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第7話 左手の薬指ばかり追いかける僕を「友達」と言ってくれた

 そう、ぼんやりと彼の手に引かれるがまま歩いていたら、赤土色の煉瓦調の壁に囲まれた隠れ家的なカフェに連れられていた。  彼は店員さんと馴染みの関係らしく、店の外にはたくさん人が並んでいたけど僕らを快く通してくれた。僕は申し訳なくなって少し前屈みで歩く。店員さんに案内されたのは店の奥にある角のボックス席だった。向かい合うタイプの席で、僕は改めて緊張してしまう。  だってさっきまでいた猫カフェでは、ソファの横に座って隣同士だったから。彼の容姿が眩しくて直視しないように心がけていたから。  美しい彼の横顔を見ると、まるでひとつの絵画を見たような満足感があるのだ。彼の輪郭、骨格は絵の額縁のようだ。そして、彼の内面、魂は額縁の中に閉じ込められた月光そのもの。  そんなふうに思う僕を、彼は許してくれるだろうか。 「ここ。ラザニアが有名な店なんだ。チーズたっぷりで焦げてるとことか最高。きっとやみつきになるよ」  手早く2人分のラザニアと、僕の選んだホットのキャラメルモカ、彼の頼んだホットの抹茶ラテを注文し終えた彼に頭を下げる。 「ありがとう。初対面なのに、いろいろしてくれて……」  そう言うと、彼はくすくすと小さい子みたいに笑う。 「いいんだよ。ねえ。それよりさ。おにいさんの名前、聞いてなかったよね。教えて?」  テーブルの上に肘をついて顎に手を添える彼の指に嵌められたシルバーのリング。右手の中指にひとつ。左手の人差し指にパールのついたリングが目に入った。  ──良かった。左手の薬指にひとつじゃない。  僕はここで最終確認をした。自分のこういうところは本当に人としてどうかと思う。繊細すぎるというか、配慮しすぎているというか。  あの幼馴染が結婚してからというもの、僕は他人の左手の薬指を注意深く観察するという嫌な癖がついてしまった。神様に懺悔したいくらいだ。  ──僕は悪い子です。  と十字架に手を合わせて懺悔したい。  僕は彼が未婚であることを予測してほっと肩の力を抜く。  彼が未婚であるということが、自分とはまったく関係がないとわかりきっているのに。美しい人だから、もし誰かが彼を所有しているのなら自分は身を引こうと思っていた。  ──本当はすごく気が合うし、話していて楽しいから友達になりたいけれど。  息を軽く吐いてから彼に自分の名前を告げた。 「僕は|深月《みつき》。|朝比奈深月《あさひなみつき》」 「へえ」  彼は小さく頷くと僕ににこりと笑いかけた。その笑顔はやっぱり眩しくて僕は目を細めて見つめた。 「俺は|星七《せな》。好きに呼んで。深月。綺麗な名前だね。改めてよろしく」  ──星七くん。ううん。僕よりもずっと、星七くんの名前のほうが綺麗だよ。容姿だってすごく整っていて宝石みたいだし。  褒め言葉に慣れておらず曖昧に笑っていると、ちょうど熱々のラザニアと飲み物が運ばれてきた。 「熱いから気をつけて」  そう言うと、彼はナプキンとフォーク、おしぼりを手渡してくれる。紳士的なんだな。  ──リードすることに慣れてるのかな。  そう思って、僕じゃない他の人に星七くんがリードしているのを想像したら黒い感情が胸を支配してきそうになったから、やめた。  なんでこう、まだ起きてないことや確証のないことで一喜一憂したり、思い悩んじゃうのかな。ほんと、僕の悪い癖だな。  そんな冷たくなった自分の心を温めるようにホットキャラメルモカの入ったマグカップに口をつける。両手で持てば指先から熱が伝わってきて、一瞬で張り詰めた気持ちが和らいだ。  ほう、と息をのんでキャラメルモカを味わう。