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第6章 仮初の安らぎ -3-
ぽつりと落ちた雨粒が、リュイの鼻先を叩く。見上げた空は昼なのにどんよりと暗い。
レンに掟を告げた日から、不安定な天気が続いている。レンの心がそうさせているのか――小雨は降り続いているのに雷ひとつ鳴らない空を、リュイは苦しげに見上げた。
レンが翡翠宮から人を追い出してから十日が経った。
リュイは雨に濡れる中央庭園を抜け、閲覧室に入った。わかっていたがレンの姿がないことに落胆する。
「ここにいたか」
リュイは振り向くと、小さく息を吐いた。
「……ラティ、何の用だ」
軽く肩を竦めたラティが、呆れた顔で近づいてくる。
「何の用、とはな。お前が仕事を放り投げたから、代わりにこうして配置換えやら何やらで奔走してるっていうのに」
ラティが手にした書類を振って見せてから、片眉を上げた。
「……お前、ちゃんと食ってるのか?」
リュイは答えずに目線を逸らす。
「イブキ様のことを心配するのはわかる。けどあそこは特に魔道具が多く配置されてる場所だ。ひとりでも問題なく暮らせるはずだぜ?」
何も言わないリュイを見て、ラティはまた肩を竦めた。
「翡翠宮を追い出されてから、琥珀の塔に戻らず侍従館で寝泊まりしてると聞いたぞ。しかも廊下や倉庫の隅で寝てるってな」
やはりリュイは反応を返さない。
無言で背を向けられ、ラティは苛立たしげに頭を掻いた。
「掟については、遅かれ早かれ誰かが伝えなきゃならなかったんだ。お前がそこまで気にすることじゃねえだろ」
吐き捨てるように言ったラティが「ああ」と口端に笑みを浮かべた。
「俺は挨拶の時に1回顔を合わせたきりだが、気の弱そうなお人だったからな。気落ちするあまり、最悪なことにでもなったら――」
振り向いたリュイが、ラティの胸ぐらを掴み上げた。そのまま勢いよく壁に押し付ける。その衝撃にラティが唸り声をあげた。
「ぐっ……ぅ……」
「気が弱い、だと……? 彼がどれだけ……」
リュイはラティの体を乱暴に突き飛ばした。
「……お前に何がわかる」
「はっ、何も知らされないんじゃ、わかるモンもわからねえだろが」
喉をさすりながらラティはリュイを睨んだ。
「今にも倒れそうな顔しやがって。テメェの面倒も見れないやつに、何ができるっていうんだ」
そう吐き捨てたラティが、服についた埃を払いながら立ち上がる。
「俺たちは昨日、琥珀の塔に住居を移した」
突然話し出したラティに、リュイが思わず視線を送る。
「イブキ様は神殿に住まなくていいと仰ったらしいが、俺だって覚悟は決まってるんだ。俺だけじゃない、ウリアも」
ウリアは神殿魔術師で、ラティの伴侶だ。8年前に結婚した彼らは、キアニア地区に住居を構えていた。それに――。
「お前たちには息子がいるだろう。確かまだ9歳だと……」
「ああ、よく覚えてるな」
ラティが頷く。
「急逝した姉の子だが、周囲を説得して無理矢理引き取った。あの時は家族の形を作りたかったんだろうな。……結果的にあの子には悪いことをしてしまったが、先日言われたよ「ミロス家の秘書の座を狙っているから好都合だ」とな」
どこか寂しげな笑みを消し、ラティはリュイを見つめた。
「俺は覚悟を決めた。だがもし、イブキ様とウリアの命が同時に危機に晒されていたら迷わずウリアを守る。騎士として間違ってるだろうし、ウリアにはぶん殴られるだろうが、これが俺の『掟』だ」
リュイの目がかすかに揺れる。それを見て、ラティは「はぁ」と大仰なため息をついた。
「お前は昔からクソ真面目で、いずれ神殿騎士になるからと遊びにも興じず恋人も作らず、同い年の俺はよく比べられて迷惑だったよ」
だが、とラティは言葉を続ける。
「イブキ様の側仕えをし始めてからのお前は……嫌いじゃなかったな」
そう言うと、ラティはリュイの肩を叩いた。
「お前だって、守りたいものがあるからここにいるんだろ?」
部屋を去り際、ラティは視線だけリュイに向け、ばつの悪そうな顔をした。
「煽って悪かったな。お前もあんなふうに怒るんだってわかって良かったよ」
ラティが部屋を出た後、リュイは壁に寄りかかり、天井を仰いだ。
子どもの頃は、神殿騎士になることを第一に考えていた。神殿騎士となり、エメルの静謐律を知り、稀人が天寿を全うできるよう共に生きる覚悟もした。それが自分の守るべき掟だと思っていた。
だが稀人が召喚され、レンと出会ってからは――。
「……レン」
この部屋で、リュイの作ったクッキーに感嘆していたレンの姿を思い出す。
自分がただひとつ守りたいもの。
それはずっと前から、もう決まっていた。
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