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第15話 内海の過去
内海の部屋に戻り、再び診察室のような空間の椅子に腰を下ろす。
一般的な病院にある丸椅子ではなく、背もたれがあり座面に柔らかいクッションのある椅子は座り心地がいい。
これならあと何時間でも検査結果を待てそうだ。
「あと少し時間が掛かるのでコーヒーでもいかがです?」
「お願いします。あっ……その、甘くないのでお願いします」
「ふふっ、わかりました」
コピの強烈な味は一日一回で十分。
ここではっきりと意思表示をしなければ、また飲むことになるかもしれない。
慌てて申告する鷹也を見て可笑しそうに笑った内海は、部屋の奥にある簡易的なキッチンで食後のコーヒーを淹れ始めた。
やがて香ばしいコーヒーの香りとともに内海が戻ってきた。
ミルクも砂糖も入っていないブラックコーヒーは、程よい酸味が効いていて美味しい。
内海は猫舌なのか、何度も息を吹きかけてちびちびと飲んでいる。
時折美味しさに頬を緩ませる彼の姿からは、辛い過去があるようには見えない。
そんな彼が、何故ベフライエンになったのか。
同じ日本人として興味がある。
じっと見過ぎていたせいか、内海は鷹也の不躾な視線に気付いた。
「僕がベフライエンにいる理由が気になりますか?」
「えっあ……口にしていましたか?」
それとも顔に出ていたのだろうか。
頬を押さえるが、表情筋は動いていなかったように思える。
「あははっ。どちらでもありませんよ。僕が鷹也さんの立場なら気になりますからね」
あんまりにも可笑しそうに笑う内海には、彼を追い詰めるような影の気配はない。
自分から話題を振ってきたのだ。
聞いてもいいという意思表示ということだろう。
「内海先生は、いつから?」
「六年前です。ああ、私はミュートですから暗い過去なんてないですよ。元はタワーの支援棟に勤める医者でした。ゾーンになったセンチネルやガイディングに失敗したガイドの、一般的な体の治療を担当していました」
コップを両手で包む彼の目には懐かしさが浮かんでいる。
タワーは国が運営しているセンチネルとガイドのための機関で、そこで働く職員は必然的に国家公務員だ。
ただでさえ狭き門だが、医師として採用されるとなるとさらにその門は狭くなる。
それは、内海が優秀な医師であることの証明だ。
「エリートじゃないですか! でも、どうして?」
荒事からは程遠い仕事で、致命的なミスをしなければ定年まで勤めることが出来る。
多忙ではあるだろうが、一生食いっぱぐれることはない。
ミュートであるなら、能力者だからと変に持ち上げられたり、食堂で会った子どもたちのように虐待を受けることもなかったはずだ。
何が内海をベフライエンへと導いたのだろう。
「タワーの研究棟で行われている研究を見てしまったんです。あまりにも残酷な研究を。それを知った日、ちょうど……と言っては変ですが、ベフライエンがタワーに来て被験者たちを救い出してくれたのです。その流れで私もベフライエンの一員になりました」
六年前、日本のタワー、ベフライエン。
それらが符号する事件といえば、史上最悪の拉致事件だ。
タワーで療養中だったセンチネルとガイド、タワーの職員を合わせて三十数名が拉致され、抵抗したタワー職員と警備にあたっていた民間の警備員が数十名負傷。
これまでもベフライエンの襲撃に遭った国のタワーはあるが、ここまでの被害が出たのは世界で初めてだった。
ベフライエンの日本侵入、脱出の経路は不明。
タワーは警備の甘さを、警察は後手に回った捜査を批判され、拉致被害者の救出と警備体制の見直し、ベフライエンの壊滅が急務となった。
襲撃の当日、交番勤務だった鷹也は警察学校を卒業したばかりで、先輩に指導されながら交代時間になる翌朝まで検問に従事した記憶がある。
休憩時間はトイレと水分補給のみ。
あれは忘れたくても忘れられない当務だ。
まさか、あの時の被害者のひとりが目の前にいる内海だとは。
「よく着いて行きましたね」
嫌味でも何でもなく、純粋な驚き。
おっとりしている内海が、混乱している現場で瞬時に決断する姿は想像がつかない。
……いや、それは内海に失礼だ。
命を預かる医者の判断は、膨大な知識と経験により正確性がある。
彼は医者の中でも選ばれたエリート。
例え直感であろうとも、判断力は常人よりも遥かに高いだろう。
「ただの連れ去りではないとわかりましたからね。怖くはありませんでした」
「帰りたいとは?」
「そうですね。思わないと言えば嘘になります。恋人を置いてきてしまったので」
内海の穏やかな微笑みに、じわりと翳りが差す。
伏せられた目には哀愁の色が浮かんでいた。
「僕のエゴで、悪いことをしたと思っています。今はただ、あの人が幸せであればいいと願うばかりです」
それも一瞬、光が戻った彼の顔には、僅かばかりの強張りが見える。
内海の影は、能力者に関することではない。
間違いなく恋人を置き去りにしてしまったことだ。
恋人のことには触れないでほしいと、微笑みが告げていた。
当然、これ以上踏み込むつもりはない。
無茶苦茶な話題の変え方なのは承知の上で、鷹也は話を逸らした。
「あの、タワーの研究って?」
「何を目的にした研究なのか、僕もわかりません。資料を読んだわけではありませんからね。でも、迷い込んだ研究棟では、僕が診ていた能力者たちがたくさんの管に繋がれて廃人になっていました。能力者の心身の回復に特化した新薬の治験を希望した人たちで、支援棟の職員全員で送り出したはずだったのに」
新薬の治験で、被験者が廃人になる?
