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第14話 世間⑤
継信のロッカーを見た木村はぞっとするものを感じた。そこにあるのは、人を傷つけようとする、明確な悪意だった。
「‥‥何でこんなことになってんのか、誰か知らないのか」
クラスの生徒はみんな口を噤む。誰も木村と顔を会わせようとしない。しっかりと前を見ているのは教卓のすぐ前にいる黒江だけだ。その黒江が、声を出した。
「朝、一番に来た人は何か知らないんですか」
最初に教室に来た生徒が、職員室に行って教室のカギを取ることになっている。その際、名前を書くので、言い逃れはできないはずだ。すると、気の弱そうな男子生徒がおそるおそる声を上げた。
「あの、今日、一番だったのは俺だけど、‥もう、朝来た時にはこの状態だった、です」
木村はそう言った生徒を見つめ、心の中で大きくため息をついた。厄介なことになった。。
昨日までは修学旅行の代休で二年生は全員休みだったはずだ。昨日までに為されたことなら、他学年の生徒か、部外者か。
または、あいつが嘘をついているか。
木村は今発言した生徒をじっと見たが、生徒は顔を下げたまま、決して木村と目を合わせようとしない。
自分のクラスの生徒を疑いたくはない。
だが、継信が何となくクラスから浮いているのは木村も把握していた。そこまで大きな被害はないとみて何も手を出していなかったのが災いしたか。
しばらくの間考えて、木村はようやく口を開いた。
「この件について、何か心当たりのあるやつは個人的に俺にチャットでもくれ。‥‥まさかこのクラスのやつがやったとは思わないが‥」
そう言いさしてじろりとクラス全体を見回した。するといつもふざけてばかりいる生徒が言った。
「うわ、先生俺らを疑ってるわけ?ないわ~」
木村はぎろっとその生徒を睨んだ。生徒はへらへらと笑いながら木村を見ている。
「あらゆる可能性について言っただけだ。‥邑前、お前はこっちのロッカーを使え。‥中のもんは‥ちょっと俺が預かる。予備がありそうなら教科の先生に言って俺がまとめてもらってやるから」
「‥‥すみません、ありがとうございます」
「もう、こんなことはないと思うけどな」
木村はクラスをもう一度ぐるりと見回した。
いやな沈黙が、広がっていた。
この高校で、ここまでの幼稚ないじめ事案に発展したことはこれまでになかった。継信のロッカーのことは、あっという間に学年中に広まった。試験が終わってすぐに光映が継信のクラスにやってきた。
ガタン!と乱暴にクラスのドアを引き開け、ずかずかと継信のそばに近づいた。継信は思わず身をすくめる。その顔を見て苦々しい表情を浮かべた光映は後ろを振り返ってロッカーを見た。
一つだけ扉がきちんと閉まっていないロッカーがある。それを見た光映は拳をぐっと握りしめながら、ぎりりと奥歯を噛みしめた。
濡れ汚れたものたちの跡が、悪意の存在を示している。自分が一年半、暮らしてきたこの場所にこんな薄汚い悪意があったのかと思えば、怒りと諦観とやりきれなさがこみ上げてきて身体が震える。
「‥誰だ、こんな卑怯な真似をしたのは!」
大声で叫ぶ光映を、クラスの生徒たちは遠巻きにして眺めた。まだ教室にいた木村は、すぐさま光映のそばに行ってその背中を叩いて宥めるようにした。
そして光映の耳元に顔を寄せて囁くように言った。
「安芸坂、落ち着け。お前の言い方だと後から邑前がしんどいかもしれんだろ?‥悪いが、俺のクラスのことだから俺に任せてもらいたい」
言われて光映は継信を見た。俯いて唇を噛んでいる継信の姿が目に入って、少し冷静になる。ふーと息をついて、木村の顔を見る。
「‥頼みます。何かあれば言ってください」
「おう」
そして、光映は継信に声をかけた。
「継信、帰ろう」
「あ、おれ、先生と少し話があるから‥」
「‥そっか、じゃあ待ってるよ」
そのまま、光映と継信、そして木村が連れ立って教室を出る。三人が教室を出るとすぐに、クラスの生徒たちががやがやと騒ぎ出すのが耳に入ったが、気にせず木村についていく。
