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第11章 まどろみの果て -3-

「レン、それは……?」 「ん? ああ、これは……ってリュイにも見えるのか?」 「見えるが……もしかしてこれが、例の精霊?」  ふわふわと浮かんだ白い球が、挑発するようにリュイへ近づき、すぐ離れた。 「精霊じゃないらしいんだけど……詳しい話は後でな。彼らの力を借りてなんとか出られたんだ。俺がこんな姿になったから、リュイにも見えるようになったのかな」 〈……見えるようになったのではない。今まで見なかったものを『知った』だけだ〉  低い声が、どこか不服そうに囁いた。 〈力を使いすぎた。当分『この中《スピカ》』で過ごさねばならぬとは……〉  その小さい呟きは、風に消えて彼らには届かない。 「知る……。そうだ、エメルはアヴェンの気持ちを知らない」  何かに気づいたのか、レンが顔を上げた。  リュイに、夢で見た追体験を語る。エメルが見ていたもの。見ていたのに、見なかったもの。 「俺には、エメルの知らないアヴェンの感情があるように見えた。それをエメルにも見せられないかな」  だがどうやって?  思案するレンの横で、白い球――スピカがふるりと震えた。 〈この男の体を使えばいい〉 「え?」  スピカがリュイへと近寄る。 〈こいつとアヴェンの魂の色は同じだ。血も、霧の一粒程度は残っている。だが、レンたちと違って無理やりこじ開けるから、相当『痛い』ぞ〉  リュイは無意識に自分の胸元に触れる。  だが、迷いなどなかった。 「やってくれ」 〈では上着を脱げ。肌に直接刻む〉  リュイがシャツを脱ぐと、スピカがリュイの鳩尾あたりに何度か触れた。光が円を描き、直後、肌に紋様が浮かび上がる。 「……っ!」  鳩尾から激しい電流が体の末端にまで走った。その衝撃にリュイは一瞬息を止める。衝撃が去り、息を吐こうとしたが、今度は凄まじい痛みに襲われる。 「リュイ!」  駆け寄ろうとするレンを、リュイは片手をあげることで押し留めた。 「ぐ……っ!」  リュイは唇を噛んだ。切れた口の端から血が流れる。四肢はまるで先端から刻まれているかのような痛みが断続的に続き、体の至るところ全てが悲鳴をあげている。  だが、とリュイは落ちかけた気力を叱責し引き戻す。  この程度の痛み、耐えられないはずがない。むしろ、この痛みで全てが報われるのなら、願ってもないことだ。 「……っ……!」  スピカがリュイの体から離れた。  血の色をした紋様が、リュイの肌にしっかりと刻印されていた。  痛みから解放されたリュイは、崩れ落ちそうになる足に力を入れた。  すぐには息を吐けず、喉の奥で詰まった呼吸を、時間をかけて押し出す。  突然、風が唸った。  複数の雷鳴が轟く。そのひとつが尖塔に落ち、焦げ落ちた欠片が周囲に飛び散った。 「……なにをしている」  低いエメルの声が響いた。  怒りからか、髪が逆立っている。リュイが振り向くと、エメルはリュイに刻まれた紋様を見て、ほんの一瞬だけ表情を変えた。  スピカがレンに触れる。レンが小さく頷き、エメルの――自分の体へと飛んだ。重なろうとするが何度も弾き返され、実体と精神体が二重にも三重にもぶれる。 「やめろ」  エメルが、初めて焦りの声をあげた。  彼の意思に反し、手がリュイの紋様へと伸びる。 「いやだ……いやだ……」  暴風が吹き、竜巻が水晶の塔を破壊する。剥き出しになった魔法陣をいくつもの雷光が貫いた。 「たすけてアヴェン!」  エメルの絶叫とともに、光が広がった。  眩い閃光が、あたり一面を包んでいく――。  ◇ ◇ ◇ 「エメルに神の祝福が宿った」  はじめにそう言ったのは誰だっただろうか。  瘴気に覆われた世界。あちらこちらで死が口を開け、抗う気力すら無くしていた時だった。  同じ年に生まれながら、自分よりずっと体が小さく、幼くも見える彼に神の力が宿ったとわかった時。安堵する大人たちに囲まれて、彼は俯き、ただじっと地面を見つめていた。  世界を救える力を得たのに、なぜそんな顔をしているのか。  彼の、今にも泣き出しそうな顔を眺めながら感じた疑問の答えは、数年後に、知ることになる。 「どうして僕なんだろう」  その頃になると、エメルは神の子と呼ばれ、彼の存在が世界の命運に繋がっていた。彼は世界のどの命よりも尊く、けれど同時に、どの命よりも重い『枷』を背負っていた。 「アヴェン、僕はこわいよ」  そう言って泣くエメルの涙を拭い、抱きしめた。 「俺がずっと、そばにいる」  その時、はじめて、恐怖を感じた。  エメルの、世界にとってなくてはならない命の重さ。彼の存在、彼の意思、彼の感情が、世界の行く末を左右することを。  エメルの愛を一身に受けることへの恐怖。 「俺も愛してるよ、エメル」  そう言いながら、どうかこの震えがエメルに伝わらないようにと、懸命に祈った。  ――エメル、君は気づいていただろうか、俺の醜さに。  妻となる女性の懐妊を知った時、真っ先に思ったのは君のことだった。エメルはどう思うだろう。怒るだろうか、悲しむだろうか、と。  もし止めてくれたら……そんな浅ましいことまで考えた。君がそんなことをしないのは、わかっていたのに。  君の力を、利用したこともあった。  富や名誉に一切執着しない君を、愚かだと心の中で嘲笑ったことすらある。そうしておきながら、毎日世界のためだけに奔走する君を見て、取り残されたような気分になり、落ち込む日もあった。  俺の妻が死んだ日――君に殺された日。  葬儀を終えた夜に、俺の子を一緒に育てようと、君は言った。  あの時、俺が咄嗟に抱いた感情を、君は知らないだろう。知らなくていい。知ればきっと、君は俺を軽蔑する。    自分の感情がわからず、翻弄されることに疲れた時。  まどろむ君を見て、いっそ殺してしまおうと思った。君の命も、俺の命も、世界も何もかも、捨ててしまえば、俺たちは自由になれると思った。  俺の命が尽きかけた時、子どものように泣く君の涙を拭った時に、俺はようやく、気づいた。  君はずっと、そこにいた。  神の子ではなく、ただひとりの君として。  ずっと君のそばにいたのに、俺は長い間、本当に長い間、それに気づけなかった。  これから死ぬ俺の魂は、妻のところへはいけないだろう。そんな資格は、最初からない。  エメル、すまなかった。  君に向き合えなかった俺の弱さを、どうか許してくれ。  子どもの頃に交わした約束――ずっと君のそばにいること、これを果たせたことだけを誇りに、俺は消えていく。 「――愛している、エメル。俺の愛しい人」

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