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第6章 仮初の安らぎ -4-
夜中近く、レンは窓から外を眺めていた。脇台に置かれた小さなランタンの灯火だけが、頼りなく周囲を照らしている。開け放たれた窓の外は暗く、どこまでも闇が広がっていた。
窓枠を打つ雨粒を指でなぞっていたレンは、背後の気配に、ふっと息を吐いた。
「ここには来るなって言っただろ」
言葉で拒絶を示す。だが、しっかりとした靴音は止まらず、レンの横に並んだ。
彼は何も言わぬまま窓を閉めると、雨に濡れたレンの手を取った。手袋をはめた手が、ふわりとレンの手を包み込む。その手はまるで濡れた雛鳥にするように、丁寧に雨粒を拭った。
「……リュイ」
名を呼び、そっと視線を上げると、リュイと目が合った。
「ひどい顔をしているな」
そう言うリュイの目の下にも、うっすらと影が浮かんでいる。
「……なんにも、ないんだ」
レンはぽつりと言った。
「秘術も、瘴気を祓う力も、まだ俺には何もない。全部、何もかも、何ひとつ、わからない。俺しかできないのに。俺がやらなくちゃならないのに。俺は――」
言葉がとめどなく溢れていく。
感情を抑えなくてはと思うほど、心は悲鳴をあげていく。
「……無理はするな」
「無理しなくちゃだめなんだよ。そうしないといけないんだよ。だってそれが俺の使命なんだろ?」
「だが……」
「じゃあ代わってくれるのか!?」
突然激しい雨が降り、窓を叩いた。
「ごめん。今のは忘れて」
「代われるものなら――」
小声でそう言いかけたリュイが、唇を噛み締める。
レンは窓の外へと目を遣り、苦笑した。
「……雨、俺のせいだね」
「レンのせいじゃない」
すぐに否定される。
嘘だとわかっても、その言葉が嬉しかった。
「こんな力だけあっても……」
不意に包まれていた手の温もりが消え、両腕を掴まれた。
見上げると、リュイが、まるで何かを耐えるような表情で、レンを見つめている。
「……俺が召喚されたとき」
思い出すように、レンはゆっくりと瞬きをした。
「俺、わけわからなくて暴れちゃったから、みんな怖がってたよな。リュイに眠らされたあと、罰を与えるって話をしたときに、リュイは自分が死罪になるかもしれないのに、まっすぐ俺を見てきて――」
当時のことを思い出し、レンは少しだけ笑った。
「たぶん俺、あのとき嬉しかったんだと思う。俺ひとりが右往左往してる世界にリュイが飛び込んできた、みたいな。……いや、俺が引っ張ってきたのかな。わかんないけどさ」
レンの両腕を掴む手に、一瞬だけ力が籠った。
「……レン、俺は」
「リュイ、俺を、眠らせてくれないか」
リュイの言葉に被せるように、レンは言った。
「目を閉じても、全然眠れないんだ。頭の中がぐちゃぐちゃで、何を考えたらいいのかもわからなくなってきて、つらいんだ……だから」
リュイの目を見ると、そこには動揺の色がはっきりと映っていた。
「だめだ」
「お願いだ、リュイ。あの魔法を俺にかけてくれ」
しばらく沈黙が続いた。
ふっとレンの両腕から熱が離れる。
リュイが何も言わず、目線で寝台を指した。
「ありがとう」
レンは寝台に横になった。
手袋を外したリュイが脇に腰掛けるのを見て、レンは目を閉じた。
寝台がわずかに沈む。
リュイの手が、レンの頬に触れた。戸惑いの残る手つきだった。まるで触れてはいけないものを触れるかのような、そんな手つきで、そっと頬を撫でられる。
その指がわずかに震え、離れていく。
しばらくして、低く、静かな詠唱の声が耳に届いた。
――これでやっと、眠れる。
緩やかな睡魔の気配を感じ、レンは全身の力を抜いた。
闇に落ちる刹那、目元にあたたかな感触が触れた。ほんの一瞬で離れたそれは、まるでレンを眠りへと誘う、やさしい道標のようだった。
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