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 朝だった。いつだって朝は暴力的だ。眩しい光で、俺を夢のなかから引き戻す。  俺は起き上がる。見慣れない部屋。見慣れない窓の形。見慣れない太陽。俺はようやく昨晩何をしたのか思い出して――微笑ましい気持ちでまだ隣で眠るフェンを見た。  もちろんその顔には『しるし』なんてない。  俺は落胆も幻滅もしない。だって、世界はそういうものだからだ。どんなに確かに愛し合っても、『しるし』は決して刻まれない。目に見える愛のしるしなんて存在しない。  だけど、何かが変わった気がした。気のせいだろうか?  窓辺に歩み寄って外を見た。城下町が見える。 「おはよう」  後ろから声がかかる。フェンが起きたのだ。俺は振り返る。 「おはよう」返事をする俺が見たフェンの表情は、予期せぬものだった。 「ルー……」  目を開いて、眉を顰めていた。 「なに、どうしたんだよ」 「しるしが」 「え?」 「しるし、が……」  言われて、俺はゆっくりと顔に左手を伸ばした。ゆっくりと触れると、そこは今までと違う感触。他のところみたいな、普通の肌の感触。やわらかくて張り付くようなあの感触ではなくなっていた。 「こっちだ」  フェンに言われて、鏡台へと向かった。心臓が激しく脈打って、鏡を見るのが怖かった。  そこに写っていたのは、間違いなく俺の顔。  だけど、見慣れない顔。  綺麗な、しるしのない――俺の顔。  俺の後ろにフェンが写っている。心配そうな顔をしていた。 「困ったな」  言いながら、俺は振り返った。 「大丈夫、大した問題じゃないさ」  言って、肩をすくめた。  そんなこと全然ないって俺が一番わかってる。  俺は部屋に一旦戻った。さすがにフェンと一夜を共にしたことを他の人間には悟られてはいけない。だけど多分それを見抜いているだろう男が部屋にやってきた――クロノだ。 「おはようございます」  とはいえ、何もなかったように振る舞うクロノはやっぱり優秀だ。 「おはよう」  そう言って俺が振り返ると――さすがのクロノも、驚きが顔に浮かんだ。 「なくなっちゃった」  俺はそれだけ言う。  クロノは何も言わず(言えず、かもしれない)、しばらくじっと俺の顔を見つめていた。  俺はようやくなんだか事実の重みが実感されてくる。 「気が楽になった」  頬を撫でたらそう言葉が漏れた。  言って、本当にそうだと思った。ため息が漏れた。誰のため息だろう。 「――戻りましょう、国へ」  クロノが言った。  顔を極力隠して国へと戻る。緊急事態だからと、結局ほとんど挨拶もなく立ち去ることになってしまった。申し訳ないと思いつつ、あとのことはフェンがなんとかしてくれるだろうと思う。  馬車に乗り込んで、フェンの国から自分の国への道を進みながら、俺はフェンの言葉を思い出していた。 「僕は、ルーが国王の国はとても幸せだと思う」  その言葉は嬉しかった。  でも、きっと、俺はもう――。  城につくと、国王が俺を待っていた。事態は先に伝わっているようだ。  俺は顔を隠していた布を外した。王は――親父は唇をきつく結んだ。親父は何かを言おうとしているようだったが、結局何も言わず身を翻して去っていった。背中を見送りながら俺の中にまたぽっかりと穴が姿を現した。  自室に戻る。荷物を放り出してベッドに飛び込んだ。  感情が渦を巻いて言葉にできない。枕に叫んでしまいたかった。  ずっと捨てたかったものをやっと捨てられたはずなのに、どうしてこんなに苦しいんだろう。どうしようもなく苦しいのに、どうしようもなく安心している自分もいる。自分の感情がわからない。  立ち上がって鏡台へ向かう。俺の顔は綺麗(傍点)だった。鏡を叩き割りたい。  喜べ、もっと喜べ。  鏡の中の俺に言う。  お前は自由になったんだ。  お前にはもうそれはない。それが、荷物だったんだろう?  そうだ、そうだったんだ。  俺は鏡に拳を当てた。弱々しい力で。鏡の向こうの俺は苦しそうな顔をしている。  ――そうだった、はずなのに。  ノックの音がした。誰だろうと思っていると、「入ってもいいか」と声がした。ツェータだった。  こいつがノックをするなんて。  俺は目元を軽く拭ってから、「ああ、入れよ」と呼びかけた。  ツェータが入ってくる。いつものように無表情にも見えるが、俺にはそこに浮かんだ不安感や苦しみが見てとれる。ツェータは俺の顔をそして見て――眉間にしっかりと皺が寄った。 「理由はわからないのか」  いきなり本題に入るところがこいつらしい。俺はむしろおかしくなる。そして考える。  理由――。  あの夜を思い出した。あの、何よりもすばらしく結ばれた夜。  あれが理由なのだろうか? 「わか、らない」  そう答えるのが精一杯だった。 「そうか」  ツェータは追求してこなかった。ツェータは顎に親指をあて少し考えたのちに言う。 「いいかルー、これを見ろ」  ツェータは後ろを向いた。うなじに『しるし』が見えた。そこだけ髪の毛が生えていない、ピンク色のしるし。  ――俺にはもうないもの。  ツェータはそれをすっと指差した。 「これはただの『しるし』でしかない。それ以上の意味なんてない。祝福の象徴でも堕落の烙印でもなんでもないんだ。これに意味なんてない。  これはただの、この国の民特有の皮膚の炎症だ」  俺はそれを見つめていた。  そうだ。そうだけど。  だけどそれは、俺には……。 「お前にとって、お前の人生においてそれ以上の意味があることはもちろんわかっている。お前自身もこんなことは百も承知だろう。だけどな」 ツェータは振り返った。 「あまり気に病むな」  そして付け足すように一言。 「……俺が苦しい」  俺は何も言えないでいた。  ツェータは立ち上がって部屋を出ていった。扉に向かって俺はつぶやく。 「ありがとう」  そんな中、フェンから手紙が来た。 『一緒に市場に行きたい』ということが、丁寧に書いてある手紙だった。  俺はその手紙の向こうに、フェンからのいろいろな気持ちを感じた――フェンは俺のことを気遣ってくれているのだという事実が、何よりも俺には嬉しかった。  だけど、俺は返事ができなかった。  もちろん、フェンと市場に行きたかった。フェンにあの活気ある市場を見せたかったし、一緒にあそこを歩くのはきっととても楽しいだろう。  だけど。  市場に行くということは、俺のこの顔をみんなに見せるということだった。  どうやらこの件はすでに国民の中でも噂になっているらしい。だとすれば、落胆、失望……そんな表情が目に浮かぶ。  だから俺はフェンに返事ができなかった。  決心がつかなかったのだ。

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