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第9話

9話 噛み砕かれる夜  モノトーンで寂し気な部屋は、寂しい冬空の様に静かだった。霧島をベッドへ寝かせたあと真歩は、失礼を承知で霧島の看病を始めた。氷嚢と薬を飲む前の軽い食事を作るために少しばかり家探しをさせて貰う。霧島の家には、本以外の生活雑貨や食料品などは無く、取り急ぎフェイスタオルとビニール袋で作った即席氷枕を頭の下に敷かせた。  散らかった部屋を一望する。本で埋め尽くされた部屋は、最初に思ったよりも物が多いかもしれない。大小様々でいろどり豊かな表紙達は唯一モノトーンとは遠いところにある。1つ拾ってよく見てみれば、著者に『武灯冬和』と書いてある。これはもしかしなくても……。 「霧島が書いた本?」  凄いものを見つけてしまった。猛烈に内容が気になって仕方ない。しかし、今熱で苦しむ霧島が不安過ぎて読もうという気は起きない。  読みたいと知ったら霧島は止めるだろうか。高校生の頃から口達者だった霧島の小説なんて、きっと素晴らしいクオリティに違いない。それを1から読んで、あの時みたいに下手くそな感想を霧島に言ったら…。想像するだけで緩む頬を少し抓る。 「霧島…笑ってくれるかな?」  ふっと、霧島から紹介された本の感想を言い合っている時を思い出す。霧島の宇宙色を惜しげもなく見開かせ、肩をいきませて興奮気味に語る少年は大人になった今、猛々しさこそ落ち着いてしまったが霧島らしい探求心と興奮を共感する気持ちは健在である。また元気になったら、話を振ってみよう。そして、武灯の小説を読む事を断られたら自分で買ってみよう。真歩は、今は何も見なかったという事にして、救急箱探しを始めた。    相変わらず表情が曇っている霧島を不安に思い、早く薬を飲ませないと、とリビングにあった救急箱を開ける。他の家より小さいそれは、ふたを開けても使いかけの絆創膏と、消毒液しかそれらしいものは無く、風邪をひいた時をまるで想定していない雑な中身に静かに驚いた。もしかしたら別の場所に風邪薬があるかも知れないが、熱で浮かされている霧島を待たせて探すのは気が引けてさっさと買いに行った方が速いのではないかと頭を過る。 『行かないで…神渡』霧島にかけられた言葉を思い出す。縋る様に重ねられた熱のこもった手は、真歩の凍てついた心ごと溶かしてくれた。訪問したことも、熱を悪化させた事も責める事はせず、ただ側にいてほしいと願った。その霧島を置いて買い物に行くのは気が引けるが、一度は受け入れてくれた霧島を信じてみたい、と思ってしまう。おれは霧島の元へ戻る事を証明してみたかった。何より、霧島自身に信じてほしかった。  真歩は足早に玄関へ行き靴を履く、内鍵を回して扉を少し開けた。外は相変わらずの曇り空でも霧島の家よりは明るい。薄暗い霧島の部屋を振り返る。死角になってしまっていて姿は見えない。本当は元気な時に目を見て言いたかったが……。 「行ってきます」  真歩は音をたてないように静かに扉を閉めた。    速足で到着したスーパーは、仕事上がりの人々で賑わっていた。すれ違う人が皆マスクをしていることもあり、風邪が流行しているのを視覚から感じる。きっと霧島の風邪も流行熱だろうな、家で魘されている家主の寝顔を思い出し手に持っていた籠を一等強く握りこんだ。  消化良くするためにもはお粥でも作ろうかな…。口の中で転がした配慮が、真歩の足を急がせる。初めてきたスーパーは勝手がわからず、何回も往復して米やら卵やらを探していく。そういえば霧島はどんな味の物が好きなんだろう、真歩は出汁売り場で一度足を止めた。一口に出汁と言っても色々な物があるし、「ここは自分の使い慣れたものを買うのが無難かも…」「いやでも、どうせなら美味しく食べてほしいし…」「そういえば霧島は前の飲みの時カツオ節沢山かけてたな…」沢山の思い出と思考が真歩の脳内を走る。  そういえば、前にもこんな事あったな。真歩の脳内にフラッシュバックする霧島の笑顔……。真歩が残業した時に行った居酒屋で霧島に渡されたメニュー表で百面相してた、と言われたっけか。真歩の記憶の中の霧島はいつだって余裕そうに笑う大人で。でも最近真歩から尋ねたところにいる霧島は思っていたより子供だった。霧島相手におかしな話だが、生活力がないところ、倒れてまで誰かを招こうとしたこと……。