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第6話 精神世界とガイディング
青白い炎が全身を舐めるように這い、包み込んでいく。
不思議と鷹也の体以外に延焼はしていない。
車両火災の心配はなさそうだ。
しかし、熱い。
焼け爛れてはいないが、体の内側も外側もジリジリと炙られている。
「いっ……ぐっう、ぁあああああ!」
陽介の隣にいる男が「うわッ!」と素っ頓狂な声を上げ、大きな口を開けているのが目に入った。
その声が耳を劈き、脳みそをグワンッと揺らす。
拡大鏡を使ったかのように、口の中の奥にある口蓋垂が赤く充血して腫れているのがはっきりとわかり、こめかみがツキンと痛む。
酸素を求めて息を吸い込めば、古くなったプラスチックとダンボールの独特な臭い、甘いような、スパイスのような臭いが混ざって鼻腔を直撃し吐き気を催す。
唇を噛み締めればじわっと唾液が溢れ、銭湯に行く前に食べた家系ラーメンの脂の味が口いっぱいに広がり、悪臭と混じって余計に気持ち悪くなった。
目を開けていると頭が痛い。
閉じると他の感覚が鋭敏になって気持ち悪い。
堪らず吐き出した昼飯は悪臭を放ち、鼻の奥にある嗅細胞を刺激し、そしてまた嘔吐する。
悪循環だ。
熱いけれど寒くて。
鼓動に合わせて体中が無数の針で刺されているようで。
天と地が何度もひっくり返っている。
最早、自分が上を向いているのか、下を向いているのかもわからない。
(なんだッ……なんなんだよ、これ⁉︎)
突然襲ってきた体の異変が何なのか。
その原因を探り当てようとこれまで培ってきた知識を引っ張り散らかすが、該当するものはない。
もう二度と元には戻れず、正気を失い、死んでしまうのか。
絶望の深淵に沈みかけたその時、おそらく唇に、熱くて湿った何かが押し当てられた。
(……い、おい、聞こえるか⁉︎)
(うっさい! 聞こえてる、叫ぶな!)
(呼びかけても応えないからだろう)
瞬きをした、と思う。
次に目を開けた時、鷹也はどこまでも広がる青い空を見渡せる、緑豊かな山の中腹から迫り出した崖の上にいた。
崖とはいえ、足元は柔らかな草が生えており、所々に白く小さな花が凛と咲いている。
体の痛みや気持ち悪さは多少あるものの、立っていられる程度だ。
(ここは……?)
(お前の精神世界だ)
はっと横を見ると、翔が眼下に広がる広大な森を眺めていた。
(精神世界?)
(簡単にいえば心の中ってことだ)
鷹也は再びぐるりと辺りを見回す。
子どもの頃に見たヒーロー番組では、精神世界は海で表現されていた。
現実では、人によって違うということだろうか。
センチネルやガイドの能力については知っていても、その内側のことまではよく知らない。
学校で教わるものではないし、きっと聞いたところで理解はできないだろう。
現に、この状況を咀嚼できていないのだから。
口を動かさなくても意思疎通ができるのは変な感じだ。
それにしても。
(なんであんたがここにいるんだ)
(お前がゾーンアウトしそうになってるからだ馬鹿野郎!)
翔の罵倒は鷹也の体をビリビリと震わせる。
声が出ていないというのに不思議だ。
そして、翔から飛び出したゾーンアウトの意味を記憶から手繰り寄せた。
(センチネルが死にそうになるやつか。確かにずっとアレが続いたら死ぬな。てか手ぇ離せ)
鷹也の左手には翔の右手が重ねられている。
すぐにどこかへ行ってしまう幼児の手を握る親のように、鷹也よりも少しばかり大きな手がしっかりと手を握っていた。
何が悲しくて、男同士で手を繋がなければならないのか。
それこそ寒くて凍死してしまいそうだ。
(俺がガイディングして五感を制御してるんだ。手を離したらまた痛みがお前を襲う)
(それは嫌だ)
(なら大人しく俺の言うことを聞け)
(へいへい。……っと、あれ?)
手を離してまたあの痛みが襲ってくるのなら、気に食わない野郎の手を繋ぐ方が遥かにマシだ。
腹いせに翔の手を強く掴むと、奇妙な感覚が返ってきた。
手を握っているはずだ。
少し温かいのも感じ取れる。
しかし、触れているようで触れていないような、手と手の間に不可視の布が挟まっているような。
そんな感覚があった。
(わかるか。触れているようで触れていない感じ)
(ああ。なんか変な感じだ)
(これは俺のシールドだ。で、お前には今それがない)
シールドとは、センチネルとガイドが持つといわれる魂と精神の盾だ。
センチネルのシールドは五感の制御を担う。
ガイドはその強い共感能力と読心能力でセンチネルの感情や五感を共有してしまうため、それから自身を守るための防波堤を作る。
それがガイドのシールドだ。
(つまり、感覚が最大出力ってことか)
(そういうこと。シールドを構築して五感を抑える必要がある。俺はガイドで、その手伝いをしに来たってわけだ)
(そりゃどぉも。で? シールドってどう作るんだ?)
