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第3章 淡い輪郭 -4-
不要な家具をすべて運び出し、新しい家具の配置まで終えた頃には、高かった陽は傾き窓の縁を金色に染めていた。
「ありがとう、だいぶすっきりしたよ」
室内を見渡したレンが、達成感の混じった笑みを浮かべる。
「喉乾いたな。飲み物持ってくるよ」
「では私が――」
「いいよ、リュイはその辺に座ってて」
「お、お待ちください!」
リュイが咄嗟に呼び止め、思わず上ずった声に自分で驚く。
振り返ったレンが首を傾げた。
「なに? あー腹も減った? じゃあ軽食作ってくるわ。俺も食べたいし」
「そうではなく……」
(――これでは、まるで立場が逆ではないか)
世話を命じられたのは自分のはずなのに、レンはそれを忘れたかのように率先して動いている。逆にこちらを気遣う姿勢まで見せられ、戸惑うばかりだ。
(使用人を全員下がらせたと聞いた時は、俺への罰を重くするためかと思ったが……)
レンが家具を運ぶと言い出した時点で、その考えは崩れた。
華美な物を嫌い、使用人の服を着ようとし、身の回りのことはすべて「自分でやる」と言う――その姿は、リュイが想像していた稀人像とはあまりにかけ離れている。
胸を占める戸惑いの向こうに、レリオの沈痛な顔がふいに浮かんだ。途方にくれる弟の、あの必死の懇願が、今も胸に残っている。
リュイは小さくため息をつき、口を開いた。
「使用人を全員下がらせたと聞きましたが」
「うん、ここって魔道具が充実してるんだってな。掃除や洗濯も簡単そうだし、料理は――まあ適当でもなんとかなるだろ? だから、自分で全部できるかなーって」
リュイは、どう言葉を継げばいいかわからず、またため息をついた。
しばらく考え、覚悟を決めたように口を開く。
「……なんでもご自身でなさるのは問題があります」
「え、ダメなのか?」
「はい。まず貴方は保護されるべきお立場です。もしお一人で作業中に怪我でもされたら、困るのは私たちです」
「怪我くらい大丈夫だって」
「いいえ。――このことは改めてお伝えする予定でしたが、稀人様は、一切の禍をお受けになってはならないのです」
――天寿をまっとうせねば世界に災いが起こる。
リュイがそのことを説明すると、レンの顔色が変わった。その心許ない表情に、リュイの心がつきりと痛む。
「……そのため、誰かひとりは側仕えすることになっています」
言葉を失うレンを見て、リュイは一瞬逡巡した。さらに厳しいことを告げなければならないことが、彼の唇を重くする。しかし伝えない選択肢もなく、リュイは躊躇いを悟られないように、ゆっくりと唇を動かした。
「それと、もうひとつ。神殿で働く者のほとんどは、昔から稀人様にお仕えしてきた家系の子弟です。使用人といえど、みな家名を背負ってここにおります」
リュイはそう告げると、わざと重みを乗せるように声音を低くした。
「貴方は軽く考えておられるが、役目を外されることは、本人のみならず、その家にとっても大変不名誉なことなのです」
指摘されるまで全く思い至らなかったのか、レンが愕然とした顔でリュイを見た。
「……それと私事を挟んで恐縮ですが、使用人の中には私の弟もおりまして」
「えっ」
「案内をした者のことを覚えておりますか。レリオ、と名乗ったかと」
記憶を手繰り寄せたレンが、「あ……」と呟く。
「言われてみれば髪と目の色が同じだった……かな。全然気づかなかった」
「似てないと昔から良く言われます。他にも兄が二人いますが、どうも私にだけ、祖先の血が濃く出たらしく」
リュイは少しだけ口元を緩めたが、すぐにもとの厳しい表情に戻した。
「我らクォーリア家も代々、稀人様にお仕えしてきた一族です。その一族の者が神殿を追い出されることになれば、誹りを受けてもおかしくありません」
レンは視線を落とした。
「……追い出すつもりも、みんなの仕事を貶すつもりもなかった。けど、結果的にそうなってるんだよな」
深く息を吐いたレンが、「ごめん」と頭を下げる。
まさか謝罪されるとは思わず、リュイはわずかに目を見張った。
「俺は……この世界のことを少しでも早く知るためにも、自分でできることは自分でやったほうがいいんじゃないかって、そう思っただけなんだ」
そう言ったレンが、苦笑まじりに吐息をこぼす。
「それに、十歳そこらの子にずっとついて回られるの、なんか落ち着かなくてさ。俺、庶民だから、そういうの馴染みがなくて」
「家名をお持ちなので貴族かと思いましたが……」
「俺の国では庶民もみんな苗字持ってるんだよ。だから、使用人とか正直どう接したらいいかわからない」
本気で困惑するレンに、リュイはほんの少しだけ目を細めた。
この稀人は、思っていたよりずっと『普通の青年』だ。だが、彼のとりまく環境だけが、普通であることを拒絶している。
「……お気持ちはわかりました。貴方が彼らを軽んじているわけではないことも」
リュイはほんの一瞬、目を伏せて考える。
「では――妥協案を。私が側仕えの役目を担い、使用人たちには主に私から指示を伝え補佐として働いてもらいます。貴方の手が回らない部分を請け負うという形で」
「補佐……か、まあ、それくらいなら、いいけど……」
レンがちらりとリュイを見る。
「リュイが側仕えか……」
「ご不満ですか? 貴方も年近い私になら、遠慮なく頼み事ができるでしょう。……たとえば今日のように」
「あ……」
ぽかんとしたレンが、ふっと笑みを浮かべた。
「そうだな。リュイにならなんでも頼めそうだ」
そう言ってから、レンは何か思いついたように目を細めた。
「だったら俺からも条件を出す。交換条件な」
「私にできることなら」
「口調と、呼び方!」
「……っ」
リュイは言葉を失い、わずかに視線を逸らす。
その表情を面白そうに眺めながら、レンはどこか得意げに口角を上げた。
「今度こそきっちり守ってもらうからな。いいよな?」
「はい……あ、いえ……わ、わかった……」
ぎこちなくだが受け入れたリュイに、レンがほっとしたように笑みを浮かべる。
「俺さ、リュイと友達になりたいんだ。こういう関係で友達って言われても困るかもしれないけど……誰かと普通に話したいっていう、俺のわがままだよ」
そう言うレンの眼差しに、ほんの少しだけ寂しさの欠片が宿っていることに気づいたリュイは、ゆっくりと首を振った。
「……レン」
リュイが呼ぶと、レンは自分からそうしろと言ったのに、少しだけ戸惑いを見せた。
「な、なんか、改めて呼ばれると照れるな」
この世界にとってなくてはならない稀人で、神にも等しい人で。
けれどリュイの目に映るのは、何もわからない世界に放り込まれた、ひとりの青年だ。
「これからは遠慮なく、レンと呼ばせてもらう」
微笑みを湛えて伝えると、レンの笑みが深くなる。
それを見つめるリュイの胸に、あたたかな何かがじんわりと広がっていくのを感じた。
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