ほんのりビターな香りと、焦げたキャラメルの香り高い華やかさに身を包まれる。すごく、久しぶりに幸せな気分を味わえた気がする。身体中がぽかぽかとしてくる。  コップ1杯の飲み物が僕の気持ちを落ち着かせてくれた。 「すごく美味そうに飲むね」 「……!」  嘘。ホットキャラメルモカを飲んでいるところをじっくり見られてた?  星七くんはくくく、と忍び笑いを洩らして僕のことをじっと見つめてくる。目を合わせられないでいると、マグカップを持っていた手のひらをやんわりと掴まれた。 「俺も飲みたい。ダメ?」  星七くんの上目遣いの破壊力に僕の心の奥がぶわりと震えた。それを顔に出さないように、無言でマグカップを手渡す。 「ありがと」  星七くんは形のいい唇を引き上げて、マグカップに口を付けた。  良かった。僕が口をつけたのと反対側から飲んでる。もし同じところから飲んだら、間接キスになっちゃうよね……。 「あま」  ホットキャラメルモカを一口飲んだ星七くんは、舌で自分の上唇を舐めた。その仕草が妙に色っぽくて、小さな口元から覗いた舌が紅くて気になって仕方がなかった。  それとさっきから思ってたけど、星七くんってホワイトニングしてるのかな。歯がすごく白くてツヤツヤしてる。美容の意識が高いんだな。まあ、でもそうか。こんなに綺麗な人なら自分のケアも人一倍大切にするよね。  ほんの数秒の間、星七くんを見つめていただけなのに、なぜか胸の鼓動が速くなる。どくんどくん、とリズム良く弾ける胸の音。 「ほら、熱いうちに食べよ」 「う、うん」  星七くんにならって、熱々のラザニアにフォークを差し込み一口分の大きさを掬って口へ運ぶ。舌先にとろけたチーズを感じたら、すぐに濃厚なミートソースが口の中に広がった。お肉の旨みがぎゅっと濃縮されてるみたいだ。 「おいしい……!」  一口食べて、ぽろりと零した小さな僕の言葉を星七くんは拾ってくれた。 「だよね。ここのカフェのオーナー、友達なんだ。小学校からの」  自慢げに星七くんが誇るのを見たら、その友達が羨ましくなってしまった。  いいな。こんなに素敵な人と友達になれるなんて、その人はしあわせだろうな。 「いいな。羨ましいな」  そう、心の中で感じていたことがいつのまにか僕の口から飛び出していた。慌てて、口元を手で隠すと星七くんはきょとんとした顔をして僕を見つめた。 「なんで羨ましいの? もう俺ら友達でしょ?」 「……!」  星七くんはさも当たり前と言わんばかりに、僕のことを『友達』と呼んだ。それが胸にじいんと響いてきて、目元が潤んできた。  ──泣いちゃダメだ。せっかく仲良くなれたのに泣きだしたら、変な子って思われちゃう。  僕は泣きたい気持ちを堪えて、唇を持ち上げて笑う。たぶん、悲しいからじゃない。嬉しくて泣いてしまうんだ。 「俺の前ではありのままの深月でいてよ」 「……っ」  星七くんが微笑みかけてくれたその言葉に、僕は救われた気がした。堪えていた涙が、ぽろぽろと頬を伝う。泣くのは熱くて、苦しい。頭がぼーっとしてふわふわするのが苦手だ。自分で自分を制御できなくなりそうで。昔から、泣いている自分がひどく弱く見えて嫌いだった。  幼馴染との別れもあって、余計に泣くのが嫌になった。けれど、ベッドで眠る前や、仕事先でお昼ご飯を食べている時に、ふと思い出してしまう。  ──ずるいなあ、君のことを覚えているのは僕だけなのに。君はきっともう、僕のことなんて忘れてるのに。幸せな家庭を築いていると、わかっているのに。  そんなことを思い出してしまって、僕は23歳の大人のくせにはらはらと涙を零してしまった。仲良くなりたいと切に願った友達の前で。

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