そのどれもをとっても霧島は子供みたいだ。 「おれと、大して変わんないじゃん……」  口に出てしまった言葉に自分が一番驚いた。なにがって、勝手に口に出たことじゃない、説得力に、だ。真歩が思っている以上に霧島はちゃんと社会を生きる大人で、でも小さな子供みたいに誰かを求めている。矢鱈と綺麗に噛み砕けたアンバランスに名称を付けられる程の語彙力は真歩には無く、籠に見慣れた顆粒出汁を放り込んで、思考を切り替え踵を返した。  コトコトと鍋が煮える音、冷えた部屋を温める空調の音が不規則な呼吸とともに聞こえる。吸い込んだ湯気がほのかに香る出汁の香りがして気分がいい。どうやら上手に作れているみたいだ。  背後で布が擦れる音がしたが、真歩は気づくことなく手を動かし続けている。小さな声で鼻歌混じりに粥を作っている。  コンロを止めて部屋が一瞬沈黙する。日が暮れ始めている。冬は冷たい。しかしその寒い冬の中に名前のつかない暖かさが霧島の部屋にはある。  友人と呼ぶには近すぎて、恋人と呼ぶには遠慮がありすぎた、変わった形の幸せが確かに広がっている。  間を置いて、フローリングを叩く足音が聞こえた。冷えた床を怖がるように足取りはゆっくりだった。熱に浮かされているからか、なかなか扉を開けようとしない霧島。でも真歩は急かす様なことはせずただじっと霧島が顔を出すのを待っている。  ドアノブに置いた手が決意しかねる形で揺れ動いていたのかもしれない。しかし、意を決した様に扉は開かれた。 「おはよ、霧島」 「神渡…」  温暖な空気が寒冷と混ざる様な声に一瞬瞠目する。霧島からの視線は、まるで居ないはずの人が居たみたいな驚きと動揺があり、その違和感の正体を真歩は見抜けずに居た。  ぱちぱちと目を瞬かせている霧島に、多くを語らせる前に席に着かせる。知りたい事はある、話してくれる距離感へ入り込みたい、でもまずは霧島が元気になってくれないとおれが困ってしまうから。霧島へ締まりなく笑って見せると、当の本人は泣きそうな顔をして、真歩の指示に従った。 「お粥作ったんだ。その時に家探しした」 「家探しって…」  噴き出すような笑い声で、肩の重荷が少し降りた様に気持ちが軽くなる。霧島の座っている席へ粥を出し、正面の机上にもう1つ同じものを置く、こちらは真歩の分だ。霧島の倍量はあるのでは無いかという山盛りの粥に霧島は驚いていたが、真歩が大食らいだと思い出した霧島は相変わらず笑っている。寝ていたからか少し元気の戻った霧島に安堵しながら両手を合わせた。  霧島と向かい合っての食事は久しぶりだった、ただそのどれもが居酒屋での出来事だったから、真歩が手料理を振舞うのは初めてだ。簡単な物ではあるが、味に自信が持ち切れなかった真歩は霧島が一口目を口にするまで、おっかなびっくり盗み見ていた。しかし、霧島は真歩の心情など知らずに大きな口で匙を放り込んでいる。特別驚いた様子はないけれど、味わうように咀嚼する霧島から目を背けられない。薄目の味付けを大切そうに……言葉通り噛みしめている霧島は、嚥下してからゆっくりと目を開いた。 「……うめぇな。誰かの手作りって」 「うん」 「本当にうまい」    肩をすくませて、少し鼻を鳴らした霧島の涙を見ないふりして一緒に粥を食べ勧める。霧島が暗部を語ろうとしないなら、今は…もしかしたら一生かも知れないが、無理に聞き出すつもりはない。もし、霧島が話したくなったら、他でもない真歩に聞いて欲しいと思ってくれるなら、真歩なりに聞いて嚙み砕いて、昇華して、受け止めるつもりだ。今、霧島の食道を通った粥の様に…噛み砕かれて、消化され、霧島の糧となるように。  いつかの霧島を動かすためのエネルギーに成れたらそれはどんなに喜ばしいだろうか。  気が付けば空になった霧島の皿をぼぅと見つめる。完食してくれたことが、真歩が作った料理が霧島の力になる事が嬉しくて言葉が詰まる。必要以上の取り繕いなんてさせない様な歓喜が込み上げて涙に形を変えそうになるのをグッとこらえる。    夢を持たなかった青年は、自分の気づかない内に小さな夢とも希望ともいえるものを手に入れた。それは、霧島の温かい闇が魅せた小さな星の欠片。暗がりの冬の中の1つのマンション、温かい部屋の中で『人付き合いが苦手な青年』と、『家庭に恵まれなかった青年』の歪な2人ぼっちの話だった。

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