(足元を見ろ。硝子みたいなのが散らばってるだろう)
(ああ)
促されて視線を落とすと、さわさわと風に揺れる草に隠れて、鷹也の足元に無色透明な硝子の破片が散らばっていた。
それは大小不揃いで、太陽の光に反射して煌めいている。
綺麗だが、硝子を落下させて割ってしまったときのように、それぞれの断面は鋭い。
触っただけで手が切れそうだ。
(壊れたシールドの破片だ。これを全身に纏わせるような想像をしろ。ひとつずつ欠片が浮かび上がって、集まって、皮膚の上に、パズルみたいに並べられていくような感じだ)
鷹也は教えられた通りに想像した。
シールドの欠片が浮かび上がり、体に戻っていくように。
しかし。
(あ、あぁ? うぅん……ん?)
(真面目にやれ)
(やってる! ちょっと黙れ)
想像はした。
だが、いまいちイメージが掴みにくい。
何かが引っ掛かるような、物足りないような気がしてならないのだ。
(一応聞くが、理論派? 感覚派?)
(感覚派)
翔の語尾に被せるように即答した。
運動も勉強も、すべて感覚でやってきた。
それで不便したことはない。
困ったことがあるとすれば、どちらも人には教えられないということだけ。
鷹也がどんなに必死に教えても、なぜか相手に伝わらないからだ。
(今の説明でわからなかったか)
(何となくしか)
(……そうか)
翔は空いた左手で眉間を押さえた。
ううん……と唸る声が僅かに漏れてくる。
その横顔を、鷹也はジィッと観察した。
日に焼けた肌に、薄く細い眉。
切れ長で一重の目は険しく細められ、半歩先の地面を睨みつけている。
高さのある鼻は西洋人のようだが、顔立ちは間違いなく日本人。
唇は目と同じく薄いが血色は良く、色付きリップを塗っているような薄桃色だ。
サイドが長めのアイビーカットは日焼けした肌によく合っている。
身長も百七十八センチの鷹也よりも数センチ高く、無駄のない筋肉が付いている体は、超体育会系の鷹也も感心するほどだ。
これはさぞモテることだろう。
人を煽る嫌味な物言いと、犯罪者というレッテルがなければの話だが。
しばらく唸っていた翔がパッと顔を上げる。
鷹也に向けた顔には若干の迷いがあった。
(シュシュシュシュシュッ、ピタッ。これならどうだ)
(おっ! それならわかる)
なるほど、シュシュシュシュシュッ、ピタッ、か。
足りなかったのはこれだ。
鷹也は改めて翔の教えた通りに想像していく。
シュシュシュシュシュッ、と硝子の欠片が舞い上がり。
ピタッと吸い込まれるように、乾いた布が濡れて肌に密着するように。
硝子の欠片が肌の上にのり、ひとつの布のように滑らかに鷹也の体を覆っていく。
(わかるのか……? ってマジかよ)
翔は懐疑的な目を向けていたが、鷹也がシールドを煌めかせながら構築している様子を見て徐々に口を開き、ヒクヒクと不規則に頬を動かした。
嘘だろと呟く声は、感心なのか、呆れなのか。
翔と触れている手の間に、もう一枚薄布が追加された。
足元に散らばっていた欠片は一片も残っていない。
(お、できた?)
(上等だ。お疲れ)
鷹也が翔にシールドの確認を求めると、彼はふっと息を吐いて柔らかく笑った。
出会ってから――といってもほんの十数分前だが――怒った顔か馬鹿にしたようなニヒルな笑みしか見ていない。
それが突然、綺麗な笑顔を向けられ、鷹也の鼓動が跳ねた。
心臓に悪い。
それに、反応に困る。
(お、おう)
(シールドが直ったなら戻るぞ。目ぇ瞑れ。ギュッパッであの車の中だ)
狼狽える鷹也を他所に、翔は次なる指示を出した。
そうだ、ここは鷹也の精神世界だ。
精神世界にいる間は、現実の体は無防備になる。
いつまでもここにいるわけにはいかない。
(ああ)
(よし。三、二、一)
鷹也は翔に手を繋がれながらあの車内を思い浮かべた。
冷蔵車か冷凍車か判別のつかない、狭い荷台の車内。
毛布が敷かれ、クッションもあり、人が座れるように手が加えられている。
そこには陽介と男が二人。
そして、鷹也と翔だ。
鷹也は翔のカウントに合わせて、固く目を閉じた。
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