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第16話 世間⑦

黒江はつかつかと危害を加えた生徒の前に近づいていき、フルスイングで腕をしならせバシン!とその頬をひっぱたいた。 思わずよろめくほどの力でたたかれた生徒は、あまりのことに茫然としている。 黒江は振り向いてじろりとクラス全体を見まわした。 「どこまで幼稚なの、あんたたち」 どこから出てくるのか、地を這うような低く、腹に響くような黒江の声だった。 「キモい?‥あんたたちの方がよっぽどキモいわ。大勢で寄ってたかってバカみたいな誹謗中傷に暴力。‥いじめ、なんて言葉は使わない。あんたたちがやってるのは、警察に被害届を出せば捕まりかねない犯罪行為だ」 先ほどまでの教室の喧騒が嘘のように、静まり返っている。よそのクラスの生徒たちも、どんどん廊下に出てきてギャラリーが増えていく。 「男同士が抱き合ってたからホモでキモい?なんだそれ。小学生とかが言ってるあいつ、あの子が好きらしいぜ~とかの域を越えてない、幼稚な考えだよね。じゃあ、あんた、あんた、それからあんたもつきあってる奴いるよなぁ?休み時間ベッタベタしてるもんね。私に言わせるならそっちの方がキモいよ、人前でやるなよ、きっしょいな」 黒江に指さされた何人かが、顔を赤くして下を向いた。心当たりは十二分にあったのだろう。 黒江の言葉は続く。 「誰が誰を好きだろうがつきあってようが、関係ないよね?邑前さんがあんたたちになんかしたの?迷惑かけた?してないよねえ!?」 黒江は言葉を切ってゆっくりとクラス全員を眺めまわした。 「今の時代に、LGBTQ+の詳しい知識も知らないで、ホモホモってバカの一つ覚えみたいに‥無知のくせに浅い価値観で人を傷つけて楽しいか?‥ああ楽しかったんだろうね、何度も何度も邑前さんに嫌がらせしてたもんね」 何人かの生徒が居心地悪そうにもじもじとして下を向いた。彼らもまた、思い当たることがあるのだろう。 黒江の言葉は終わらない。 「そんなに寄ってたかって誰かを少数派ってことでいじめたいなら、私をいじめれば?私はアロマンティック・アセクシャルだから」 耳なじみのない言葉に、聞いていた生徒たちは皆怪訝そうな顔をしてお互いの顔を見合わせた。その様子を見て、黒江は鼻で笑った。 「知らないんだよね、アロマンティック・アセクシャル。知ってる人いるならここで説明してみろよ!」 語気も鋭く、叫ぶように吐き出された黒江の言葉に応えるものは誰もいなかった。黒江は馬鹿にしたようにハッと笑って言葉を続ける。 「自分たちのあっさい偏った知識で人を決めつけて、傷つけて楽しい?そんなあんたたちも高校卒業して大人になって親になんの?親になって子どもに言うの?『いじめはダメよお』って。こんなに人を追い詰めて傷つけたのを忘れて! ふざけんなよ!傷つけられた方はずっと苦しむんだよ!」 黒江の目にじわっと涙が浮かんできた。鼻を赤くして涙を零しながら黒江は叫ぶ。 「悲しくて泣いてんじゃないから!頭に来てんだよ!人の心に寄り添えない、クソみたいなやつがこんなにいっぱいいるってことに腹が立って涙出てんだよ!」 「黒江、もうやめろ」 隣のクラスからやって来た海崎が、黒江の肩をぽんとたたいた。黒江はポケットからハンカチを出して顔を雑に拭うと、 「顔洗ってきます」 と言ってその場から離れた。 海崎は隣のクラスである生徒たちの顔を見回した。表情はそれぞれだが、今の黒江の言葉がどれだけ響いているかはわからない。ただ、あの叫びを無視することはできない、と思った。 「‥俺は、経過をよく知らないからお前たちに色々言えることはない。でも、黒江があそこまで言ったということを、受け止めろ。そして、黒江が言っていたアロマンティック・アセクシャルについて調べろ。マイノリティの呼称だ。お前たちには、そういう知識が少なすぎる」 海崎はそれだけ言って教室を出ると、廊下に溜まっていた生徒たちにそれぞれのクラスに戻るよう声をかけ始めた。 黒江はその後、戻ってきてから何事もなかったかのように自分がぶちまけた塗料の後始末をした。そして自分に振り分けられた仕事に黙々と取り組んでそれを済ませると、帰りのHRの時間になるまで教室で本を読んでいた。誰も黒江に話しかける者はいなかった。 一方、意外と頬と腕の切り傷が深かった継信は、病院に連れていかれて治療を受けた。腕の傷は二針ほど縫うことになった。腹部も酷い打撲をしており、頭も打ったことから一応検査入院したほうがいいだろう、ということになり、そのまま入院した。その間、木村に諫められても光映は継信のそばから離れなかった。 木村は、やって来た継信の両親にどこまで話していいものか随分迷った。だが、継信の両親が来る前に、光映が「継信の母は自分たちのことを知っている」と告げてくれたので、母親だけに話す機会があれば、それも含めて報告すべきかと考えた。 なかなか母親だけになる場面がなかったので、この場で「文化祭の準備中にふざけた生徒のせいでけがをした」と報告するにとどめた。加害生徒については、こちらで指導をしてから直接お詫びの場を設けるか考えると伝える。 継信の父は、終始苦い顔をして木村を見据えていた。おおよそのことを木村が説明し終わると、父親がゆっくりと口を開いた。 「先生、私たちは学校を安全な場所と信じて日々息子を送り出しています。‥‥この認識を変える必要はありますか?」 「‥‥ご信頼に耐えうるよう、教職員一丸となって取り組ませていただく所存です」 木村の言葉を受けて、継信の父は納得したのかしなかったのか、何も反応を示さなかった。 木村が学校へ戻っても、光映はその場を離れなかった。それとなく継信の母が帰るように促したが、強く首を振った。 そして、継信の父に向かって自分と継信のことを話し始めた。 父親は、なんとも言えない顔をして光映を見た。 光映は深く頭を下げた。 「継信、君は、‥男性しか好きになれないわけじゃないと思います。幼稚園の時に好きな女の子がいるっていう話も聞いたことがありますし‥たまたま、本当にたまたま俺を好きになってくれたんです。‥‥俺は、嬉しかった、です‥ずっと昔から、継信が好きだったから‥」 そこまで言うと、光映はこみ上げてきた涙を零さないよう、鼻をすすって大きく深呼吸をした。 「でも、この関係性が、継信をこうやって傷つけるというなら、‥‥俺は継信から離れます」 父親はひくりと眉を上げた。そして厳しい目で光映を見た。 「光映君は、あの学校で継信を一人にさせる気?」 「いや、そんな‥」 「そういうことじゃないかな、今、このタイミングで離れるっていうのは」 光映は黙って下を向き、唇を噛みしめた。 そんなつもりはないのに。ただ、継信に笑っていてほしいだけで、そしてその傍にいたいだけなのに。 異性のカップルなら当たり前にできることが、どうして俺達にはできないんだろう。 我慢していた涙が、ほろほろとあふれて頬を伝い落ちる。それを見つめながら父親は話を続けた。

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