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 俺はそうして夜にフェンの部屋へと向かった。  俺は柄にもなく緊張していた。大丈夫だと何度も自分に言い聞かせなければならなかった。 「いらっしゃい」  扉を開けたフェンがそう言って微笑んだ。その顔を見ただけで飛びつきたかったけれど、我慢した。フェンは礼服ではなく、リラックスした服装をしていた。フェンの鍛えられた体のシルエットがうっすら浮かんでいる。 「待ってた」  扉を押さえながらそう言われる。  俺を待っててくれたんだ。それだけで嬉しくなる。 「じゃあ、ここに」  フェンが椅子を示した。その前にはテーブルがあって、湯気を立てた紅茶が置かれている。  フェンは俺の前に座った。  緊張からか随分と喉が乾いた。俺は紅茶を飲んだ――。しっかりと味のする紅茶だ。 「どうだ?」  フェンが俺に尋ねる。 「自分で初めて淹れたんだ」  フェンは正直にそう告白した。俺は自分のあの味のしないお湯を思い出す。雲泥の差だ。 「うん、おいしい」  本心からそういうと、フェンはほっとした顔をした。フェンも確かめるように紅茶を口にした。 「何から話そうか……」  フェンが頭の後ろをかきながら言う。 「なんでもいい。フェンのことを聞かせてくれ。どんなことでも構わない」 「僕のこと?」 「そう。俺はフェンのことを全然知らない。もっと知りたい」 「それは、僕もだ。僕もルーのことを全然知らない」 「じゃあ、一つずつお互い話していこう。一つ話したら、一つ質問して、それに応える。どうだ?」 「うん、いいね。そうしよう」  俺たちは互いのことを話した。  国での暮らしについて。兄弟や家族の思い出。好きなもの苦手なもの、一人の時間の過ごし方。そして、それぞれの国について。  フェンがベッドに腰掛けた。俺もその隣へと移動した。  俺は隣に座るフェンを見て話し出した。 「俺は、自分が何か不当なことをしているんじゃないかと思うんだ」  しるしを撫でながら俺は言った。 「もらってはいけないものがなぜか手元に転がり込んできた、そんな気分だ。本当は返してしまいたいのに、誰もそれを認めてくれない。それはあなたのものだと言う――こんな気持ちでいてはいけないのもわかっているんだ。もっとふさわしい人間にならないといけないと思う。だけど俺は……やっぱり、最初に戻ってしまう」 「僕は」  フェンはベッドに寝転がって天井を見ながら言った。 「僕は、ルーが国王の国はとても幸せだと思う」  俺はなんとなくフェンが見れなくて、フェンと同じように天井を見上げた。綺麗な模様の彫り込まれた天井だった。 「そういえば、ずっと気になっていたことがある」 「? なんだ?」 「少し前に、市場で買った本の話をしたとき、フェンはすごく驚いただろう。あのことが気になっていて――」 「ああ、あれか」  意外に、フェンの反応はさっぱりしていた。どうやら聞いても良さそうだ。俺は話を促す。 「あれは、兄さんが書いた本なんだ。多分まだ、兄さんが二十にもならない頃に書いた話だ」  俺はあの話を思い出す。超えられない溢れた河。 「僕は読ませてもらえなかった。兄さんが嫌がったんだ。多分、恥ずかしかったっていうそれだけだと思う。でも気持ちはわかる。僕が何か物語を書いたら、きっと家族にも、知り合いにも読ませられない」 「そんなもんなのか? 俺ならみんなに読んでほしい」 「ルーらしいね」  フェンは笑った。 「だから、ずっと読みたいと思っていて――でも、やめていた。その方が良いのかなと思って」  目を伏せたフェン。俺は言う。 「ずるい方法を教えてやる」 「え?」 「俺から内容を聞けばいい。そうすればフェンはそれを読まずに済む」  呆気にとられた顔だった。そして声を出して笑った。 「それはいい。そうしよう」  それから俺は、フェンに本の内容を伝えた。  なるべく正確に、そしてあの本の文体のように淡々と。 「――って話だ」  俺が内容を伝え終わると、フェンは顎に指をあてしばらく考えていた。 「――面白い。さすが兄さんだ。すごく象徴的で、寓話的」 「フェンは――どうする」  聞かずにいられなかった。 「河が氾濫して、もう戻ってこれなくなったら」  フェンは即答した。 「戻るよ。どうしたって僕は戻る」  まっすぐ俺を見つめて。 「絶対に」  死んでしまうとしても?  俺がそう問いかけるとフェンは言った。 「死なないよ。僕は死なない」  まっすぐ言う。  ふわっと俺のこころの中があたたかなもので満たされて――俺はフェンに抱きついた。 「おわ、わっ」  慌てるフェンをそのまま押し倒す。俺はフェンの体に手を這わせ、いろんなところにキスをする。顔。指。手の甲。胸。腹。  再びフェンの目の前。  見つめ合って俺は言った。 「少しでもいやだと思うなら、俺を拒絶してくれ」  それは、要求だった。 「お前に無理をさせたくないんだ」  こんなこと、今まで言ったことがあっただろうか?  何人もと体を重ねてきた。男とも、女とも。だけどそのとき、俺はきっとそんなことはどうでもよかった。相手がどう思っていようと。どう感じていようと。多分相手もどうでもよかったのだろう。俺たちは相手に何も期待していなかったのだ。  でも今、俺はフェンに未来を期待している。  関係を続けていきたいと思っている。もっと相手を知りたいと思っている――。  フェンの手が俺の頬を撫でた。ゆっくりと俺の頭の後ろに手を回し、俺の頭を引き寄せると、優しく口付けた。  