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異界の目覚め - 2 -
「今日、何日だ!? ていうか、俺、何日寝てた!?」
レンの大声に、男たちは一斉にびくりと体を震わせた。
そうだ――明日は大事なプレゼンの日だ。万全の体制で臨むために深夜まで資料を確認して、終電ギリギリで帰路についた。最寄駅で電車を降り、改札を抜けて高架線の下を通った――あたりからの記憶がない。
「……七廻り――そちらの世界でいう1週間ほどでございます」
「1週間!? 急いで戻らないと! その『稀人』ってのは後で考えるから、一旦元の世界に戻してくれませんか。俺、大事な用があって――」
途端、室内の空気が変わった。ルビリアが緊張した面持ちで頭を下げる。
その仕草に倣うかのように、部屋にいる者全員が深く頭を下げた。
「……稀人様を帰す術を、私どもは存じません」
「!?」
言葉を失うレンの前で、ルビリアは身を低くしたまま続けた。
「魔法陣は天からの思し召し。私どもでは制御できないのです。これまで元の世界へお戻りになった方は、おひとりもおられません」
「そ、そんなの変だろ! だって、一方的に召喚して帰れないなんて……拉致されたようなものじゃないか!」
「申し開きもございません」
「……っ!」
レンの中に、怒りとも絶望ともつかない感情が渦巻いた。震えながら頭を下げる男に怒鳴り散らしたところで、事態は何ひとつ変わらない。わかっていても、胸の中で荒れ狂う感情は行き場を失い、膨れ上がっていく。
耐えきれず、レンは手近にあった枕を掴み、床に叩きつけた。枕から飛び出た羽毛が宙を舞う。決して大きな音ではなかったが、レン以外の全員に緊張が走った。
「……いやだ」
言葉にした瞬間、感情が鋭く尖り、レンの心を支配した。
「いやだっ! 帰せ! 今すぐ帰せよっ‼︎」
怒鳴り声と同時に雷鳴が轟いた。明るかった空はいつの間にか暗い曇天に覆われている。
「稀人様……」
「その名で呼ぶなっ‼︎」
すぐ近くの木に雷が落ち、火花が散った。勢い良く窓が開き、雨風が吹き込む。
ルビリアは顔を伏せたまま、震える声で懇願した。
「……どうかお鎮まりください。貴方様の御怒りは、天の御怒りにございます」
レンは窓の外に目を遣った。
嵐が荒れ狂い、稲妻が天を裂いている。
レンは呼吸を整えるのも忘れ、その光景を睨みつけた。
(――帰れない? なんで?)
心の中で何度呟いても、答えは出ない。
けたたましい雷轟と低く響く振動が、否応なしにこれは現実だと叩きつけている。
「どうか……どうか……」
そう繰り返すルビリアの背後で、ひとつの影が動いた。
「控えろ、リュイ!」
鋭い制止の声が響く。しかし、リュイと呼ばれた男はまるで声が届いていないかのように、迷いなく近づいてくる。
雷光が落ちた瞬間、彼の亜麻色の髪が白く照らされた。濡れたように艶めくその髪の奥で、深い藍色の瞳がレンをまっすぐに射抜いた。
冷たさすら感じるその視線に、レンは思わず息を呑む。
恐怖か、怒りの余韻か、理由のわからない鼓動がひどく速い。
「失礼」
短く、だが反論を許さない鋭さを孕んだ声が耳に届く。レンが反応するより早く、強引に肩を掴まれた。
容赦のない力で押され、背中が寝台に沈む。
呼吸が触れそうなほど近い距離で、リュイの影がレンに覆いかぶさった。
「……静かに」
低い声が落ちた。大きな手がレンの唇を覆う。手袋越しにもわかるひやりとした感触に、レンの背筋がぞくりと震えた。
リュイが低く何かを呟いた次の瞬間、強烈な眠気がレンを襲った。
「や……め……」
抗おうとした声は情けなく震え、体から力が抜けていく。
「いや、だ……帰り、たい……」
意識が遠のく直前、こぼれたその言葉に、唇に当てられたリュイの指先が微かに動く。自分を見つめる藍色の瞳が、ほんの少しだけ、揺れた気がした。
その微細な揺らぎの意味を推しはかる間もなく、レンの意識は深い暗闇へと沈んでいった。
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