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第3章 淡い輪郭 -1-

「何はともあれ、幽閉などということにならなくて良かったよ」  柘榴の塔――神殿騎士団の中枢たる塔の一室で、書類仕事の手を休めてアシュアが言う。部屋の隅で剣の手入れをしていたラティ・ミロスが相槌を打った。 「俺はちょうど所用で不在だったが、あの時ばかりは面倒を押し付けてきた王宮の連中に感謝したぞ」  肩をすくめるラティに、アシュアが「私は生きた心地がしなかったよ」と同調する。  神殿騎士団の同志であり、幼馴染でもある二人のやり取りに、リュイは無言のままじとりと視線を向けた。 「お心の広い稀人様で良かったじゃないか」    ラティに小さく頷きを返したものの、リュイの胸中は複雑だった。  レンを眠らせたのは、確かに彼を守るためでもあった。しかしそれ以上に、怒れる稀人を放置することへの忌避感――神殿騎士としての義務感が強く働いていた。  稀人の怒りは天災と連動する。  放置しておけば甚大な被害が出る。  だから――眠らせるしかなかった。  己の判断は間違っていない。リュイはそう信じている。  そして、どんな理由であれ稀人に手を上げた以上、処罰は甘んじて受けるつもりだった。だが同時に、この人なら道理に外れた真似はしないだろう、という妙な確信もあった。 (結果的にその通りにはなったが……)  リュイは胸中で小さく息をつく。  幽閉でもなく、追放でもなく、死罪でもなく――まさかの「世話」とは。  そのうえ呼び捨てで、敬語も禁止。まるで対等な友人として扱えと言われているようだった。  いったい何を考えているのか。  単なる気まぐれか、それとも別の意図があるのか。 「ああ、それと聞いた話だが、イブキ様は愛らしい顔立ちなんだってな?」  唐突なラティの言葉に、リュイの思考が停止する。 「確かに柔らかい雰囲気の方だったね」  同意するアシュアを一瞥してから、リュイはレンの姿を思い返した。  魔法陣から現れた黒髪の青年――印象に残っているのは、自分を見つめ返す意志の強そうな黒い瞳だ。  自分に世話を命じた時の、悪戯を思いついた少年のような眼差しは、言われてみれば確かに愛らしくも見えたが。 「年相応の見た目だと思うがな」  適当に返し、リュイは書架へ向かった。 「へえ、稀人様はおいくつだって?」 「確認してはいないが、通例どおりなら20歳前後だろう」 「ああ、最年長で23歳だっけ」 「24歳だ。ラティ、資料にはきちんと目を通しておけ」  肩をすくめるラティを軽く睨んでから、リュイは書架から一冊の書物を取り出した。  書架には稀人関連の書物が収められている。リュイが手にしたのは稀人を迎え入れるにあたっての重要事項をまとめた書物で、リュイは神殿騎士の任に就いてから毎日のように目を通していた。 「百聞は一見にしかず、とはいうが……これまであのような方はいただろうか」  リュイの呟きに、アシュアが記憶を手繰りながら目を細める。 「どうだろう。暴れに暴れて神殿を破壊した稀人様はいらっしゃったようだけど」  その言葉に、部屋の空気が一気にひやりと沈んだ。  稀人は、この世界では神にも等しい存在だ。  国教として広く根づいているエメル教は、初代稀人エメルの降臨を起源として生まれたと伝えられている。百年ごとに召喚される稀人は、人々にとってまさに生きる神だ。  しかし、稀人は聖人ではない。  驕り昂った者、精神を病んだ者――狂人化した稀人が多くの死者を出した記録も残っている。  稀人の力が民へ向けられたら、何としても止めなければならない。  神殿騎士団は稀人を守ると同時に、抑えるための組織でもある――が。 「天寿をまっとうせねば世界に災いが起こる、か……」  リュイが低く呟く。  稀人は、肉体そのものは人と変わらない。怪我もすれば病にも倒れる。  そして厄介なのは、寿命以外の死が必ず大災害を招くことだ。  まるで稀人の棺に添える花のように、数百、数千の命が散る。  とりわけ他殺は最悪だ。大災害に加え、殺めた本人とその家族、血筋、縁者までもが、例外なく一夜のうちに死に絶える。  険しげなリュイの横顔を見つめ、アシュアは小さく息を吐いた。 「だからこそ、稀人様がどう生き、どう振る舞われるかは……私たちだけでなく、この世界の命すべてにとって重要なことなんだ」  アシュアの言葉の重みに、部屋の空気が再び沈み込む。  それを破るように、ラティが軽やかに口を開いた。 「実際に見てない俺が言うのもなんだが、イブキ様は無闇に暴れる性分じゃなさそうだな」 「ああ、私もそう思うよ」  アシュアも頷く。  リュイは二人の視線を避けるように目を逸らした。  無闇に暴れない性分であろうことはリュイも同意する。  だが、レンにはまだ、稀人が守らなければならない重大な掟を伝えていない。その掟は、二度と元の世界に戻れない彼にとって、簡単に受け入れられるものではないだろう。  本来、それを伝えるのは宰相の役目だ。しかしルビリアは、リュイが世話役に任命されたのを幸いと見て、早々に王都へ帰還してしまった。  つまり、全てを伝える責任はリュイにある。  その重責と、告げた時のレンの心境を思うだけで、胸の奥がざわつき、息苦しさを覚えた。  胸にのしかかる重圧を振り払うように、リュイは軽く頭を振った。  それを見たラティが立ち上がり、リュイに近づくと肩に手を置いた。場を明るくしようとしているのか、わざとらしい笑みを浮かべている。 「それで、お前はここにいていいのか? 翡翠宮に部屋を貰ったんだろ? しかもイブキ様の隣なんて……名誉なことだな」  鬱陶しげにその手を払うと、リュイは窓の外――尖塔だけがわずかに見える翡翠宮へ視線を向けた。  エメル神殿の奥にそびえる翡翠宮は、稀人が日常を過ごすための御所だ。深緑に輝く屋根が、光を受けて威厳を放っている。  本来、稀人以外が寝泊まりを許される場所ではない。  リュイは世話役として特例で居室を与えられたが、レンの寝室の真隣に指定されたときは、思わず頭を抱えたくなった。 「……今は家具を運び込んでいるところだ。今日中には終わるだろう」  ため息とともに答えた声と呼応するように、リュイの襟元で、澄んだ鈴の音がひとつ鳴った。襟に留めた小さな『神鈴』――稀人に呼ばれた時だけ鳴る、特別な魔具だ。  豪華な襟章にも見えるそれを指先で軽く撫でながら、リュイが眉間に皺を寄せる。 「噂をすれば、早速の呼び出しか」  面白がるラティをひと睨みし、リュイは深く息を吐いて気持ちを切り替えた。 「わかっているとは思うけど、くれぐれも無礼のないようにね」  背中にかかるアシュアの声を聞きながら、リュイは部屋をあとにした。

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