正常な研究所であれば、そんなことになれば治験は即中止。
事実を公表するべき事態だ。
それが明るみに出ていないとすれば、つまりはそれが常習化しているということ。
担当医だった内海からすれば、衝撃的な光景だっただろう。
信じていたはずの同僚たちが非道な行いしているとなれば、彼がベフライエンに協力し、能力者たちの救助に手を貸したのも頷ける。
(翔が言っていた能力者への虐待ってのはこのことか)
この話が本当なら、日本のタワーは倫理観を失くし、禁忌を犯していることになる。
いつから、誰が先導しているのか。
これは国ぐるみで行われていることなのか。
生まれた国への不信感は鷹也の根幹を脅かす。
国家と国民を守るはずの、警察官としての立場が、足元がぐらりと揺れる。
いや、しっかりしろ。
話だけですべてを判断してはいけない。
内海の話がすべて嘘とは思わないが、人間は認識した出来事を、それまでの経験と知識を元に解釈する。
そして、記憶は他人のちょっとした言葉で都合のいいように変わってしまう。
警察は証拠をすべてとする。
物証がなければ司法は動けない。
この話を鵜呑みにするのは危険だ。
先入観を捨てろ。
情に流されるな。
どんなに凄惨な現場でも目を逸らすな。
制服を着ているなら、涙を流すな。
警察学校の教官の言葉は、鷹也を警察官たらしめる指針だ。
それを忘れてはいけない。
翔に、ベフライエンについてきたのも、世界の真実を知るためだ。
焦らず、確実に。
タワーの研究資料や、若しくはその研究を直にこの目で見てから判断すべきだ。
半分ほど飲んだコーヒーは温くなっている。
それをぐいっと飲み干すと、内海は空になったコップを鷹也の手からすっと抜き取った。
力なく微笑んで立ち上がった彼のコップを見ると、ちびちびと飲んでいたというのに、それも同じく飲み干されている。
簡易キッチンに向かう憂いを帯びた内海の背中に、何も言葉を掛けられなかった。
「僕がここで医者をするのは、罪滅ぼしのつもりです。一生掛けても償うことはできないでしょうが」
「内海先生が背負う罪じゃない!」
「そうかもしれません。でも、自分を許せない。だから、僕はここで、ベフライエンとして世界と戦っています」
内海は支援棟の医者で、研究とは無関係だ。
加えて、虐げられていた能力者を救い出した。
彼が後ろめたさを感じることはない。
だというのに、内海は自罰的だ。
それでは精神がもたないだろう。
けれど、振り返った彼の目は強い光が写っていた。
「覚悟、決めてるんですね」
「ええ」
コップを洗い終わった内海は、席を立った流れで検査機器の確認をする。
そこで何か作業をして満足気に頷くと、彼はパソコンのある自席に戻ってきた。
「検査結果出ましたよ。翔さんに連絡しますね」
「え、なんで翔に?」
翔を呼ぶのはすべてが終わってからのはずだ。
検査結果が出たなら、鷹也に結果を告げてからでもいいのではないか。
思わず声を上げた鷹也に、固定電話の受話器を耳に当てた内海は申し訳なさそうに軽く頭を下げた。
「翔さんはここの責任者ですから、全員の検査結果を把握する必要があるんで……あ、翔さん、内海です。終わりましたよ」
鷹也への説明の途中で翔が応答したのか、内海は何度も頭を下げて謝罪する。
そう言われてしまえば仕方がない。
郷に入っては郷に従えということだ。
「というわけです。本来でしたら個人情報ですけど……」
「わかりました」
翔はその電話から一分もしないうちに到着した。
その姿を視界に入れると、なぜか心が和らいだ。
翔は鷹也の隣に用意された椅子に着席する。
隣にいるだけで、内海と二人でいた時とはまた違う居心地の良さがある。
(あれだ。刷り込みと同じだ)
鳥は初めて見た物体を親と認識する。
翔に感じる不思議な感情はきっとそれだ。
翔は一人納得した鷹也に不審な目を向けてきたが、肩をすくめて誤魔化した。
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