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第10話 目覚めは温もりと共に
目覚めは最悪だった。
気持ち良く夢と現の狭間を揺蕩うように寝ていたというのに、耳を劈く怒号が耳元で爆ぜたからだ。
「起きろ!」
「うっせぇッ大声出すな!」
「この状況でそう言えるか!」
「はぁ? あ……」
少し顔を上げて視線を移せば、やけに近い翔の顔とご対面。
体の前面は逞しい肉体に密着し、足は知恵の輪のように絡まっている。
鷹也の腕は翔の体に巻き付き、意地でも離さないとばかりにシャツを掴んでいた。
手の中に玉ができるほど握り込んでいたシャツはクッシャクシャの皺になっていることだろう。
「うわごめん! これは俺が悪い」
「わかったらさっさと離れろ」
「ごめん……」
手だけを残し体を起こして翔から離れる。
体の隙間に通り抜ける空気は冷たく感じた。
大音量の目覚ましに枕元でぶわりと全身を膨らませていた雛は、鷹也が悪いのだとわかると、しゅんと体を小さくし、気まずそうに翔から視線を逸らした。
「離れるなとは言ったが、しがみつけとは言ってない」
「わかってる。だからごめんって言っただろ」
鷹也だってわからないのだ。
寝返りは打つものの就寝時と起床時の体勢はほとんど変わらない優等生で、学生時代に空手部の合宿で雑魚寝した時も寝相が悪かったなんて一度も言われたことがない。
寧ろ、寝相が良すぎるのをネタにされ、悪ノリした友人に一晩の寝相をタイムラプスで記録されたほどだ。
寝返りのみで面白みがない動画に仕上がったのは言うまでもない。
それなのに、むかつくと思っていた相手にしがみついて寝るなど想像もしていなかった。
何かを抱え込んで寝るなどの変な癖もなかったというのに、何故こうなったのか。
考えたところで答えは出ない。
結局、翔が離れるなと言った言葉を体が過剰に受け取ったのだと、無意識のせいにすることにした。
その翔は、皮肉たっぷりに嫌味ったらしい笑顔を貼り付つけ、深く長く息を吐き出す。
寝転がったままうぅんと伸びをしてから起き上がり、首を回したり腰を捻ったりして体を解している。
寝る前の無防備な姿は、もうそこにはない。
これが通常運転なのだ。
でないと張り合いがなく、つまらない。
別に残念がることでもないはずだ。
(いや待て待て。それじゃこいつと張り合うのが楽しいみたいじゃん。しかもなんだ、昨日の無防備な姿が見れないのが残念みたいな考え。見なくていいわ!)
非日常がもたらす環境の変化が鷹也の思考回路をおかしくしている。
予想外の、斜め上の方向に飛んでいく思考を引き戻し、頭をガリガリと掻いていると、翔がくっと腕を引いてきた。
体はその勢いのまま、翔の隣に引き寄せられる。
「言い過ぎだな、すまん」
「へ、え……」
「なんだ?」
まさか謝られるとは思わず、鷹也もスピリットアニマルである雛も、目を見開いて驚く。
昨夜、翔の体を見て、彼を知りたいと思った。
それと同じように、翔も鷹也に歩み寄ろうとしてくれているのだろうか。
そうなら嬉しい。
訝しげな視線でありながら、翔の口元は僅かに口角が上がっている。
よほど鷹也の顔が間抜けだったらしい。
笑いを堪えているだろう翔の顔こそ、目元と口元が不釣り合いで可笑しい状況になっている。
「はっ……ふ、いや、別に? 謝られたのが意外で」
「俺も悪いと思ったら謝るさ」
「俺の顔見て笑ってるのは?」
「それはごめん」
もう笑いを堪える必要もない。
二人で声を上げて笑えば、出逢ったときから先程までのわだかまりが溶けていくようだった。
「許してやる」
「上から目線だな」
「だって被害者だもん?」
