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第17話 ベフライエン

 非の打ち所がない晴天の空では太陽が輝いている。  目の前に広がる海は透明度が高く、エメラルドグリーンに揺れて煌めいている。    絶え間なく響く波の音と、潮の匂い。  風は強く、蒸し暑さでジワリと肌に浮いた汗を乾かしてくれる。    翔に連れられて出た外とは、翔の部屋に隣接する小さなデッキだった。  海面が近く、上にある展望デッキに比べたら目線は低い。  だが、しっかりと雄大な海を感じられる。 (綺麗だ)  海はいくら眺めていても飽きない。  燦々と輝く太陽に照らされた昼間の海も、夕日に赤く染まる海も、空に瞬く星を反射する海も、きっと美しいだろう。    しかし、翔が鷹也をここに連れてきた理由がわからない。  何をしたいのかわからないまま、鷹也は手すりに体を預けて海を眺める翔の隣に立っていた。 「綺麗だろ?」  海面が近いからか、眼下には魚の群れが自由気ままに泳いでいるのがはっきりと見えた。  地平線まで続く美しい海には、遮蔽物はひとつとしてない。   「ああ。視界いっぱいが海っていいな」 「見てて飽きない」 「だな。この船に乗ってればこれをずっと見られるんだろう? 天国ってこういう場所を言うのかもな」 「そうなるようにしているつもり。この船は助け出した人たちの療養地だ。伝わってよかったよ」  伝わらなかったら馬鹿にするつもりだったのかと思い、ちらりと隣を見るが、翔の顔には自慢げな色しか写っていなかった。  ビュッと吹き荒れた潮風に目を細めているが、とても気持ちよさそうだ。   「誰だってそう思うさ。で、療養地って?」 「朝も少し話したと思うけどな。ここでは捕えられていた能力者を保護している。まずは心身を休め、ある程度回復したら少しずつ勉強をしてもらう」 「これからのためにって言ってたよな」 「そうだ。鷹也、ここは豪華客船アテナ」  翔は手すりをカツンと長い指で鳴らして指差した。   「うん? それはわかる」 「今俺たちがいるベフライエンの領域以外は、普通の豪華客船と変わらない。療養した能力者たちは、船のスタッフとして働いて、ベフライエンからの自立を目指す。手に職が付いて金が貯まったら世界に旅立っていくんだ」  祈るような眼差しは柔らかく温かい。  その視線の先には、翔が助け出した人々がいるんだろう。 「身バレしないのか?」 「基本は調理や清掃、機関士とか、裏方の仕事だ。それに、顔はいくらでも隠せる。ええと、そうだな。船の前の方、客室最上階あたりだ。能力を使って見てみろ」  翔が指差したのは、鷹也からすると左斜め上だ。  手すりから少し体を乗り出してみると、頭上方向には海に張り出したデッキが無数にあるのが確認できた。  鷹也は深呼吸すると、視力と聴力のカーテンをシャッと少しずつ調整しながら開けていく。  翔が指差した方向には、デッキの手すりを丁寧に拭きあげる若い男女の二人がいた。  落ち着いたらクリーム色の乗組員の制服は、二人ともとても似合っている。   「そっち終わった?」 「うん、終わったよ。あとは水回りね」 「俺がするから最終確認やって」  苦笑いで最終確認を頼む男は逃げるように部屋の中に入っていく。  それを見た女は諦めたように、けれど可笑しそうに笑う。  部屋に入った男の姿は見えないが、会話は問題なく聞こえる。   「はいはい。自信がないのも困りものね。私、来月からいないのに大丈夫?」  指差し確認をしながらデッキの清掃状況を確認する女は、クスクスと笑いながらも目は真剣だ。   「どうにかするよ。あーあ、寂しくなるね」 「私もよ。でも、いつまでもベフライエンにお世話になるわけにはいかないわ」 「そうだね。俺も早く金貯めて自立しないと」  明るい声には真面目な色も感じ取れる。  女も部屋の中に入ってしまったため、今は会話を聞くばかりだ。  顔はもちろん見えない。  だが、その声には未来への不安と希望が混ざり合っていた。  輝く宝石は眩しく、見ていて気持ちがいい。    鷹也はカーテンをそっと閉めて視力と聴力を常人のレベルに戻す。  翔の言っていたことは本当のようだ。  翔は、鷹也がセンチネルの能力を使って上階の様子を確かめたと気付き、手を重ねてきた。  すると、僅かに重くなっていた頭がすっきりしていく。  