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第5話

 自分がカナダに来ていることをラインで一磨に知らせたのは、一磨が普通病棟に移ってから2日後だった。もうその頃には、一磨はスマホを操作できるくらい回復していて、返信はすぐに届いた。  一磨の興奮が伝わる文面を読んで、僕は一磨がこの世にいる事実を実感し、また涙が溢れそうになった。 『退院したら、湊の泊まってるホテルに行くから、どこにも行かないで待ってて』  僕はそのラインに、胸がカっと熱くなる不謹慎な自分が嫌になった。でも、胸を高鳴らせながら僕は、『うん。待ってる』と素直に返信を送ってしまった。  僕はホテルのデスクから立ち上がると、ベッドに勢いよく寝ころび、天井を見上げた。 「早く会いたい。一磨……」  あの時の僕は、そう呟くと、ベッドの上でゴロゴロと身体を回転させながら、その湧き上がる情熱に悶えていた。  今日は一磨が退院する日だ。退院後に諸々の用事を済ませたら、一磨は僕の泊まっているホテルに来る予定になっている。僕はデスクに座ると、タブレットに向かい、作成したラジオ放送の企画構成案を、もう一度読み返す。  まずは奥村にこの企画を通す必要がある。でもその時点で、却下される確率はかなり高いだろう。もちろんその前に、一磨にちゃんと話しをし、一磨の事務所にも理解を得られないといけない。  そう考えると、かなりハードルの高い計画になる。最早これは、イチかバチかの賭けになってしまうだろう。でも僕は、この計画がダメになった時のことをあまり考えていない。それを考えてしまったら前に進めないから。  腕時計を見ると、時計の針は18時15分を指していた。一磨が来るのは予定では18時半ぐらいのはずだ。  僕はどうしてもじっとしていられなくて、タブレットを閉じて部屋を出ると、エレベーターを使ってホテルのロビーに向かった。  あと少しで一磨に会えると思うと、逸る気持ちが抑えられない。  僕は自動ドアを抜けると、ホテルを出た。  バンクーバーのこの時間帯の雰囲気は、とても穏やかで落ち着いている。並木道には夕日が差し込み、近くの建物の壁は柔らかな黄金色に包まれている。日没は20時ぐらいだと聞いていたから、まだまだ明るい時間が続くのだろう。ただ、ほんの少しだけ海風が冷たいと感じた。  僕は自分が来た駅の方向に向かって並木道を歩いた。腕時計を見ると、約束した時間をちょうど指している。  すれ違ってしまう可能性があることを解っているのに、じっして一磨を待つことができない。  僕は熱に浮かされたみたいに緑が美しく輝くメープルの並木道を歩いた。  その時、大きなクラクションが僕の耳に届いた。僕は音のする方に驚いて振り返ると、僕の数十メートル後ろに一台のタクシーが止まっている。  数秒後にタクシーのドアが開くと、そこから僕が会いたくてたまらない人が姿を現した。 「湊!!」  一磨は大きな声で僕の名を呼ぶと、僕に向かって真っすぐ駆け寄って来る。  ああ、神様……今僕の目の前に一磨がいます! 「一磨!」  僕もそう叫ぶと、一磨に向かって慌てて駆け寄る。でも、一磨に会えた嬉しさで、僕の足は完全にもつれてしまい、前のめりの転びそうになる。 「危ない!」  一磨はタイミング良く僕の体を支えると、そのまま僕を強く、強く抱きしめた。 「湊! 湊! 湊! やっと会えた! すごく会いたかったー!」  一磨は僕の耳元で大声で叫ぶから、危うく鼓膜をおかしくしそうになる。でも、僕も同じくらい嬉しくて、一磨の背中に腕を回すと、『僕も会いたかったよ!』と叫んだ。  僕たちはしばらく、人の往来がある並木道で、人目も憚らず抱き合った。まるで離れたら、一生出会えないくらいの切なさを込めながら。  一磨はゆっくりと僕から体を離すと、僕の頬を両手で包みながら僕を見つめた。僕も同じように一磨をまじまじと見つめ返す。  一磨は病み上りだという雰囲気を僅かに纏わせている。でも、一磨の目は、日本にいた時と同じように、活き活きと輝いた目をしている。僕はそれを確認できて、心の底から安堵する。 「身体は、本当にもう大丈夫なの?」  僕はそれでもまだ不安で、一磨にそう問いかけた。 「ああ。完全に元気だよ。いやあ、俺、少し無理しちゃったよ」  一磨は困ったように眉根を寄せると、自分の頭を乱暴に搔きながらそう言った。 「本当だよ! もう。僕も死んじゃうくらい心配したんだぞ!」 「ごめん。湊……でも、こうやってカナダで会えたよ。俺たち……」 「え?」  僕がそう言った時、一磨はまた僕の頬を両手で包むと、いきなり激しめのキスを僕に落とした。 「ふっん、んん、ちょ、こんなとこでっ」  僕は慌てて一磨の胸を強く押しやった。 「大丈夫だよ。湊……ここはカナダだから」  一磨はそう言うと、構わず僕にキスをし続けた……。

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