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第9話 無防備な姿

 鷹也と陽介は、翔と伊吹の背に隠されるようにして船内に足を踏み入れた。  船の中とは思えないほど広く豪奢なホールを素通りし、非常時にしか使われないであろう階段を降りていく。 (これ、何階分降りたんだ?)    これほど大きな船に乗ったことのない鷹也は、すでに頭の中で船内見取図を作るのをやめてしまった。  階段を降りきると、左右に客室が並ぶ廊下に出た。  ただの廊下であるはずの空間は、まるで高級ホテルのように美しい。  アイボリーの天井と壁。  照明はシャンデリアを彷彿とさせる飾りがついており、オレンジ色の光を反射して煌めいている。  柔らかな臙脂色の絨毯はシミひとつなく、足音を吸収していく。  十五メートルほど進んだだろうか。  ある部屋の前に着くと、翔はカードキーで部屋の鍵を開け、中に入った。  その部屋は、ただの客室のように見えた。  拳銃を持った男たちがいなければ、の話だが。  三人の男は作業服のような服を着ているものの、その両脇には拳銃が下がっている。  腰には、サバイバルナイフだろうか、大型の刃物がケースに収まって吊られていた。  リラックスしたようにソファに座っていた三人は、ドアが開くと機敏に立ち上がって翔や伊吹、櫂に目配せをする。 「任務お疲れさまでした」 「ありがとう。君もお疲れさま」 「ありがとうございます」  翔と武装した男の間で交わされた互いを労う言葉は英語だ。  ただし、翔の英語に違和感はないが、男のものには多少の訛りがあるように聞こえた。  ここにいる者たちの英語がこれなら、聞き取るには多少苦労するだろうと予想を立てる。 「ここから先の公用語は英語だ。話せるよな」 「ああ、問題ない」  翔は尋ねるでもなく、確信を持って鷹也を見遣った。  鷹也が所属していたSATは、他国の軍と合同演習をすることもある。  また、日本は凶悪犯罪の発生率が他国に比べて低いこともあり、実際に臨場することは稀だ。  生の現場の空気や動きを忘れないよう、定期的に他国の現場に帯同させてもらっている。  そのため、英会話は必須スキルだった。  多少訛りがあったとしても問題はない。  それにしても、英会話ができることが当然というような翔の言い方と疑問すら持たない態度に胸が騒つく。  鷹也の神経を逆撫でするような物言いが頭にくるのは相変わらずだが、それだけではない。 (心を読まれている以前に、全部見透かされているような感覚がするんだよな)    今の英会話のこともそうだが、日本での戦闘時もそうだ。  鷹也は逮捕術を主軸にし、世界の格闘技をミックスさせた総合格闘を扱う。  攻撃パターンが膨大で、プロの格闘技経験者でも鷹也の動きを予測できない。  それに難なく対応するどころか鷹也を制圧するまでしてみせた。  普通では考えられないことだ。  攻撃を見切られることなど、通常ではあり得ない。  価値観、信条、願望だけでなく思考パターンまで把握されているのではないか。  そんな不安が湧き上がる。  短時間のうちにプロファイルされ、裸に剥かれてその眼前に晒されているような心地だ。  薄寒いものを感じ、汗ばむ腕に鳥肌が立った。   「ならいい」  鷹也の返事にそう応えると、翔は鷹也の手を引いて部屋の奥へと導く。  立ち止まったのは何の変哲もないクローゼットだ。  翔がその扉を開く。  現れたのはエレベーターだ。 「マジかよ」  隠し通路ならぬ、隠しエレベーター。  厳重に守られたその先には、何が鷹也を待っているのだろうか。  ぞわり、と背筋が粟立つ。 「ようこそ。ベフライエン日本支部へ」  翔は誇らしげに口角を上げる。  その言葉に、鷹也の唇は戦慄いた。  ベフライエン。  それは、能力者を次々と誘拐している国際的に悪名高い組織の名前だ。  その名は度々ニュースにも取り上げられ、一般人にも広く認知されている。 「チッ……気付くべきだったな」  ガイドである陽介。  プレゼニングしたばかりのセンチネルである鷹也。  鷹也はおまけのようなものだが、能力者の誘拐という時点で、ベフライエンの存在を頭の片隅にでも浮かべておくべきだった。  パズルのピースがカチリとはまったような納得。  存在を知っていたはずなのに、翔に明言されるまで気付かなかった悔しさと情けなさ。  不快な感情が胸の中で渦巻き、鷹也は唇をきつく噛んだ。 「気付かなかったのか」 「……陽介くんは?」  ここで気付かなかったと言えば負けた気がする。  鷹也は大人気なく陽介に話を振った。   「僕は、まあ……なんとなくですけど」 「そっか。