ガイディングの効果を実感した鷹也が小さく「ありがとう」と口にすると、翔は頷くだけで返事をし、触れた時と同様にそっと手を離した。 「彼らはずっとベフライエンに保護されるわけじゃないのか?」 「本当はそうしたいところだがな。やるには金が足りないし、場所もない。世界から見たベフライエンは悪逆非道の組織で、攻撃に遭えば巻き込んでしまう。そんなこと、できないだろ?」  ざざっ……と大きな波が船体にぶつかる。  目の前で飛び散る波飛沫は焦燥感を煽る。  翔があんまりにも悔しそうな顔をするからだ。   「なあ、ベフライエンってなんなんだ。俺が今までまで聞いていたものと全然違う。ベフライエンは何をしようとしてる?」  ベフライエンは、絵に描いたような悪の組織だ。  世界各地で活動する彼らは、問答無用で能力者を拉致していく。  拉致された能力者が帰ってきた例は皆無。  首謀者や拠点、構成員の数も、能力者を集めて何をしているかも謎。  ただ、ベフライエンと名乗っているだけしかわからない。  だからこそ、世界中の警察組織や諜報機関が血眼になってその実態を解明し、壊滅させようとしている。  これが鷹也の知っているベフライエンだ。    それが、実際にベフライエンの中に入ってみるとまるで違う。    食堂で会ったベフライエンの構成員と子どもたち。  日本のタワー職員だった内海。  船で働きながら自立を目指す男女。  彼らはベフライエンに感謝していた。  内海に至っては、自身のすべてを投げ出してここへ来ている。  そこに気持ち悪い信仰や崇拝の気配は一切ない。  あるのは、未来への希望と祈り。   「センチネルとガイドが出現したのは先の大戦中なのは知ってるな?」 「ああ。ざっと三百年前だろ」  問いかけられ、鷹也は常識を即答する。    およそ三百年前、大規模な震災による大陸の一部沈降を発端に、土地を巡る世界戦争が始まった。  その最中、現れたのがセンチネルとガイドだ。  人類の約二割がその兆候を示し、各国はその対応に追われ戦争どころではなくなった。  終戦のきっかけにもなったセンチネルとガイドは、平和の象徴でもあると教科書に記されていたはずだ。   「そうだ。ベフライエンは元々、大戦中にプレゼニングした軍人たちが作った互助会みたいなものだ」 「互助会?」  鷹也は首を傾げた。  犯罪組織の始まりが互助会のようなものだったとは想像しづらい。    あんまりにも不可解な顔をしていたんだろう。  翔は鷹也の顔を見ると困った顔をした。 「誰も能力のことがわからない。どの国も研究を進めていたがその内容は判然としない。ただわかっているのは、五感が優れた者と、彼らを癒せる者がいることだけ。戦場で情報は生命線だ。少しずつわかってきたことを教え合い、ガイディングする必要があると広めていったそうだ」 「それがなんで国際犯罪組織になったんだよ」  ここまでの聞く限り、彼らは覚醒したセンチネルとガイドにとって救いであり、国にとっても有益な存在のように思える。  それが、どこで歯車が狂ってしまったのか。  眉間に皺を寄せた鷹也に答えを示したのは、疑問を投げかけた翔本人だった。  彼は憂いを含んだ吐息を長く吐くと、潮風を胸いっぱいに吸い込んだ。   「戦争が有耶無耶のうちに終わっただろ。利益を獲得できなかった各国は争うようにセンチネルとガイドの研究を進めていった。その目的は研究に伴う利権の獲得。そのために、能力者たちが非人道的な研究に巻き込まれていった」 「それに抵抗したってことか」 「そういうこと。で、国は不都合な者を犯罪者に仕立て上げ、厄介払いした」 「クソだな」  これが本当だとしたら、鷹也が教科書で学んだ戦後のセンチネルとガイドが引き起こした暴動やテロは嘘だということになる。 (待て待て。わかんなくなってきた)  何が本当で、何が偽りか。  昨日から常識が壊され続け、確固たる証拠がないのに次々と明かされていくベフライエンを取り巻く世界の有り様。    頭がオーバーヒートしそうだ。  鷹也はどちらかといえば頭脳派ではない。  小難しいことを並べられ、頭を真っ白にするために体がウズウズしている。  かろうじて我慢できているのは、海風が熱を持った体を多少冷やしてくれているからだ。   「戦争を主導するようなやつらだ。倫理観なんてそもそも持ち合わせていないさ」 「それが本当の話って証拠は?」 「これだ。当時、互助会がマスコミにリークしようとして集めた資料なんだが、結局、どのマスコミも国に買収されていて取り合わなかった」  あらかじめ準備していたのだろう。  