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第7話 スピリットアニマル

 ギュッパッと目を開くと、翔の顔が目の前にあった。  いや、目の前なんてものじゃない。  ゼロ距離でキスをしている。  翔の舌は厚く、鷹也の口内に我が物顔で居座っていた。  それは息が苦しくなるほどで、しかも鷹也の舌と絡め合っている。  挙句、嘔吐したばかりの口内にはそのツンと酸っぱさを感じる味が残っており、嗅覚と味覚がミュートと同じくらいに抑えられているとはいえ最悪なことには変わりない。 「何すんだこの野郎!」    鷹也は覆い被さっている翔の肩を思い切り押して突き飛ばそうとした。  が、鷹也を制圧しただけあって突き飛ばされることはない。  鷹也の腕の力を使って体を起こし、右手で鷹也の左手を握ったまま、その横に腰を落とした。  未だ、鷹也の五感を制御しているのだろう。   「ゾーンアウトしたセンチネルのガイディングは粘膜接触しないとできない。お前のせいだ」 「っざけんな! んなの聞いたことねえ!」 「知るか! 俺だってゲロまみれのキスなんて嫌に決まってんだろ! 誰が好き好んでお前にキスするか!」 「この野郎……!」  五感を制御してくれているのはありがたい。  おかげで青白い炎も消えている。  あんな苦痛は二度とごめんだ。  しかし、優しくなったかと思えば、次の瞬間には憎たらしく煽ってくる。  一瞬でも、犯罪者とはいえ一ミリくらいは良いやつなのかと思った自分が馬鹿だった。 (こいつ、嫌いだ!)  先に力を入れ始めたのはどちらだったのか。  ミシミシと骨が悲鳴を上げそうなくらいに互いの繋いだ手を握り、鼻先が当たるまで顔を近づけて睨みつけた。  翔も負けじとそれに応戦する。  僅かに嘔吐物の臭いがするが、ここで引くなんて男が泣く。 「あ゛?」「あ゛ぁん?」と威嚇し合っていると、すぐ側からヒソヒソと声が聞こえてきた。   「輩じゃん……」 「伊吹(いぶき)さん、(かい)さん。この二人って……」 「相性最悪?」 「水と油だね」 「ですよね」  陽介はいつの間にか隣に座る伊吹、それから運転席に座っている櫂と呼ばれた男たちと親しくなっていたようで、彼らと親しげに話している。  目元は痛々しく赤くなっているが、その顔に緊張の色はなく、大分リラックスしているように見えた。  傍らにはコンビニで買ったであろうサンドイッチやジュースがあり、モシャモシャと咀嚼して腹に納めていく。    恐怖や緊張で食べられないよりいい。  将来、大物になること間違いなしだ。  胸を撫で下ろしていると、運転席で缶コーヒーを飲み干した男――櫂――がバックミラー越しに、鷹也の頭の上をクイッと親指で指差した。 「まあまあ落ち着いて。陽介くんもびっくりするし。ほら、チビちゃんが興奮しちゃってる」 「すまん……。え、何だ?」  頭の上?  空いている左手で頭を触ると、何かいる。  それはふわりとした手触りだが、おそらく頭を動かしているだろうその先に鋭いものが付いている。  そっと手で掴んで目の前に持っていく。    それは少し青白い輪郭を持った鳥の雛だった。  雛といっても手のひらから少しはみ出すくらいの大きさで、白くふわふわとした羽毛に青みがかったグレーの瞳。  黒い嘴とすらりと伸びた足の先に付いている黄色い鉤爪は鋭く、雛を載せている手のひらがチクチクしてくすぐったい。  雛は視線が低くなったことを不思議に思ったのか首を傾げた。  そして、目に入ったのだろう。  翔を見るや否や「ピシャーッ」と声を上げ、まだ頼りない両翼を羽ばたかせる。 「そのまんまだな」  翔が鼻で笑うと雛はより一層興奮し、そのせいで鉤爪が手に食い込み、鋭い痛みが走った。 「はぁ? ぁ、痛ッ……!」  その声に反応した雛はビタッと硬直した後、翼を畳み、おずおずといった様子で鷹也を見上げた。  鳥には詳しくない鷹也でも、その雛が反省して落ち込んでいるのがわかった。  随分人間くさい鳥だ。  鷹也は雛を膝の上に置くと、鉤爪が食い込んだ手のひらを見つめた。  雛も開かれた手を覗き込む。  傷もない上に赤くもなっていない。  すでに痛みは弱い。  少しむず痒い感覚に、手のひらをチノパンで擦った。  その間に、陽介と伊吹は鷹也の膝の上を凝視した。   「スピリットアニマルだな。これは……鳥?」 「猛禽類っぽいですけど」 「フクロウではないね。鷲、鷹、隼あたりかな」    雛は視線が気になるのか落ち着かない様子で首を動かし、ピタリと鷹也の体に寄り添った。  庇護欲を唆るその仕草に鷹也は完全にノックアウト。  綿飴のような羽毛に手を滑らせた。   「ちっさ……。