「だもんってなんだ可愛い子ぶるな。飯、食いにいくぞ」
「やった。腹減ってたんだ」
昨夜は疲れが先行して食欲がなかった。
だが、今は昼飯を嘔吐し、夕飯を食いっぱぐれてしまったために腹が減っている。
喜んで尻尾を振り回すと、翔はまたひとつ笑みを溢した。
「心の声、うるさいな。ガイディングで必要だからエンパシーは使ってるけど、こんなにわかりやすいのは初めてだ」
うるさいとは何だ。
鷹也は熟考すべき時はそうするが、普段はあれこれ考えるタチではない。
考えても仕方のないことはその場の流れに身を任せて静観する方だ。
いや、だからこそ、昨日は思考がうるさかったのだろう。
「うるさくて悪かったな」
「わかりやすかったのは助かったぞ」
「俺のこと単純馬鹿だとか思ってるだろ」
「自己紹介してんのか?」
「してねえよ誰が単純馬鹿だ」
「自分で言ったんだろ」
「そうじゃん」
「そうじゃんって……」
くくっと喉で笑った翔は、鷹也の手を引いてクローゼットの前に連れ出す。
差し出されたのは、深緑色のシャツと黒のカーゴパンツだ。
サラッとした手触りのそれは伸縮性があり、着心地がよく動きやすそうに感じる。
新品だと念押しされ、昨夜シャワーを浴びたときと同様に、体のどこかを触れ合わせたまま器用に着替える。
新品とはいえ、翔のサイズに合わせたものだ。
同じような体格だと思っていたが、服を着てみると体格差があるのがわかる。
少し、ほんの少しだけ、翔の方が体格がいいようだ。
シャツもカーゴパンツも、ゆったりとした着こなしになってしまった。
(筋肉か? 筋肉だな)
鷹也はひとり、ベフライエンにいる間は筋トレを増やそうと決意した。
着替え終わると、ベッドで待っていた青白い雛が鷹也の肩に飛び乗ってきた。
新しく清潔な服が気に入ったようで、クルクルと喉を鳴らしている。
その後、トイレに向かったのだが、そのドアは半分開けたまま。
その状態で交互に用を足す。
面倒なことこの上ない。
翔を縛り付けておくことも申し訳なく思う。
好きな相手とでも、二十四時間、三百六十五日ずっと一緒はストレスを感じる。
物理的に離れられなくなって半日が経過したところだが、好きでもなければ親しくもない相手と密着するのはさぞストレスフルだろう。
この状況から脱するには、鷹也が努力するしかない。
シールドを保ったまま、目覚めたセンチネルの力を完璧にコントロールする。
それが唯一の道だ。
「飯食ったら能力の制御訓練な」
「おう。頼んだ」
「俺は言葉でしか教えられない。シールドを直した時みたいに、な」
「感覚でどうにかなるさ」
きっと上手くいく。
これまでだってどうにかなってきた。
それに、鷹也はひとりではない。
翔が一緒にいるんだ。
だから大丈夫。
根拠のない自信だが、謎の確信があった。
翔と肩を並べ、執務室を通り過ぎて廊下に出る。
廊下はオレンジ色の光が強くなっていた。
おそらく日中と夜間で照度を変えているんだろう。
進行方向は当たり前ながら突き当りの壁と反対側、左だ。
陽介たちが入っていった部屋を通り過ぎる。
(ここ、広いな)
昨夜は疲れが先行し、ただ廊下が長いなとしか思わなかった。
しかし、改めて歩くと、少なくとも鷹也が住んでいる官舎と同等の面積があるように感じる。
船全体は把握できなくとも、せめて外界とは隔離されたこの空間の見取図だけでも頭に入れておこう。
飽きてしまいそうな同じ景色を進むと、翔は右手側のとあるドアを開けた。
途端、日本では嗅ぎ慣れない異国のスパイシーかつ甘ったるい匂いが鷹也の空腹のスイッチを連打した。
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