺は他の人に取られるよりも早く、図書委員へ立候補した。問題なく着々と委員が決まる中、休み時間を拘束されやすい図書委員は不人気で、相変わらず相方が決まらなかった。別に俺は、仲良くするつもりも親切にするつもりも無く誰でも良かった。ただひたすらに消費される委員会決めの時間をどうやり過ごすかの方がよっぽど有意義に思考できた。
ふと、少しパーマのかかったふわふわな髪の毛が目に入る。その本人は未だ委員会を決めきれず牡丹雪の様にゆらゆら揺れているだけ。迷っているのか、それともただ変な奴か、分からなかったがなんとなくソイツを目で追っかけてしまう。
気が付いたら俺は、その牡丹雪に『図書委員会やらない?』と声をかけていた。理由も動機もわからない。ただ揺蕩っていた雪に魅せられて、この手で掴んでしまいたいと思ったのかもしれない。
――それが俺、霧島冬一と、神渡真歩の出会いである。
委員会は単純な物で、決められた期間の昼休みに図書室のカウンターで本を読みながら待機しているだけの陳腐なものだった。小説やラノベでみた甘酸っぱい特別教室での出会いや、偶然落ちた本を開いたら物語に吸い込まれるファンタジーなんてものは存在せず、2人並んで生徒が来るのを本を読みながら待つ毎日。
でもそんな単調な活動も、神渡が隣にいるだけで懐かしく心地よい感覚となっていた。本をあまり読む経験がなかった神渡は、図書室内にある膨大な数の本から最初の一冊を決めるのに、30分も要していた。その頃には、俺の選んだ本は3分の1程読み終わってしまっていて、『時間の使い方が下手な奴』と思った。
俺は備え付けの椅子から立ち上がり、神渡の元まで行く。
「……本、読まねえの?」
「読みたいんだけど、どれも面白そうで…」
恥ずかしさを押し込める様に力なく笑う神渡、彼のいるコーナーは推理小説のコーナーだった。幾つか読んだことがある中で、一等初心者でも読みやすいものを手に取り渡す。きょとんとした顔で本を受け取った神渡は、「これ、は?」と初めて見る表紙をまじまじと見ている。
「この一文、けっこー有名だけど知らね?」
小説にかかった帯を指で擦れば、神渡の表情が少しほころぶ。
「知ってる。有名なやつだよね」
「まあまず、これ読んでみろよ。面白かったら似てるの紹介する」
「へぇ、霧島って本詳しいんだな」
「ありがとう」締まりのない目尻と口元で笑う神渡に、なんだかいい気分になった。しかしそこではた、と気が付く。俺、元々世話なんて焼くつもりなかったのに…。そうだ、委員会を決める時、誰が相方になってもどうでもいい、俺は本が触れればそれでいいと思っていたのに……。
俺が選んだ本をほくほくとした顔でカウンターまで持ち帰った神渡は、楽し気に表紙を捲っている。俺も燃焼しきれない心地で席まで戻り、栞を挟んでいた頁を開ける。燻っていた気持ちが次第に手中の小説に集中していく。あの頃と同じ匂いがする。少し埃っぽくて、冷たい空気。でもエアコンの送風がゆっくり、俺と祖父を温めていた、その時と同じ匂いが神渡の隣から香った。
気づけば俺は小説の中の主人公の男へ気持ちを明け渡していた。
――その小説は悲しい、恋の物語だった。
意識が少し覚醒する。ホカホカと外側は気持ちいのに、頭と指先は凍えている。でもそれ以上に、誰かが隣で泣いていた。懺悔するよう、後悔したような悲痛で、でも静かに泣いていた。
嗚呼、誰だかわからないけど、そんなに泣かないでくれ。俺は気の利いた面白い事なんざ言えはしない。それに今は体調がよくない……。そう言えば、昨日の夜熱を測ったら38℃ぐらいあったな。
小さい頃から風邪をひいてもずっと独りだったような気がする。冷えていく末端と燃える様な体が気持ち悪くて、よくぐずっていていた。
本当は知っている、楔の名付けの真実を知る前は、母さんが寝室を覗いた後に姉さんが来ていた事も。小さい手で俺の拳を握ってくれていたことも。
俺は弱虫だったから、「行かないで」なんて殊勝な言葉が言えなくて、でも独りになりたく無くて。鬩ぎ合っている間に姉さんは遠い人になってしまった。
後悔がないと言ったら噓になる、でも、その後悔のぶつけ方を知らなかった。でもガキみたいな俺の前にただひたすらにそのまんまで居てくれた人が居た。
俺の勧めた小説を必死に読んでくれて、使い慣れない言葉で感想を言ってくれた。久しぶりに会った時、初めて連絡先を交換して少し苦い顔をして……。でも俺と居る事をやめなかった人。
神渡真歩――。俺の1等星。
だからお願いだ、今だけは、行かないで…神渡。
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