スピリットアニマルってもっと格好良いイメージがあったけど」 「お前がセンチネルとしてまだ未熟な証だ。これから能力を使いこなせるようになれば成長するし、顕現もコントロールできるようになる」  鷹也を馬鹿にしたようにも聞こえたが、その内容はただ純粋に、何も知らない子どもでもわかるように噛み砕いたものだ。  視線をやると、チッとひとつ舌打ちをして顔を背けられた。    後ろ姿と言うべきか、横顔と言うべきか。  その姿は不機嫌なまま、何ひとつ変わらない。  だが、繋いだ手は少し熱くなっている。    鷹也に投げかけた言葉は、どうやら彼なりの親切だったらしい。  だから罰が悪いのだろう。 (わっかりにくいなぁ……)  犯罪者で、人を馬鹿にして怒りを煽る天才で、だから嫌いだ。  この先、一生、絶対に分かり合える気がしない。    けれど、ただ一点だけ。  抵抗する鷹也の命の危機を必死に救い上げ、子どもでも知っているような疑問にも応える不器用な優しさだけは、爪の先ほどは評価してもいいだろう。 「そうか。ありがとう」 「何がだ、気持ち悪りぃ」 「っ……こっちが下手に出りゃ言いたい放題だな」 「お前に遠慮する意味がない」    前言撤回。  やはり評価する以前の問題だ。  能力をコントロールできるようになるまで、若しくは機が熟すまでは利用するだけ利用し、そして、時が満ちたら絶対に捕まえてやる。  決意を新たに翔の手を握っている手に力を込めていると、その思考を断つかのように、コンコンと頭が固いものでタップされた。  少し温くなった缶コーヒーは、片手しか使えない鷹也でもすぐに飲めるように、気を遣ったのかプルタブが開いている。  鷹也は溢してしまってはまずいと、素早く受け取った。 「うちのボスがごめんね。いつもはこうじゃないんだけどさ。あ、俺は櫂。そのまま、櫂でいいよ」  バックミラー越しに見ると、櫂は緩くパーマのかかった長めの黒髪をくしゃりと掻いた。  座っていても座高が高く、長身であることがわかる。  それでいて、筋肉が付いている割に顔が小さい。  そのせいか鷹也よりも幼く見えるが、さりげない気遣いができるあたり、鷹也よりは歳上なんだろう。  鷹也はコーヒーを一口飲んだ。  香ばしい匂いと味が口内に染み渡り、不快な感覚を洗い流してくれる。  僅かに温かいそれは、食道を通って胃に落ち着いた。 「……ありがとう。榎本鷹也だ」 「俺は伊吹。俺もそのまま伊吹と。ついでに、鷹也のゲロ片付けたことについてもお礼がほしいな?」  その言葉にハッとして車の床を見れば、鷹也が嘔吐した場所は、薄いシミにはなっているものの綺麗になっている。  嘔吐物特有の臭いもしない。  消臭も徹底してやってくれたようだ。  人の良さそうな笑みを浮かべて手を差し出してきた伊吹。  見るからに骨太な体格。  顔立ちは甘く、細い一重の目が全体のバランスを引き締めている。  煌びやかなステージで踊っていてもおかしくない外見だ。  鷹也は差し出された手を軽く握った。  その手のひらは固く、いくつかのタコが確認できる。  普段から得物を使うのだと窺い知れた。   「それはすまなかった。ありがとう」 「うん、気にして?」 「お、おう……すまん」  翔のように握手した手を強く握り返されることはなかったが、受け答えからして癖があるようだ。  鷹也が再度謝ると、伊吹は満足したように握手を解いた。 「で、ボス?」 「……翔だ」  櫂に促され、翔は渋々といった様子で口を開いた。  ちらりと鷹也を見ると、さっと目を逸らしてそっぽを向く。  それは不貞腐れた小学生のようで、協調性のない態度だ。  これでボスが務まっているのか甚だ疑問である。  鷹也としてはその方が都合がいいのだが。  当然、そんな態度に応えてやる義理もない。  鷹也は頷くこともなくそれを一瞥するだけに留める。  そんな微妙な空気を打ち破ったのは、サンドイッチを食べ終わった陽介だった。 「榎本さん。俺は生田陽介です。よろしくお願いします」 「ああ、よろしく。落ち着いたか?」 「はい。櫂さんも伊吹さんも優しいです」 「そうか。なら良かった」  鷹也は陽介に合わせて笑顔を浮かべたが、心中は穏やかではなかった。  誘拐犯が拐った人質を手懐けるのは無抵抗にし、意のままに操るためだ。  すべては目的のため。  最後に傷付くのは陽介だ。  なるべく浅い関係のうちに彼らを捕まえて引き離したい。  この車はどこに向かっているんだろうか。  国内の潜伏先か。  あるいは海外への逃亡ルートか。  国内なら逃げ出すチャンスはいくらでもある。  だが、海外だとそうもいかない。  ならば、国外に出る前に逃げなければ。

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