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第2話 闘争心は燃え盛る

 白いリノリウムの床と、白くのっぺりとした壁。  トラバーチン模様が散る白い天井には、昼光色に光る直管蛍光灯が逆さ吊りにされていた。  どこまで続いているように錯覚する廊下を、榎本鷹也(えのもと たかや)は三人の仲間と共に音もなく駆けていく。  皆一様に耐火性に優れた濃紺のアサルトスーツを着用し、目だけを出せるバラクラバを被った頭の上に防弾ヘルメット、胴体には防弾ベストを装備している。  目元は黒塗りされたゴーグルで隠され、耳には小型のヘッドセットが嵌っていた。  腰には右に自動式拳銃、左に伸縮式の特殊警棒が差してあり、その手には黒光りするサブマシンガンを把持している。  その銃口は進行方向の斜め前を向く。  総重量にして約二十五キロ。  重装備でありながら音を立てずに移動するということは、それだけの訓練を受けていると察するに容易い。  先頭の男――杉浦吾朗(すぎうら ごろう)――がすっと左手を上げて立ち止まる。  途端、肌をチリチリと焼くような緊張感が全員を支配した。  鷹也はバラクラバの下で唇を湿らせ、サブマシンガンの銃把を握る手に力を込める。    その前方には何の変哲もない片開きのドアがある。  先程まで通過してきた廊下にも、同じドアがいくつかあったはずだ。  鷹也は現状確認のためゴーグルの縁を軽く二回叩と、それは瞬時にサーマルスコープモードに切り替わった。  ドアの向こう側に視線を向けると、それは敵の存在を知らせてくれる。  その部屋は広く、カウンターでちょうど半分に仕切られていた。  カウンターの手前には整然と机が並べられており、その中に、じっと動かない大きな熱源の影がひとつ。  そして、落ち着きなく動き回る熱源の影がふたつあった。  杉浦の手が素早くハンドサインを送る。  鷹也はそれに従いドアの正面、その反対側の壁の前に立った。  左足の裏を壁に付け、軽く膝を曲げていつでも動けるように準備をする。  仲間はドアの脇にそれぞれサブマシンガンを構えて待機した。  心臓が破裂しそうなほどに脈打つ。  ドアの向こうに待ち構えているのは、鷹也と同じく銃を持った敵と、敵に捕らわれている人質だ。  一瞬の油断が命取りになる、死と隣り合わせの状況。  恐怖を抱くはずの、今、この時。  鷹也は体中の血を沸き立たせていた。  熱く滾った血潮が全身を駆け巡り、体がよく動くようにと熱を上げていく。    闘いが好きだ。  相手が強ければ強いほど心臓が逸る。  体がウズウズする。  目が爛々と輝き、口角が上がる。  杉浦の手が胸の前でカウントを始めた。 ――五。  深く息を吐く。 ――四。  ドアの両サイドに待機する仲間に見えないアイコンタクトを送って軽く頷く。 ――三。  ギッとドアを睨め付ける。 ――二。  銃把を握り直し。 ――一。  壁に掛けた足に力を込める。   ――零。  仲間の手によって勢いよく開け放たれたドア。  同時に蹴り出した足でぽっかりとあいた風穴に滑り込むと、耳を劈くガラスの割れる音と共に、動き回っていた男のひとりが「ギャッ!」とカエルが潰れるような悲鳴を上げた。  右肩を押さえているということは、仲間の狙撃が成功したということだ。  鷹也はそれに構わず、机の上を飛び石を渡るように跳ね、サーマルスコープモードで捉えた動かない大きな熱源に向かう。  ゴーグル越しの裸眼で捉えたのは、震える女性と、彼女に拳銃の銃口を突きつける男だ。  女性の目は恐怖で支配され、汗と涙が鮮やかな水色の制服の色を変えている。  その瞬間、鷹也のこめかみにビキッと筋が浮かび、体がカッと燃え上がった。 (クソ野郎が!)    勢いのまま机の上から二人の前に降り立つと、男が怯えた顔で鷹也に銃口を向けてきた。 「来るなぁあああ!」  狙いも定められず、無造作に放たれた弾丸。  それは身を屈めた鷹也のはるか上方へ飛び去り、天井を撃ち抜くだけの無駄に終わった。  至近距離で向けられたものであろうと、訓練を重ねた鷹也にとって素人が撃った弾丸は脅威ではない。  低い姿勢のまま突進した鷹也は、男が握っている拳銃を鷲掴み、男の腕を引き上げるようにして自身の前方、男の後方へと足を進めた。  男と人質の女性が切り離される。  ちらりと後方に視線を送ると、仲間のひとり――馬場由紀子(ばば ゆきこ)――が女性を抱きかかえているところだった。 (頼んだぜ、馬場ちゃん!)  これで、何も気にするとなく男と対峙できる。  鷹也はニッと口角を上げると、男の手から拳銃をもぎ取り、それをノーモーションでカウンターの奥へと投げた。  水平線を描いてカウンターのさらに奥、割れた窓ガラスを越えて外へと消えていった拳銃。  