クラスの中で、帰り支度を終えた黒江が教室を出る。その顔には何かを考え、決めかねているような表情があった。
職員室隣の相談室で、光映と継信は木村と話をした。継信はちらりと光映を見て「話しても‥いい?」と聞いてきたので、力強く頷いた。
継信が守れるのであれば、自分の評判などどうでもよかった。
継信はスマートフォンを差し出し、修学旅行からの一連のことをすべて木村に話した。木村の顔はどんどん厳しい表情になっていった。
継信の話が終わると、木村は眉に思いきり皺を寄せたまま天井を見て額に手を当てた。
「問題が、いろいろと絡まってるな‥」
「‥どういうことですか?」
口調も荒く光映が問い詰めると、木村は苦笑して光映を見た。
「まず、こういったSNSの使い方は校則でも禁止されているし、リテラシーの問題があるよな。そしてお前たちを含むセクシャルマイノリティの問題。そのマイノリティに対する差別やヘイト、そしていじめの問題。さらには、‥まあ考えるのがつらいが、俺のクラスに嘘つきの卑怯者がいるかもしれないという問題」
木村は指を折って数えながら言う。光映と継信は黙って聞いていた。木村は真顔の二人を眺めながら、そろりと言葉をかける。
「邑前のことは、俺もこれから考える。学校資料の方も先生方に聞いておくから、今日は上履き持って帰れ。‥それから」
と言って、何とも言えない顔で二人の顔を交互に見た。
「不純な、同性交遊もすんなよ」
二人は、黙って返事をしなかった。
二人を帰すと、木村は光映のクラス担任である海崎を探した。テスト期間中ということもあって珍しく自分の席にいたので、目顔で合図しミーティングブースに連れ込んだ。木村と海崎は年齢も同じ三十代半ばであるし、同じ二年の担任なので話す機会も多い。
そして、セクシャルマイノリティについて詳しい、という話も聞いたことがあった。
一通りの話をすると、木村と同じように海崎も深いため息をついた。
「難しいな‥」
「どっから手を付けりゃいいのか、って感じだよな」
木村の言葉に頷きながら、海崎は頭をぐしゃぐしゃとかきむしった。
「安芸坂は、普段は人当たりがよくて明るい奴だが、根はこだわりが強くて思い込みが激しいところもある。今日の話を聞く限り、安芸坂が暴走しないように見ておかないとならんよな」
「そうだな。邑前に対する嫌がらせも、これ以上ヒートアップしないようにしないとだしね」
「そもそも、LGBTQ+の人々ってのは言うほどマイノリティじゃない。データのばらつきはあるが、人口の5%から10%ほどはいると言われてる。‥つまり、38人のクラスなら最低でも2人から4人はいる計算だ」
そこまで詳しい数字を知らなかった木村は目を丸くして海崎を見た。海崎は言葉を続ける。
「そもそも、自覚が遅い場合もあるし決められた枠組みの中におさまらないセクシュアリティも多い。だから、一概には言えん。同性愛、と一口に言っても色々だしな」
海崎の説明を聞きながら、だが目に見えないということはそれだけ当事者が表に出られないということなのだ、と木村は思い、光映と継信がどんな気持ちでいるのかを考えると胸が痛んだ。
海崎は続ける。
「しかも、そのポストはいわゆる「アウティング」にもあたる。その人の性的指向は個人情報だし、勝手に他人から暴露されていいものじゃない。‥‥そういったところから子どもらには教えていかないかんようだな」
海崎はきっぱりとそう言うと、椅子から立ち上がった。木村はそれを見あげて怪訝そうに尋ねた。
「どうするんだ?」
海崎は、ブースの出入口まで来て振り向いた。
「お前もテスト期間中で忙しいと思うが、手を貸せ。養護の先生と、セクシュアリティについての資料を作る。‥そして総合HRの時間に配布しよう」
「ああ、もちろんだ」
木村も勢いよく立ち上がり、海崎の後を追った。
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