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第2話

 僕がラジオ局に勤務し始めて一か月が過ぎようとした時、新入社員の歓迎会を制作部でやろうという話が浮上した。僕はお酒を飲むのが好きだから、飲み会の場は嫌いじゃないが、これがきっかけで、神野と距離が縮まることを僕は密かに危惧していた。普段の勤務はもちろん同じ部署だけあって、神野と顔を合わせることは多いが、お互い目まぐるしく忙しいのと、業務が被ることがないので、運良く会話をすることは殆どなかった。昼休憩は、わざと神野を避けるように、自分で作った弁当を、毎日屋上で一人食べているから。  でも、こんなこといつまでも続けられないよな……。  僕は心の中で、重い気持ちのまま覚悟を決める。  制作部の上司から、今日の一八時から歓迎会をやると出勤してすぐに伝えられた。場所は会社から歩いてすぐの和風居酒屋で、落ち着いた雰囲気の人気の店だ。  制作部の新入社員は僕と神野しかおらず、僕と神野は自ずと顔を見合わせながら、『歓迎会ありがとうございます』と上司に伝えた。  終業時間が近づいた頃、僕は机上を片付け始め、歓迎会へ行く準備を始めた。神野の様子をこっそり観察すると、神野も同じように帰り支度を始めている。僕は神野気づかれないように、先に制作フロアを出て、エレベーターに直行した。 「桜井君」  エレベーターが上から下りてくるのを待っていた時、いきなり誰かから声を掛けられた。 「え? はい」  僕はそう言って声のする方に振り返った。そこにいたのは、あの敏腕プロデューサーの奥村だった。彼の名前は奥村正則(おくむら まさのり)。何故か縁あってこのラジオ局で、しかも同じ部署で一緒に仕事をすることになるという、不思議な縁で繋がっている上司だ。 「一緒に会場まで行こうか?」  奥村はそう言うと、いきなり僕の肩を抱き、ちょうど良いタイミングで下りてきたエレベーターに僕と一緒に乗り込んだ。  エレベーターに入った瞬間、奥村は僕の肩から自分の腕を外すと、深い溜息を吐いた。 「君さ、俺に貸しがあるの分かるよね? あんなことあってさ、良くこのラジオ局に就職できたよね?」  奥村は露骨に迷惑そうな表情を作ると、僕に向かい苦々しくそう言った。 「……す、すみませんでした。僕もあれは予想外だったんです。本当に、本当にご迷惑をおかけしてしまって……申し訳ございませんでした!」  僕はただ不器用に謝ることしかできなくて、謝罪の気持ちを込めて奥村に深々と頭を下げた。 「あはは! 嘘だよ! 冗談! 君さ、ほんと面白いよ。俺、あの時マジでエキサイティングだったんだぜ。分かる? あの緊迫した現場を、何事もなかったように収める自分の対応力にマジ震えあがったね。いやあ、実にいい経験をさせてもらったよ~」  奥村は、白髪が混じる髪を鬱陶しそうにかき上げながらそう言った。その顔は、『実に愉快だ』と言わんばかりの上機嫌な顔をしている。 「桜井君! 今日は俺が君にお酒注いじゃうよー、覚悟してねー」  奥村は元気よくそう言うと、エレベーターが一階に着いたのを確認した。その瞬間、僕の腕を素早く掴んでエレベーターを降りると、居酒屋に向かい颯爽と歩き始める。 「あ、あの、ちょっと……」  僕は奥村に腕を引かれながら歩くしかなく、この予想外の展開にただただ戸惑うしかない。  僕は奥村に腕を掴まれながら、あの時の彼の武勇伝をずっと聞かされている。でも奥村は、僕と一磨のことには一切触れて来なかった。でも、もしかしたら、今この瞬間だけなのかもしれないし、宴会が始まれば、酒も入り根掘り葉掘り聞かれるかもしれない。でも、僕はきっとこの人はそんなことはしない人だと、不思議とそう思うことができた……。

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