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第9章 歪なる静謐 -3-
「お前たちに神の子と呼ばれた男。それが私だ」
エメルの体が浮く。
「そして魔法陣を作り、この力と命を刻み込んだ」
「魔法陣を……? だがそれでは順序が……」
そう言いかけたリュイがはっと息を呑んだ。
「察しが良いな」
エメルは微笑むと、両腕で自身の体を抱いた。
「そう。私は今より遥か昔、古の時代に生まれた、この世界の者だ」
呆然とするリュイに、エメルが肩を竦めてみせた。
「伝承とは違う、か? まったく人は愚かな者よ」
地面に降りたエメルが、目を伏せ皮肉めいた笑みを浮かべた。
「いつの時代も自分たちに都合の良いように物事を捻じ曲げる。他者に縋り、命乞いをしながら、自身を犠牲に捧げようとはしない」
近寄ったエメルが、指先でリュイの顎をついと持ち上げた。
「挙げ句の果てには魔法陣を書き換え、異界の者を生贄にすべく召喚した」
「……書き……換えた?」
「ああ、私の作った魔法陣は、人の体を依代に私を召喚させるものでな。依代になった者は意識を失い、寿命が尽きるまで瘴気を祓い続ける。つまり『これ』だな」
エメルが自分の胸元に手を置く。
「残酷だと思うか? ひとりの命と、幾千幾万の命。お前はどちらに重きを置く?」
リュイは答えられない。
「……そして百年、いや二百年後だったか、ある男が……ふむ、実際に見せた方が早いか」
エメルが片足で地を蹴り、後方へと飛んだ。
リュイとエメルの間に、巨大な水玉が浮かぶ。
水玉が揺れ、そこに景色が映った。
初老の男たち三人が、顔を突き合わせ何かを言い合っている。
「生贄を殺しただと!?」
白髪の男が怒鳴ると、詰め寄られた髭面の男が肩を竦めた。
「神儀の生贄だとは知らなかったのだ」
開き直ったようにも見えるその仕草に、赤髪の男が呆れ顔でため息をつく。
「そういう問題ではない。まったく……エメル様の後見であるのをいいことにやりたい放題だと、星降る民から苦言が出ておるのだぞ」
「今や力を失いつつある羽虫のことなど放っておけ!」
「ああ、それより今は代わりの生贄をどうするかだ。責任を取ってお前の甥を差し出すか?」
「それは困る」
髭面の男は考え込むと、ふと声を潜めた。
「……辺境の一族が面白いことを言っていた。次元渡りの術を生み出した者がいると」
「その話はワシも聞いたが、鼠も通れぬ穴の話など今してどうなる」
髭面の男が、さらに声を低くした。
「重ねてみてはどうだろうか」
「……重ねる?」
聞き返した白髪の男が、顔色を変えた。
「お、お前まさか、エメル様の魔法陣を書き換えるつもりか!?」
「ものは試しだ。うまくいけば儲けもの。うまくいかなければ……その時はどこぞから生贄を拾ってこよう」
髭面の男はそう言うと、絶句する二人を回し見た。
「お前たちも言っていたではないか。瘴気を祓うためとはいえ、生贄を捧げるのはあまりに酷だと」
「それはそうだが……しかし……」
水面が激しく揺れ、景色が変わった。
洞窟のように薄暗い場所で、蝋燭の火に照らされた男たちが一方を見つめている。彼らの視線の先には、ぼんやりと光る魔法陣、そしてもうひとり、ローブ姿の男が立っていた。
ローブ姿の男が何かを唱え、手を動かす。すると魔法陣の上に術式が浮かび上がり、次の瞬間、重なった。しばらく経つと魔法陣が激しい光を放ち、そこから若い男性が現れた。
「……間違いなく異界の者だ」
ローブ姿の男が言うと、髭面の男が「おお」と顔を綻ばせた。
「さすが我が甥、一族随一の魔術師の力は伊達ではないな」
髭面の男がローブ姿の男の肩を叩く。その拍子に男のフードが外れ、顔が見えた。亜麻色の髪と藍色の瞳の――どこかリュイに似た風貌の男だった。
それらの風景がぐにゃりと歪む。
水玉が揺れ、弾け飛んだ。
「どうした、顔色が悪いぞ」
絶句するリュイに、エメルは声をかけたあと、ゆっくりと近づいた。
「魔法陣から異界の者が召喚されることがわかると、人々は喜んでそれを享受した。偶然にも書き換えた影響で異界の者は自我を保つことができたが、生涯を檻に閉じ込められた彼にとって、果たしてどちらが悲劇であっただろうな」
そしてエメルは語り出す――人々が『稀人』にした仕打ちを。
稀人が瘴気を祓い終えた後、人々は異界人の生体を調べることに躍起になった。実験的に女をあてがい、男をあてがった。子を為せるか、あるいは孕めるか。痛みにどこまで耐えられるか。皮膚の下、血の色、臓器の有無まで。生贄を酷だと言いながら、余所者に対しては驚くほど暴力的だった。
「最初に異界から召喚された者は、檻の隅で誰に看取られることなく命を落とした。彼らはその体を解剖し、埋葬すらしなかった」
リュイは顔を歪ませ、たまらず目を伏せた。
あまりにひどいその仕打ちは、最初に召喚された者が意思疎通もままならず、『瘴気を祓う力』のみが正常に働いたからこそ起こった悲劇だったかもしれない。
だが、書き換えた術式がある程度魔法陣と馴染み、膨大な魔力と秘術を有した異界人が百年単位で召喚されるようになるまで――つまり今の召喚術が定着するまでの間、その愚行は続いた。
「それでもなお、人々は愚かであり続けた」
冷たい声で、エメルは語り続ける。
召喚されたのは決まって年若い男性で、それまでの実験で彼らが子を為せないと推測されていたが、万が一を避けるため『女に触れるべからず』の掟が生まれた。ある時代、掟をやぶり稀人と通じた王女が死産の末亡くなった時、怒りに駆られた王は稀人を斬首した。結果、その時代の瘴気は祓われず、世界の半分が滅んだ。
「だが、後世に残ったのは『一切の禍を受けてはならず』という掟だった。もっともらしい筋書きに悲劇を織り交ぜて、人は自分たちに都合の良い掟を作り続けた」
不意に、エメルが口端を歪めた。
「極め付けは神殿の外に出たら死ぬ、だと? あれを作ったのは、当時の劇作家だよ」
「で、では、掟は全て……」
「ふふっ。『エメルの静謐律』か……くだらない」
真顔に戻ったエメルが、つまらなそうに息をついた。
「お前たちは歴史を改竄し、稀人を『飼う』環境を整えた。そうして作られた安寧の中で怠惰に過ごし、堕ちた澱みで魔力は薄まり、太古の術は失われ……そのあとは、お前も知っての通りだ」
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