それが答えだった。  俺たちは服を脱ぎ裸になる。互いにベッドの上で座って向き合った。ゆっくりと抱きしめ合う。体温を感じた。改めて向き合う。フェンの視線が俺の『しるし』に向いているのがわかった。 「触ってみるか?」  俺は言った。 「え」 「触ってみて」  言うと、フェンの手が、おずおずと俺の『しるし』に伸びる。恐る恐る、という感じで、触っていいのか戸惑っているのが分かった。 「いい、のか? 痛かったりしないか?」  あのときはあんなに自信満々に口付けたのに。そう思うと俺は面白かった。 「いいんだ。触ってくれ」  息を呑むフェン。  俺は告げた。たぶんフェンが知らないこと。 「そこを、触ってくれ。それは、とても気持ちがいいんだ」  俺はフェンの腕をそっと撫でる。そして『そこ』に手を導いていく。  フェンの指が、そっと『しるし』に触れた。 「……ッ」  声が、吐息が漏れる。それだけで、俺は達してしまったのかもしれない。頭が真っ白になった。  初めてだ、こんなの。  あまりに、気持ちがいい。  俺はどうすることもできず、小動物みたいに目を細めて、うっとりとその悦びに浸っていた。 「きもち、いい」  思わず声が漏れた。  触るフェンの腕を掴む。愛おしくその筋肉を撫でる。そのままその腕に舌を這わせた。  そうだ、俺も――俺も、フェンの『しるし』を。  そう思って、俺は気がついてしまった。  目の前のフェンの体には、それがなかった。美しく白い肌のどこにも、その『しるし』は現れていなかった。  俺が今まで体を重ねた人々は、みんなそれを持っていた。そこを触れば、愛が与えられたのだ。  だけど、それがない。 『祝福のしるし』が、『堕落のしるし』が。  俺は途方に暮れてしまった。  フェンのどこを触れば、フェンに悦びを与えられるのだろう。どうすれば、フェンに愛を感じてもらえるのだろう。  フェンが俺を抱き寄せた。俺はフェンと体を重ねる。 「僕もきもちいい」  フェンが耳元で熱のこもった声で言った。  本当に?  俺が不安になっているのがわかるのか、フェンはまた俺にキスをした。体を撫でてくる。 「ルーも、きもちいいだろ?」  気がつけば口づけの合間から声が漏れていた。きもちよかった。『しるし』じゃない場所を触られているのに、俺はきもちがよかった。視界がちかちかするくらいに。 「フェンも、か?」  こくりとフェンがうなずく。俺の中で嬉しさが花開いた。俺はもっとフェンにきもちよくなってほしかった。ついばむみたいなキスで体をなぞり、指を這わせて優しく撫でた。 「う、……うぁっ」  フェンがのけぞって声を漏らした。俺はそれでますます嬉しくなる。  ――こんなセックスは初めてだった。  相手を見て。  どうしたらきもちよくなれるか考えて。  こころを通わせて。 『しるし』がなくても。  ないからこそ。  お互いにきもちを伝えて、伝えられて。  俺はフェンの大きくなったそこに、ゆっくりとまたがった。こっちをやるのは、本当に久しぶりだった。だけど俺はどうしてもフェンが中にほしかった。俺の中にフェンを感じてみたかった。  フェンが心配そうに俺を見る。俺はフェンを見つめ返す。それだけでちゃんと気持ちが伝わって、フェンは頷いた。  そして、フェンが中に入ってきた。俺は声が漏れるのをとめられない。嬉しくて幸せで――泣いてしまうかもしれない。  フェンが頬を舐めた。俺はもう泣いていたんだ。  かき抱くようにフェンを抱きしめて、強く強く力を込める。中に入ったフェンがびくびく動いて俺は嬉しい。 「好きだ、好きだ」  うわごとのように俺は言う。 「僕も、だ、僕も……!」  俺の中にフェンが放たれる。  俺たちはベッドの上でまどろんでいた。  無言で互いを見つめ合い、快楽の残滓を辿るように体に指を這わせた。  俺は嬉しかった。『しるし』がなくてもフェンを気持ちよくさせられたことが。フェンの体は白く透き通った肌。どこにもそれがない。  でもどうしようもなく悔しかった。俺は言った。 「お前にあればいいのに――俺と同じ場所に、俺と同じように、この『しるし』があればいい」  俺はフェンを見つめる。もしかしたら、睨みつけているのかもしれなかった。 「お前の体にそれがないことを、俺は許せない。  どうして、お前にはこの『しるし』がない?  お前は俺と同じじゃなきゃダメなんだ。  こんなに通じ合っているのだから。同じはずなんだから。  お前と俺は――」  黙り込んだ俺に、フェンが手を伸ばす。人差し指が、優しく俺の『しるし』に触れる。 「僕も、同じ気持ちだ」  手のひらで包み込むように。俺の呪いを、俺の悦びを。 「僕もこの『しるし』が欲しい、それはきっと、愛のしるしになるから。僕と、ルーとの」  俺は満足しなければいけないのかもしれない。  この言葉で十分じゃないか?  この笑顔で十分だろう?  だけど俺は何も言えなかった。           *  やがて心地よい疲労の中、俺の意識はゆっくりと夜に誘われる。  俺はまどろんで、薄暗い部屋、月明かりのもとで、フェンの顔をぼんやりと見る。  そこには、俺と同じ『しるし』がある。確かに、刻まれている。  俺は嬉しくなる。  ああ、これで――  これで本当に、一緒だ。  俺はゆっくりとフェンの顔に手を伸ばした。  そして、その手が触れるより前に、俺は眠りに落ちていった。

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