ごめん」  申し訳なさそうに視線を逸らす陽介には悪いことをした。  何か詫びになるものをと思ったが、生憎、今は鷹也の手元には何もない。  翔が車からすべての荷物を外に投げ捨てたせいだ。    謝罪の言葉だけを伝えると、陽介は「いいえ」と小さく首を横に振り、小さく微笑んだ。 (冷静になれよ。子どもに当たってどうする)  自己嫌悪に陥りながら、鷹也は翔のあとに続く。  五人でエレベーターに乗り込むと、それは静かに動き出し、すぐに止まった。  一階分しか降りていないことはさすがにわかった。  エレベーターを降りると、そこは先程通ってきた廊下と変わりない空間だった。  翔は長く窓のない廊下を先導する。  少し歩いたところで、後ろから声が聞こえた。 「陽介くん。今日、俺らの部屋はここね」 「あ、はい」 「翔さん、鷹也さん。お疲れさまでした」 「ああ。お疲れさま」 「お、おう。お疲れさまでした」  まさか鷹也にも労いの言葉が掛けられるとは思わず吃ってしまったが、誰も気しなかったことが唯一の救いだ。  やってしまったと恥ずかしく思っている暇もなく、鷹也は翔に手を引かれ、さらに廊下の奥へと歩みを進めた。    やがて、壁にぶつかった。  突き当たりの右手。  翔はそこにあるドアの前で立ち止まった。  ドアノブの下にある黒い盤面に指を当てると、電子音が耳に届いた。  どうやらここが終着点らしい。  翔は鼈甲色のドアを静かに開けた。  鷹也は翔に続いてその中に入る。  そこは、執務室だと一目でわかった。  入って左側の壁沿いにはソファとローテーブルが設置されて応接できるようになっており、正面は窓を隠すようにカーテンが引かれている。  右側には執務机がポツンとあり、その背面の壁にはまたひとつドアがあった。  そのドアも解錠して中に入ると、今度こそプライベート空間である寝室だ。  正面の壁面収納には本やルームフレグランスなどの雑貨が整然と並んでおり、その前にあるベッドは成人男性が三人横になっても余裕のある大きさだった。  手前の壁沿いには木製のクローゼットがあり、右手にはまた扉がある。  そこはおそらく洗面台やトイレ、バスルームなどの水回りだ。  左側は海の方向で、カーテンが引かれている。  そこは、窓かバルコニーになっているんだろう。 「シャワー浴びるぞ」 「その言葉、待ってたぜ」  体は鉛がへばりついたように重い。  緊張しているのか腹も減っていない。  このままベッドにダイブしたいところだが、ゲロをぶちまけた身としては体を洗いたいし、服も着替えたい。  翔の誘いには大いに賛成だ。   「お前は犬か」 「当たらずも遠からず、だな」 「ふぅん」  なにせ鷹也は犬のお巡りさんだ。  国家の犬などと侮辱されることもある。  侮辱されたところで聞き飽きた言葉だし、その発言をしてくる相手の低俗さが露見するだけ。  聞き流すに限るし、気にするだけ無駄だ。  実際、組織の末端である鷹也は上の指示に従うしかないただの犬なのだから。 「ちょっと待ってろ……って、離れられないんだったな」 「そうだよ」  鷹也の不安定な能力をコントロールするため、鷹也と翔は手を離せない。  翔は、それを一瞬でも忘れた自分に呆れたと言わんばかりに深くため息を吐いた。    鷹也も似たような気分だ。  トイレも風呂も離れられない。  早々に告げられていた場面に直面し、鷹也もうんざりしてため息を吐く。    翔は壁際にあるクローゼットから服やタオルを取り出し、鷹也の空いた手に載せた。 「とりあえず今日はこれ着ろ。あとで鷹也のを用意する」 「ありがとう」 「……ああ」  それらをじっと凝視し、ボクサーパンツを手で触る。  汗を吸い取った服――しかも嘔吐した時に着ていたもの――をまた着るのは勘弁で、綺麗で清潔な服はありがたい。  しかし、シャツなどはともかく、ボクサーパンツは貰ってもいいものなのだろうか。  さすがに使用済みは履きたくないし、履かれたくないだろう。  それに気付いたのか、翔がぴくりと頬を痙攣させながら拳を震わせた。 「未使用だ! 使ったもん渡すわけないだろ!」 「だよな! いや、信じてた!」 「嘘つけ。じっくり観察してたくせに」 「しょうがないだろ。万が一があったら俺もお前も悲劇だと思って」 「それを回避した俺に感謝しろよ」 「だからありがとうって言っただろ!」 「そのあと疑ってたくせに!」  はぁ、とため息を吐いて顔を逸らした翔は、バスルームを案内してくれた。  隠された空間の中にある部屋とはいえ、豪華客船内であることは紛れもない事実。  バスルームは一般的な住宅にあるものと変わらない広さで、かつ清潔に保たれていた。  ざっと見る限り、カビも見当たらない。  丁寧に扱われていることがわかる空間だった。 (へぇ、綺麗にしてんだな)  ちらとしか見ていないが、部屋もきっちり整頓されていた。  翔の性格が出ているように思える。  他人の部屋を散らかすつもりは毛頭ないが、細心の注意を払わなければならないだろう。 「手はずっと繋いでいられない。体のどこかは触れ合うようにするぞ」 「りょーかい」  痛みに苦しむのはもう懲り懲りだ。  鷹也は翔の動きに合わせて服を脱ぎ、体を洗っていく。  その間、青白い雛は鷹也と翔の邪魔をしないように、ちょこちょこと忙しなく鷹也の肩や頭の上を動き回っていた。  体を動かすのに制限があるのは苦痛だが、鏡越しに見えるスピリットアニマルの動きを見ると、何だか可愛くて癒される。    少し心の余裕が出てきた。  すると、周りも見えるようになってきた。  といっても、二人で並んでも余裕のあるバスルームで見えるのは、翔の体だけなのだが……。  翔の体は無駄のない筋肉に覆われている。  身長も体格も鷹也とほぼ同じ。  違うのは、体に走る傷跡だ。  鷹也も現場で銃創を負ったことはある。  左上腕と右大腿部を銃弾が掠め、それぞれ二センチほどの線状の銃創が残った。  けれど、翔の体はその比ではない。  銃創とざらついた熱傷。  胴体は綺麗だが、防弾衣の範囲から外れた腕や足には銃弾が掠めてできた線状のものから、貫通して円を描いているものまである。  左足は、足首から膝まで全面にまだら模様の熱傷の痕が浮かんでいた。  見ているだけで痛々しい。  どれだけの紛争地帯を渡り歩いたのだろうか。  戦場を想像してみたが、軍人でもなく、平和な日本にいた鷹也にはわからない。 (知りたい)  好奇心ではない。  何が彼を突き動かし、どんな信念を持っているのか。  過去にあったことも、ベフライエンに入った理由も。  彼を理解することでベフライエンや世界の本当の姿を知ることに繋がる気がするのだ。    ただ、今はそれだけを聞ける信頼関係がない。  ゼロどころかマイナスからのスタートだ。  聞いたところで答えてはくれないだろう。    翔が鷹也に心を開くには、鷹也こそ翔に心を開かなければならない。  そのためには、まず態度を改めなければ。  鷹也は翔の背中を眺めながら、密かに決意をした。    不自由な入浴を済ませると、翔は迷わずベッドに向かい、綺麗にベッドメイクされたそこにゴロリと転がった。  必然的に鷹也もベッドに倒れ込むことなり、慌ててバスルームを出る時に履いたスリッパを放り投げる。  真っ白なシーツを汚すのは忍びない。  スリッパが窓際まで飛んでいっているのは大目に見てほしい。    太陽の匂いのするそこは見た目通りふかふかで、けれど柔らかすぎない硬さだ。  このまま寝れば良い夢を見られるだろう。  それにしても。   「だらけすぎだろ。さっきまでの隙のない感じはどこいった」 「その辺に捨てた」 「捨てたって……」  投げやりな言葉に呆れるが、確かに棘だらけの警戒心を捨ててきたような無防備さだ。  ここにいるのが敵であれば、すぐにでも寝首を掻かれていることだろう。  嫌な物言いをしてきていたくせに、大事なところで変に信頼されている。  戸惑いが大きく、どうしたものかと頭を掻く。   「お前も寝ろ。プレゼニングして疲れてるだろ」 「まあ、そうだな」 「心配するな。寝ている間も多少はガイディングできる」 「はぁ? それ普通じゃないだろ」  ガイドはガイディング中、自身のシールドを保ちながら乱れたセンチネルの心身に合わせてその感覚を調整をしていくため、強い精神力が必要になる。  寝ながらガイディングなんて聞いたことがないし、優秀と言われている同じ班の金城でさえ、そんな離れ技はやっていない。   「知らん。もう寝る。俺から離れるなよ」 「わかってるよ」  最後に小言をひとつ放ると、翔はすぐに寝息を立て始めた。  起きている時よりも幼く感じる寝顔は無防備そのもの。  よほど疲れていたらしい。    その原因は十中八九、鷹也のガイディングだ。  出逢ったばかりで馬も合わないというのに、命懸けでゾーンアウトから救い上げ、ガイディングを今もなお続けてくれている。  何が翔をそうさせるのかはわからない。  その行動原理を知りたいと思ったのは自然なことだ。 「ありがとう」  感謝の言葉は翔の耳へと届く前に、ベッドに吸い込まれた。  鷹也は翔の手を握ったままその隣に寝転がると、軽い掛け布団を翔にも掛けて目を閉じる。  それに倣って、青白く小さな雛は、鷹也の枕元で丸くなる。  疲労した体は柔らかいベッドに沈み込み、すぐに意識はふわりと宙に浮いた。

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