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微かな揺らぎ - 1 -

 目を開けたレンは、変わらぬ天井に思わずぎゅっと目を閉じた。再び、今度はゆっくりと目を開ける。けれど見えるのは同じ景色で、レンは失望に似たため息をついた。  その瞬間、まるでさざなみのように室内の空気が動いた。レンが視線を向けると、ルビリアを筆頭に男たちが平伏しているのが見えた。誰ひとり顔を上げず、まるで頭が床に縫い付けられたかのように、身じろぎひとつしない。 「……申し訳ございません。全て私どもの責にございます」  ルビリアが震える声で言った。  どれほど眠っていたのだろうか。嵐はすでに去り、柔らかな日差しが室内を満たしている。  レンが上半身を起こすと、その衣擦れの微かな音に、男たちの体が過剰にびくりと反応した。明るい光の中で改めてルビリアを見ると、元から白色だと思い込んでいた髪は、茶色に白髪が混じった年季の色であることがわかった。もしかしたら父親と同年代かもしれない――そう考え、レンは二度と会えない家族や友人を思って俯いた。 「稀人様」  ルビリアはそう呼びかけ、すぐに慌てた様子で「し、失礼を……!」と再び額を床に擦り付けた。レンに「稀人と呼ぶな」と言われたことを思い出したのだろう。  恐怖に慄く彼の姿を見ながら、レンは肩を落とした。優しい言葉をかける気分には到底なれないが、だからと言って、これほど怯えきった相手をさらに責める気にもなれなかった。  レンは平伏する彼らを立たせると、静かに息を吐いた。 「……雪吹レンです。イブキが苗字で、レンが名前。稀人じゃなくて、名前で呼んでください」  顔を上げたルビリアは、血の気が引いたように固まった。 「……イ、イブキ様、と?」 「様もいらないです」 「そ……そのような無礼を……!? 神威を帯びた御方に許されることではございません!」 「いや、そんな大袈裟――」  レンは言葉を切った。  ルビリアだけでなく、彼の背後に控えた者たちまでもが青ざめているのが見えたからだ。  彼らにとっては、それほど稀人という存在は重く、尊ぶべき存在なのだろう。これ以上の強要は、むしろ彼らを追い詰めてしまうだけに思えた。 「……もう、いいです。呼び方は、任せます」  観念したようにそう言うと、ルビリアはほっと息をついた。 「では……イブキ様。恐れながら、そのようにお呼びさせていただきます」 「うん……」 (ホントは敬語もやめてほしいんだけど)  それを口にした瞬間、また誰かが青ざめる未来が容易に想像できて、レンは小さく息をつく。  気持ちを切り替えるように、レンは改めて周囲へ視線を巡らせた。全員揃っていると思っていたが、あの亜麻色の髪の男がいないことに気付く。 「彼は?」  レンが誰のことを聞いているのか瞬時に察したルビリアは、額に冷や汗を浮かべた。 「あの後、即座に投獄いたしました。後ほど、イブキ様のお望みのまま処罰いたしますので、ご安心ください」  処罰という言葉に、男たちの間に動揺が広がった。  黒地に金刺繍のマントを羽織った男が「宰相殿」と声を上げる。その姿を見て、あの男も同じような服装だったな――と、レンは思い出した。 「神殿内のことは、我らにお任せいただきたい」 「ゼハンナス、神殿騎士団が誰のためにあるのを忘れたか」  ゼハンナスと呼ばれた男は、反論できずに唇を噛み締めた。その目が不意にレンへと向けられる。視線が合うと、彼は覚悟を宿した表情でレンの前へと歩み寄り、跪いた。 「神殿騎士団長のアシュア・ゼハンナスと申します。投獄された男の名は副団長のリュイ・クォーリア、私の部下でございます。あの者のイブキ様への振る舞いは、任務への忠誠から生じたもので、決して不敬の意図はございません。どうかご慈悲をお与えくださいますよう、お願い申し上げます」  アシュアの真剣な眼差しに圧倒され、レンは思わず視線を逸らした。その微かな仕草をどう捉えたのか、アシュアは更に深く頭を垂れる。彼の長い銀髪が、さらりと肩を滑り落ちた。 「……処罰は、俺が決めて良いんですか?」 「もちろんです。イブキ様が、ここエメル神殿の王でありますので」  レンはアシュアに問いかけたつもりだったが、返ってきたのはルビリアの声だった。王と呼ばれ、さらに気が重くなる。 「とりあえず彼に会わせてください。俺が行くので案内を――」  寝台から降りたレンだったが、足元がひどくふらつき、長く歩くのは困難だとすぐに気付いた。眠らされた影響か、それ以前に1週間も眠り続けていたせいか――どちらにせよ、このままではまともに動けそうもない。  それを察したのか、アシュアが素早く立ち上がり、優雅な手付きでレンを寝台へと座らせた。 「すぐにクォーリアを連れて参ります」  アシュアは椅子に掛けられたローブを手に取り、レンの肩にふわりと羽織らせると、短く一礼し踵を返して足早に部屋を後にした。彼の部下であろう数人の男たちが、それに続く。  見送った後、レンは天井を仰いだ。  帰れない以上、ここで生きていくしかない。頭では理解しても、心が追いつかない。  どうすればいいのか、どうしたいのか――答えは見えず、胸の奥が鉛のように重く沈んだ。

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