男は間抜けにも、その鷹也の一連の動作を、ポカンと口を開けたまま眺めていた。   ――終わった。  真っ青な顔と、戦慄く唇がそう語っている。  しかし、男は往生際が悪かった。  しでかした事の大きさを鑑みれば、それも当然だろう。  人質を取っての銀行強盗。  要求金額は五億円。  真昼間から行われた凶行は、警察の説得に応じない男三人によって五時間以上も継続していた。  人質は銀行員の女性一人。  怪我はないものの、絶えず銃口を突きつけられていたのだ。  男は鷹也の手を振り解いて素早く体勢を立て直すと、ジーパンのベルトに挟んでいたサバイバルナイフ取り出し、体の前に構える。 「っらぁああ!」  咆哮と共に銀の凶器が振り下ろされる。  それをサブマシンガンでそれを受け止めると、左に一歩踏み込み、左肘を大きく上げて体を反転させた。  警棒を持った右腕をロックしたままサブマシンガンを打ち捨て、思い切り足払いをかける。  前に出た右足は左足とのバランスを取れず、その体は驚くほど簡単に後ろに倒れた。 「ぐっぅ……!」 「っしゃあ! 確保!」  床と挨拶を果たした男をうつ伏せに返し、手早く後ろ手に手錠をかける。  この男の無力化は完了だ。 (まずは一人)  鷹也は心の中でガッツポーズした。  得意の接近戦に持ち込めば、鷹也に勝てる者はほとんどいない。  と、身を屈めた鷹也に息吐く暇を与えず、仲間と戦っていた一人が鋭い蹴りを繰り出してきた。  身を屈めているから、簡単に背後を取れるとでも思ったのだろうか。  安直な行動に、鷹也は呆れてため息を吐いた。  下から伸び上がってきた長い足を左腕で払い除け、伸び上がって右の掌底で顎を突き上げる。  たたらを踏んで後方に後ずさった男の手は、衝撃で力無く鷹也の目の前に放り出されていた。  その右手をむんずと掴み、くるりと反転させ、背中に回して床に押し倒す。  そこは、奇しくも最初に手錠をかけた男の真上だった。  手錠をかけられてもなお悪あがきをしていた男は、上から降ってきた仲間の体重を受けて呻き声を上げる。    これはさすがにダメだ。  犯人に無駄な怪我をさせてはならない。  あとで杉浦から怒号を浴びせられる。    鷹也は未だ自由な男の右腕を掴んで下に押し潰された男の上から退かすと、肘を固めながら改めて床に押し倒し、完全制圧のために手錠をかけた。  最初に狙撃を受けた男も、手錠をかけられて部屋の隅に転がっている。  部屋に響くのは男たちの呻き声だけだ。  男たちを制圧し、人質は無事に救出した。  杉浦は状況を確認して頷くと、耳に手を当てる。 「こちらSAT班。被疑者制圧。人質と隊員に怪我なし、右肩負傷の被疑者一名」  杉浦の声は、実際のものとヘッドセットから聞こえるものとで二重に聞こえた。  数年前には違和感を覚えていたというのに、今では慣れたものだ。 『対応本隊、了解。所轄部隊を向かわせる』  ヘッドセットから雷のような声が響く。  無線を取っているのは、この地を管轄する警察署の署長だ。  現場に入る前に挨拶したが、あの柔和な顔から想像できないほどの低い声。  この様子だと、強盗団には相当お怒りのようだ。    おっかない無線に肩をすくめていると、ガラス張りの自動ドアから鷹也たちと同様に重装備を身に纏った者たちが駆け足で入ってきた。  頭に被ったヘルメットの正面についている金色の旭日章。  それは、所属は別にしているが、鷹也たちと同じ仲間であることを示している。 「ありがとうございました。引き継ぎます」  ビッと音が聞こえてくるかのような機敏な動きの敬礼は、見ていて気持ちがいい。  それに応えて敬礼を返すと、鷹也は男を彼らに引き渡した。  これで、鷹也たち警視庁警備部が有する特殊部隊――通称SAT――の任務は終了だ。  いや、そのはずだった。 「あぁあああ! 目がッ……頭がッ……いてぇぇええ!」    部屋に響き渡る男の叫び声。  それは、鷹也が最後に確保した男のものだった。  迸る声はすべてが濁音で、初めは痛みを訴えていたものの、今は意味のある言葉は聞こえない。  激しく暴れる体は男を連行していた警察官ひとりでは抑えきれず、三人がかりで床に押さえつけている。 「ゾーンだ!」  そう叫んだのは、鷹也と任務を共にする金城保(きんじょう たもつ)だった。  金城は男に駆け寄ると、男を押さえつけている警察官たちにそのまま押さえつけておくよう指示を出す。  そしてクローブを外し、男の汗をかいた首筋に躊躇いなく素手を当てた。  こうなると、鷹也の出番はもうない。  現場から締め出された気がして、悔しくて、無意識に唇を噛み締めた。

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