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第6話
7月のバンクーバーは日本よりも涼しく、降水量も少ない。湿度は低く割とからっとしているから、過ごしやすくてとても快適だ。年々猛暑が猛威を振るっている日本の夏とは大きく違い、もしかしてここは、本当にユートピアなのかもしれないと、俺は最近真剣に思い始めている。
今日は撮影がオフの日で、俺は自分が住む賃貸アパートから、歩いて数十分のところにある公園まで、気晴らしに散歩に来た。
公園に近づくにつれ潮の香りがしてくる。この公園は、海に囲まれた半島で、都会の中に森と海が寄り添うように存在している。
海沿いの遊歩道が特に有名で、俺はそこを目指して、バカでかい公園で迷子にならないように、慎重にその遊歩道まで歩を進めた。
遊歩道は本当に海沿いにあり、その反対側には深い森がある。更に遠くには近代的なビルが並び、そのコントラストがあまりにも絵になり過ぎている。
俺は遊歩道を歩きながら思う。もし隣に湊が居たら、まさしくここは自分にとっての完璧なユートピアになるだろう。こんな雄大で爽やかな景色を、湊とここでずっと一生共有できたらどんなに幸せだろうか。誰の目も気にせず、開放的に湊と愛し合えたら、俺は多分幸せ過ぎて死んでしまうかもしれない。この世に正負の法則があるのだとしたら、多分俺は、自分の寿命と引き換えにしないと、この幸せを手に入れられないのかもしれない。そんなバカなことを考えてしまうくらい、湊とカナダで生きる世界は、怖いくらい幸せなのだと俺は言いたいだけ。
遊歩道を歩きながら、すれ違う幸せそうなゲイカップルを見かけるたび、俺はつい羨ましい目で見つめてしまう。
あー、くっそ、マジで湊に会いたい……。
俺は湊への募る思いが爆発しそうで、そんな自分の気持ちを静めるために、いきなりジョギングを始めた。
そう言えば、あの男どうしたかな……。
俺は走りながら、あの山田という男を不意に思い出した。本当は、湊としたビデオ通話の時にそのことを確認したかった。でも、俺は変にプライドが働いてしまい、湊に山田について尋ねることを躊躇ってしまった。でも、今こうやって思い出してしまうと、俺は急に焦燥感に心がざわつき始める。
もしかしたら、俺がいない間、本当に湊と連絡を取っているかもしれない。俺はそう思ったら、急に居ても経ってもいられなくなって、せっかくリフレッシュのために公園に来たというのに、俺は踵を返すように、今度はアパートに向かって走り始めた。
アパートに着いた頃は、俺はもうへとへとになっていて、異国での生活にストレスもあるからか、カナダに来てからの俺はだいぶ体力が落ちている気がする。
俺はベッドに倒れ込むと、呼吸を整えてからスマホを握りしめた。今日は平日の火曜日だ。こっちの時刻は、今午後の3時。時差を素早く計算すると、日本は朝の8時ぐらいになる。ちょうど出勤の時間帯だ。
ビデオ通話をするのは無理だと分かると、俺はラインの画面を開いた。もの凄く山田と湊のことが気になって仕方がないのに、いざライン送ろうとすると、どんな言葉を並べたらいいか分からなくなってしまう。
俺は心を落ち着かせながら頭を働かせると、ゆっくりラインを打ち始めた。
『湊。おはよう。今日は俺オフなんだ。あのさ、ちょっと気になることがあってラインしたんだけど、湊が前に付き合おうとしていた山田さんって人から、最近連絡来てないか?』
俺は何度も自分の打った文字を読み返すと、意を決し送信ボタンをタップする。
通勤ラッシュのこの時間にすぐには既読にはならないと思い、俺はわざと見えないところにスマホを置くと、汗で濡れた体を流そうとシャワー室に入ろうとした。
その時、ラインの通知音が部屋に響いた。俺は驚いてスマホに飛び付くと、ディスプレイを恐る恐る見つめた。
そこには湊からのライン通知が表示されている。俺は心臓を鳴らしながら湊とのラインの画面を開いた。
『来たよ。一緒に食事したんだ。僕はずっと山田さんとちゃんと話がしたかったから、連絡が来て本当に良かったと思ってる。山田さん一磨に会ったって言ってたよ。僕はね、一磨がビデオ通話の時、ひどく辛そうに見えたから、僕が自分の思いを一磨に押し付けたことを後悔してるって、山田さんに相談したんだ。そしたら山田さんが、僕を強く励ましてくれて、とても勇気を貰ったんだよ』
俺は湊のラインの文章を読んで、複雑な気持ちになる。この気持ちは、あの男に対し負けを認めたくないという俺のプライドから来ている。悔しいくらい山田という男は完璧に近すぎる。
確かに、最近の湊は、ラインを通して俺を前向きに励ましてくれている。それが俺にとってどれだけ力になっているか。それもまた、あの山田のおかげだと思うと、俺は何となく気に食わない気持ちになってしまう。
『山田さん、何か変なこと言ってなかった?』
俺はなるべく、嫉妬心を隠すようにそう尋ねた。
『言ってないよ。相変わらず素敵な人だったよ』
俺は湊の返信で、山田が益々気に食わなくなる。
『悔しいな。認めたくないけど、確かにそうだよな』
俺はつい拗ねた子どものような返信をしてしまう。
『山田さん、僕にこんなこと言ってくれたんだよ。一磨の世界の中心は僕だから、僕が強くならないとダメだろうって……』
湊の返信に、俺は胸がぐっと苦しくなった。
『へー、あの人凄いね。マジその通りだよ……』
俺は山田という男に完敗したと項垂れながら、素直にそう返信をする。
『でしょ? だから僕は一磨の中心として、これからもっともっと強くなるつもりだよ!』
俺は湊の返信にすぐに返事を返したかった。でも、指が震えてしまって上手くできない。
ああ俺って、世界一の幸せ者かもしれない……。
俺はそっと天を仰ぐと、こみ上がる感動に深く浸り続けた……。
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