翔はタブレットを取り出してタプタプと操作した後、それを鷹也に差し出した。  画面に映し出されているのは、英語で書かれた報告書だ。  それぞれの国が行なっていたセンチネルとガイドの研究。  新人類ともいえる彼らの正体を探るための研究は、人を人とも思わない方法で進められていた。  非道な研究の報告書には写真と研究記録や論文の写しが添付されていて、それらは膨大な量だ。  今ここですべてを読むのは難しい。  道を間違えないためにも、確固たる証拠が欲しかった。  けれど、いざそれを目の前に突きつけられると、それすらも疑いたくなるほどの凄惨な内容だ。  グロテスクな世界の姿に気分が悪くなりつつも、スクロールする指が止まらない。 「顔色が悪い。今日はそれくらいにしろ」 「ああ。また読ませてくれ」 「もちろん」  十分の一ほど読み進めたところで、タブレットは翔に取り上げられた。  体調は滅多に崩さない方だ。  風邪を引いたのも遠い記憶で、そんな鷹也が、昨日会ったばかりの翔に指摘されたということは、相当酷い顔になっていだんだろう。  言われてみれば指の先が冷たい。  手を握ったり開いたりして血の巡りを良くすると、ピリピリとした感覚と共に温かさが戻ってくる。  同時に顔色もマシになったのか、翔は密かに安堵の息を吐き、ふと思い付いたように、西に傾いた太陽を仰ぎ見た。  遮る雲もなく、燦々と輝く太陽はひたすらに眩しい。  まるで願いを乞うような翔の姿に、鷹也の胸は騒ついた。    「ベフライエンって単語。どんなイメージがある?」 「国際的な犯罪組織、だな」 「本当は、ベフライエンはドイツ語で解放するとか、自由にするって意味だ。でも、三百年経っても犯罪者集団としか認識されない」  すっと細められた目は、太陽が眩しかったからか、それとも現状への苛立ちからか。  険しい表情が緩められないまま、翔は苦しそうに話し続ける。   「ベフライエンが目指すのはセンチネルとガイドが誰にも利用されず、差別されない世界。今は夢物語だとしても、いつか誰かがこの志を受け継いで成し遂げると信じている」 「その割にやり方は過激だが?」 「これしか方法がないだろ。センチネルやガイドを道具として見ている国に抗議したってなしのつぶて。どれだけ交渉を持ち掛けても無視され続け、その間も能力者が非道な実験で死んでいく。それを黙って見てろって?」  翔が歯噛みすると同時、ゴウッと突風が吹き荒れた。  船体に打ち付けられた波が飛沫を上げ、鷹也と翔に降りかかる。  それはまるで翔の怒りを代弁しているかのようで、見ていて息が苦しくなった。 「他に方法があるならとっくにやってるさ。ないから今こうなっている」 「でも、いずれは無理がくる。それはわかっているはずだ」 「もちろんわかっている。この船はベフライエンを支持している支援者の所有物だ。仮にその子孫が手のひらを返せばこの楽園も地獄に変わってしまう。でも、それは今じゃない。俺たちができるのは両腕の届く範囲で誰かを救うこと。今はやれることをやるだけだ」  翔の言葉は淡々としている。  しかし、そこには必ずセンチネルとガイドの平穏を手にするという決意と、無力な自身への鼓舞が見え隠れしていた。  警察官をしていて、こんなに強い意志を持った人間に出逢ったことがない。  きっと、その決意は背負わなくていいものを翔に背負わせている。  見ている鷹也が苦しいなら、当の本人はもっと苦しいはずだ。    けれど、それを止めろとは口が裂けても言えない。  これほど固い決意を翻すことなど不可能だ。 「そう、か……」  鷹也は翔に投げかける言葉を失った。  けれど、心に浮かんだのは、憐れみでも同情でもない。 (その重いもん、少しは軽くしてやりてぇな)  鷹也は警察官だ。  ベフライエンに手を貸すことなどできない。  仮に手を貸すとしたら、それは鷹也が警察の職を辞するときだ。  しかし、警察官だからこそ、何かできることがあるかもしれない。  具体的には、現状、何も思い浮かばない。  何もできなかったとしても、自分にできることはやりたいと思った。  突きつけられた負の証拠を見た今、鷹也の心は現実的でありながら、少しずつ変化している。  それを、鷹也ははっきりと感じていた。

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