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第8話 「また会おうね」指切りの約束

「ねえ。ちょっとそっちの席行っていい?」  不意に星七くんが声をかけてきた。僕は涙でぼんやりする視界の先にいる彼に、こくんと小さく頷く。  僕が泣き虫だから。僕がなかなか泣き止まなくて、嗚咽も止まらなくなってきたからか、星七くんが心配そうに眉を垂らして僕の座るソファに腰掛けてきた。  星七くんは肩にかけていた黒い革のショルダーバッグの中から、ハンカチとティッシュを取り出して僕の目元にあてがう。 「息が荒れてるから、少し落ち着いた方がいいな。俺の真似して? 吸ってー、ゆっくり、吐いてー、ゆっくり。はい、いち、にい、さん。吸って」  星七くんが僕の背中をさすって呼吸を整えようと声掛けをしてくれた。僕は早く嗚咽を抑えたくて、星七くんの真似をしてふうっと大きく、ゆっくり息を吸って吐いた。それを5回くらい繰り返していたら、ようやく乱れた息が落ち着いてきた。 「水頼もう」  星七くんは店員さんに声をかけ、お冷を注文してくれた。僕の異変を察した優しい店員さんが、数分もしないうちに冷えた水を持ってきてくれた。しかも、飲みやすいようにピンク色のストローも付けてくれている。  僕は店員さんに「ありがとうございます」と短く感謝を伝えてから、星七くんに勧められるがまま、グラスに刺さったストローに口をつけた。ぢゅーっと勢いよく吸い付けば、冷えた水が静かに喉を通っていく。ごくごくと何度か喉を鳴らして飲んでから、星七くんにグラスを取り上げられた。少し戸惑っていると、星七くんはほっとした表情を浮かべて僕の背中をよしよしと撫でてくれる。 「あんまり一気飲みすると身体が驚いちゃうから」 「あ、ありがとう……」  冗談ぽく笑って僕を安心させてくれる星七くんの優しさにずっと包まれていたいと思ってしまった。 「少し落ち着いた?」  ぽんぽん、と星七くんの持っていた白いシルクのハンカチで額の汗を拭いてもらう。僕は申し訳なくなって、星七くんの手ごとハンカチを握った。直後、星七くんの瞳が驚いた猫みたいにまん丸になったのを見て、僕は「しまった」とその手を引っ込めた。 「ごめん……ハンカチ、僕の汗で汚しちゃったね。洗って返すね」  すると、星七くんは穏やかな表情を浮かべてさらにぽんぽん、と優しく僕の額の汗をハンカチで拭ってくれる。その手つきや表情がすごく優しくて、心の荒波が静まるような心地がした。  星七くんはハンカチをくるりと反転させて、綺麗な布のほうで今度は僕の涙を優しく拭ってくれた。ぽんぽん、と一定のリズムで優しく撫でられると、なんだか星七くんが赤ちゃんをあやしているようなイメージが頭に浮かんだ。  ──僕、これじゃあもう赤ちゃんみたいだ……。  自分の不甲斐なさに落ち込みしょんぼりしていると、今度はティッシュで鼻をむぎゅっと優しく掴まれた。  少し悪戯な笑みを浮かべて星七くんが 「はい。深月。鼻、ちーんってして」 「ひゃ、ひひゃないお(や、きたないよ)」 「いいのいいの。ほら、ちーん」  嫌がる僕を他所に、星七くんはなぜか僕のお世話を楽しそうにしてくれる。にこにこと上機嫌なようなので、僕は観念して羞恥を捨て去り星七くんがあててくれているティッシュにちーんと鼻息を吹きかけた。 「よしよし。これで涙の跡は消えたね」  何もかも至れり尽くせりな星七くんに何度も頭を下げた。 「ありがとう。本当にありがとう」 「そんなに感謝されるほどのことじゃないよ。友達として当然のことをしただけ」  そう言われてしまうと、僕は何にも言えなくなってしまった。嬉しくて、感情が込み上げてきてまた視界が潤む。嬉しかったから。すごく、胸が温かくなったから。 