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馬車が揺れている。目の前にフェンが座っている。馬車は市場へ向かっている。フェンと一緒にそこに向かっているのに、俺の気持ちは複雑に絡んでもつれていた。
一本一本を解きほぐしていかなければいけないのかもしれない。
そのために俺はゆっくりと話し出した。
「……ずっと、フェンのことを考えてた」
視線を落とした。フェンの顔を見ない方がきっと素直に話せると思ったから。
「フェンならどうするかなとか、フェンはこんな俺のことをどう思うかなとか」
それでもやっぱり、フェンの顔が見たくなった。
「そう考えると強くなれる気がした。お前みたいに」
フェンは俺を見て微笑んでいた。
「よかった」
フェンは正面から俺の隣へと移動してきた。俺の手に手を重ねて、ぎゅっと上から握りしめる。暖かな感触にフェンの顔を見た。
フェンがこつんと額を当ててくる。俺はフェンの顔を間近に見ながら、少し恥ずかしくて笑った。
そして馬車は市場にたどり着いた。賑やかな声がカーテンの向こうに聞こえる。
ここから降りることを考える。民衆が俺を取り囲んで、それで……。
足が躊躇してしまう。決意したはずなのに、どうしても怖いと思った。どうして俺はこんなに情けないのだろう。
「行こう」
フェンが俺を見つめる。青く透き通った綺麗な目で。大丈夫だという顔で。
俺は頷いて馬車を降りた。
みんなは既に気がついていたみたいで、馬車を降りた俺の周りに立っていた。たくさんの足が俺の視界に入っていた。
顔をあげなければ。
河を渡るんだ。
俺は伏せていた顔をあげた。
「皇子!」
「ルー様!」
次々に声がかかる。
「大丈夫なのですか」
「お身体は」
その、民衆の表情は、俺の想像したものとまったく違った。失望でも落胆でもなく――心配そうな顔。
あまりにも予想と違うその表情に、戸惑いを隠せない。俺は困惑したままなんとか答える。
「ああ、だいじょうぶ、だよ」
「何か起きたのかとみな心配しておりました。お体に変わりがなければ何よりです」
民衆の合間を縫って、一人小さな影が歩いてきた。視線を落とす。
この前の少年だった。
「おうじさま」
この前の少年だった。じっと俺を見つめている、俺の顔を。
「げんきですか。だいじょうぶですか」
少年は綺麗になった俺の顔を見ても、がっかりしていない。変わらぬ顔だった。俺の中のからまりが静かにほどけていく。
ああ。
――なんだ。
俺はしゃがみこんで、少年と正面と向き合った。
「ありがとう、大丈夫。俺は元気だよ」
少年の顔を撫でる。彼は安心したように笑った。
俺のこころの中で何かが弾けて、溢れ出た温かいものが俺の中を満たした。
俺は立ち上がって民衆に呼びかけた。
「みんな、ありがとう。心配をかけた」
俺はみんなに向かって頭を下げた。
顔を上げると、振り返ってフェンの手を握る。強く引いて、市場へと向かっていく。
「案内するよ、これが俺の」
自然に笑みが溢れた。
「俺の大好きな国だ!」
*
「きっと俺は、今までこれは勝手に与えられたもので、こんなものは俺は欲しくなかったとしか思っていなかったと思う」
市場を、そして国を巡った帰りの馬車の中で俺はフェンに話した。
フェンがじっと俺を見つめている。
「それは、今の皇子という身分のことか?」
俺は首を振った。それだけでフェンは理解したようだった。それでも俺はあえて言葉にした。
「きっと、この命についても。生きることについても」
この言葉はフェンを傷つけるかもしれない。失望させるかもしれない。それでも俺は言葉にして、そこから先に踏み出したい。きっとフェンなら、そのとき隣にいてくれる。
「でも、俺は初めて自分の役目について――そして自分の立場について真剣に考えた。
俺はどうしてあの『しるし』をもって生まれてきたのか。
もう『しるし』はなくなってしまったけれど、それでも俺は――」
続く俺の言葉を聞いて、フェンは口元を綻ばせた。嬉しそうなその顔と、その言葉。
「大丈夫。大丈夫だ」
城に戻った俺はある場所へと向かった。扉の前で深呼吸をしてから、三回ノックをした。
「どうした」
兄、タスクが部屋から出てくる。
「兄さん」俺は兄に呼びかけた。「今、大丈夫か」
「ああ、俺は大丈夫だけど……いいのか、お客さまがいるんだろう」
「大丈夫。少しだけ」
俺の表情を見て兄は何かを感じ取り、妻に「ちょっと、行ってくる」と声をかけ部屋を出た。
俺と兄は応接間へ向かった。今は誰もいないそのがらんとした空間で、俺はしっかり兄の目を見て言った。
「兄さん、俺、この国の王になるよ」
言葉は静かに、部屋の中に散っていく。
「王に、ふさわしい人間になる」
兄は言った。
「そうか」
「俺より兄さんの方が国王にふさわしいと今でも思う。きっと兄さんのほうが俺よりずっと正しい判断をするだろう。それでも、俺はやってみたい。この国をもっと良くしていきたい」
静寂が、しばらくの間俺たちを包んでいた。兄はようやく口を開いた。
「――ようやくその言葉が聞けた」
そう言って微笑む。
「安心した。お前はずっと、自分に務まるか不安だったんだろう? 俺はお前に任せることになんの不安もない。お前はずっと、ちゃんと向き合って悩んでいたんだから。だけどそこにそのまま飲み込まれてしまうんじゃないかと心配していた。お前をそこから救い出してくれる誰かに出会えればいいと願っていた」
兄は俺の肩に手を置いた。
「いい出会いがあって良かったな」
俺の頭に彼の顔が浮かぶ。
「誰のおかげなのかは、だいたい想像がつく」
兄はそのまま振り返り、扉へ向かって歩いて行った。扉に手をかけて開く前に、一度振り返ってこう言った。
「大切にするんだぞ」
俺は部屋へ戻る。
フェンが迎えてくれた。フェンの顔を見ると、我慢ができなくなって俺はフェンに抱きついた。フェンも俺を抱き返した。フェンの胸元に顔を埋める。
「なぁ、フェン」
顔を上げた。フェンが目の前にいる。俺は言った。
「この国に来ないか?」
フェンの両肩を掴んで、少し距離をとって改めて言う。
「この国に来て、それで、――俺と、ずっと一緒にいて欲しい」
届いて欲しかった。大切にしたかった。ずっとそばにいて欲しい。
「俺には、お前が必要だ」
フェンは、またじっと俺を見つめていた。フェンの青く丸い瞳が、射抜くように俺に向けられている。
フェンは俺の頬に手をやった、しるしのあった場所だ。そこから耳元の髪をかき上げて頬に手を添えると、ゆっくりと俺に顔を寄せて口付けた。
はにかむように笑って言う。
「よろこんで」
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