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(第6章)第1話

 撮影地として選ばれている4月のバンクーバーは、日本よりも気温が低く雨が多い。今日もどんよりとした曇り空で、天気予報ではまた午後から雨が降るらしい。  でも、桜の咲く時期は日本と同じ時期だと知り親近感が湧いた。桜の種類も、日本ではソメイヨシノがメインだが、ここカナダでは「アケボノ」という品種が多いらしく、この間撮影の合間に散歩をした時見つけた桜の木が、「アケボノ」だと教えられた。  アケボノはソメイヨシノよりも花びらが丸く、中心部がほんのり濃いピンク色をしている。俺はあの時、道に花ごと落ちたアケボノを拾い上げると、まるで湊のように可憐な花だなと思い、その花をそっとポケットに忍ばせた。  散歩の時もそうだけど、俺はどこにいても、何を見ても、湊のことを思いだし、考えてしまう。湊は意外にもあっさり、自分のやりたかったラジオ局の仕事に打ち込み、俺のことを器用に忘れているみたいだ。でも、それを知った時は、正直少し寂しかった。  俺はそんなネガティブな気持ちを、頭を振って払い落とすと、撮影場所に向かう車に乗った。  車の車窓から曇天の空を見上げる。何となく頭の上から重い空気が乗っかっているような空気感にうんざりする。カナダに来てまだ2カ月弱しか経ってないのに、もう俺は既に日本が恋しくてたまらない。  はあ、情けないな……。  自分は今まで、何でもそつなく物事を熟せるタイプだと思っていた。役者という仕事もそうだし、勉強やスポーツもそうだった。でも、海外で映画の撮影が始まってから気づいたのは、そんな自分の自信は本当にただの自惚れであり、たまたま運が良かっただけだと思い知らされる。  基礎的な演技の勉強をしたこともなければ、ネイティブな英語も話せない自分は、ここではただの足手まといのアジア人の俳優でしかない。監督は何かと俺を目の敵にするように、英語の発音にダメ出しをしてくるし、演技指導も逐一細かい。  こんなに自分に自信をなくし、挫折感を味わうことになるとはさすがの俺も思っていなかった。逃げ出したい気持ちと、俺は毎朝ベッドで目覚めるたびに戦っていたが、最近ではいつも『湊に格好悪い姿だけは絶対に見せたくない』と強く自分に言い聞かせ、その気持ちを何とかやり過ごしている。  おい! 一磨! まだ撮影が始まって二週間だぞ! こんなんでどうするよ!  俺はこの間の湊とのビデオ通話を思い出す。湊の前では常に余裕のある男でいたいのに、俺はあの時、湊の顔を見た瞬間、我慢できず弱音を吐いてしまった。何とか取り繕ったけど、多分、勘の良い湊は、俺の今の状況があまり良くないことを察してしまったかもしれない。  でも、あのビデオ通話の後、俺は湊の、それこそアケボノの桜のような嫋やかさに救われたのは言うまでもない。本当に、本当に湊は、俺に強いエネルギーを与えてくれる。湊は、俺の落ち込んだ心を救い上げてくれる原動力だ。だからこの一週間、俺は初めてに近いくらい、自分の役になりきろうと集中した。それでもまだ、監督は俺にダメ出しを何度もしてくるけど、前よりは減った気がする。  大好きだよ。湊……。  俺はポケットからスマホを取り出すと、待ち受けにしている湊の画像を何秒間かじっと見つめた。そして、ぐっと腹に力を入れながら車から降りると、今日の撮影場所に向かった。  撮影場所に合流すると、監督が呼んでいると、現地の通訳の人に声をかけられた。俺は通訳と一緒に監督のいるところまで歩いた。  その男性監督は俺を見るなり、元気よく『カズマ!』と声をかけてきた。俺は正直今日も朝からクドクドと演技指導をされるのかと警戒したが、監督はいきなり俺の肩を抱くと、英語で何かを言った。日常的な簡単な英語をゆっくり話してもらえれば何とか理解できるが、少しでも早口だったり、専門用語や難しい言葉を使われたりすると、正直ちんぷんかんぷんだ。俺は縋るように通訳を見つめた。 「最近の一磨の演技は自然でとてもいいって。何かいいことあったのか? だってさ」  俺はその言葉に驚き、疑うように監督を見つめた。 「でも、英語の発音はもっと練習して、NGを出さないようにしてくれ! だってさ」 「はは、あはは……」  俺は何だかおかしくなって笑ってしまう。  少しだけ、ここカナダで、俺は初めて手ごたえみたいなものを感じ取ることができた。それは紛れもなく湊の力が大きい。俺はもう一度スマホを手に取ると、待ち受けの笑顔の湊に、そっと微笑みかけた。

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