「ああ、そうだ。深月。連絡先教えて」  僕はその言葉に身体中が歓喜するのを感じた。じわじわと熱の上がる身体に驚く。  ──そっかあ。嬉しいと、僕は身体がぽかぽかしてくるんだ。  最近、嬉しいことがなかった僕にとって自分の身体のサインを知ることには意義があったと思う。 「うん。もちろん」 「よし。じゃ、QRコード見せて」 「……はい」  互いのスマホを手元に持ち寄り、連絡先を交換する。 「うん。友達登録完了っ。わ。アイコンの写真かわいいね」  まさかアイコンを褒められると思っていなかった僕は、もじもじとしてしまう。小さな声で感謝を伝える。 「ありがとう。自分で描いたイラストなんだ」 「うそ! すごくかわいい。これ何の動物?」  僕のメッセージアプリのアイコンは、自分で書いたカワウソの赤ちゃんのイラストだ。カワウソの特徴を拾って、かわいくミニキャラにしてみたものだ。  趣味でかわいい絵を描くのが好きで、たまたまこの間描いた作品が自分でも納得のいく出来栄えだったから、アイコンに設定してみたのだ。まだ誰からもアイコンのイラストに言及されてなかったからか、余計に嬉しかった。 「カワウソの赤ちゃんのつもり……」  僕がぽつぽつと呟くと、星七くんはじっと僕を見つめてから、再度アイコンのイラストと見比べた。 「ああ。なるほど。なんとなく、雰囲気が似てる」 「え?」  「何のこと?」と質問しようとすれば、星七くんはくすくす笑って僕の顔の横に自身のスマホを持ち上げる。 「ほら。深月。このイラストの子にそっくり。目がくりくりで大きくてかわいいし、頬っぺももちもちで柔らかいし。なにより、優しいほんわかした雰囲気がよく似てる。イラストは描き手に似るんだね」  イラストを褒められたことも嬉しかったけど、星七くんが僕のことをよく見ていることも知れて2倍嬉しかった。  ──まだ出会って数時間しか経ってないのに、もうそんなに僕の細かいところまでわかってくれてるんだ……。  ぽっ、と心に明かりが灯る。 「じゃあ、また連絡するから」  星七くんがお店を出たところでタクシーを拾ってくれた。星七くんはこの後予定があるらしく、その場で解散となった。  僕はいつも通り電車で帰ろうと思ったけれど、星七くんが「タクシーで帰ってね」と僕に笑って圧をかけてきたのには目をぱちくりさせて驚いた。しかも、QR決済で先払いまでしてくれた。何から何までスマートだ。  僕は星七くんに家から近いコンビニの店舗名を聞かれたので、 「ネコネコマートの御茶ノ水店」  と答えた。すると星七くんはタクシーの中で座っている僕の指をそっと持ち上げて、自身の小指と絡めた。 「わかった。深月。じゃあまた今度会おうね。約束だよ」  きゅ、と優しく小指を握られ指切りをした。胸がきゅうっと締め付けられて、離れるのが寂しくて。それが表情に出てしまっていたんだろう。星七くんがぽすぽす、と安心させるように僕の肩を撫でてくれた。 「もー。そんな寂しそうな顔しないで? 俺も寂しくなるから」  ちょっと茶化したような星七くんの振る舞いも、今はすごく心地よかった。星七くんは名残惜しそうに僕の肩から手を離すと、タクシーの運転手に行き先を告げる。 「運転手さん。この子のこと、ネコネコマートの御茶ノ水店までお願いします」 「はい」  運転手が頷き、自動ドアがゆっくり閉まる。僕は窓越しに手を振ってくれる星七くんに、手を振り返した。星七くんの姿が見えなくなるまで手を振っていたら、星七くんも笑って手を振り返してくれた。タクシーが見えなくなるまで、ずっと。  その日の星七くんとの出逢いが僕の運命を大きく変えた。

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