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第18話 翔の後悔

 急に風が強くなった。  やけに冷たい風は、露出した肌から体温を奪っていく。  突然の気温の変化は、涼しいを通り越して寒ささえ感じる。 「俺は……」 「えっ、何?」  風と波の音で聞き逃しそうになった呟き。  かろうじて拾えたその続きを促すと、翔は視線を彷徨わせた。  口籠る姿は見ていてもどかしく、言いかけたのはそっちだろうと詰め寄りたくなる。  けれど、何か大事なことを話そうとしている翔を急かすのは野暮だ。  鷹也は口を開かない翔を我慢強く待った。  強風が止み、凪が訪れる。  さざ波の音が潮風でべたつく髪を撫でていく。   「俺は、六年前まで鷹也と同じSAT隊員だった」  ようやく口を開いた翔の言葉に、心臓が胸を突き破って飛び出そうになった。  バクバクと全速力で走り始める鼓動。  カッと熱くなる体。  意識しなければ乱れてしまう呼吸。   (ベフライエンの日本支部を任されている翔が、SAT隊員だった?)    耳を疑う言葉に、鷹也は翔を凝視した。  それを受け止めた翔は、刺すような視線を躱すことなく真正面から受け止めている。  鷹也と同等の体術。  回転の速い思考。  思い切りのいい決断力。  そのどれもがSAT隊員になるには必要で、明かされた今なら納得できることがいくつもある。  けれど、これが事実であれば日本警察始まって以来最大の不祥事だ。  警察官が、まさか国際犯罪組織の幹部になるなんて……。    それと、気になることがひとつ。   「おい、俺がいつSAT隊員だなんて言った?」 「言ってない。でもわかる。基本動作は逮捕術だったし、俺の動きに合わせて色んな格闘技を組み合わせていた。そんな戦い方、SAT隊員くらいしかしないだろ」 「そんなんよく見てたな」 「動体視力は良いんだよ」  翔は自分の目尻をトントンと指で叩いた。  なるほど、それなら納得がいく。    動体視力は戦闘の要だ。  相手の動きを見切れなければ、いくら体が動いたところで意味がない。  SAT隊員は全員が動体視力検査の結果は優だ。  それ以外は認められない。  そして、動体視力で確認された鷹也の動き。  逮捕術をベースにしているのは、警察官はただ戦うだけが仕事ではないからだ。    最終的な目標は犯人を有罪にすること。  犯人を確保し、取り調べ、検察庁に送致して裁判にかけ、有罪を勝ち取る。  それだけではない。  なぜ、犯罪は起きてしまったのか。  原因と理由を解明することは、被害者のやるせない気持ちを少しでも解消するためでもある。  だからこそ、犯人を生きた状態で確保する。  それは普通の格闘術では目的を達成できない。  逮捕術は、その名の通り逮捕するための術だ。  だからこそ、鷹也たちSAT隊員は逮捕術をベースにしている。  格闘術マニアでも、逮捕術の動きをそうだと言い切れる者は少ない。  日本古来の武道を元にした逮捕術は、それこそ公安系の同業者くらいしか見てわからないだろう。  だからこそ、翔の言葉に嘘はないのだと確信した。   「どこの隊だった?」 「鷹也と同じ警視庁だ。あそこの近く、官舎あるだろ」 「先輩じゃねぇか」 「歳も上だろうからな。敬え」 「はっ……今更」 「だな」  古巣への懐かしさを思い出しているんだろう。  翔は柔らかな笑みを浮かべた。  それを見て鷹也はほっと胸を撫で下ろす。  特に上下関係が厳しいSATで、上司や先輩にタメ口で話せば激昂されるからだ。  ただし、ここはベフライエンの船の上。  翔がSAT隊員だったのも六年前のことで、彼は今現在警察官でもなければ、同時期に同じ所属になったこともない。  今の関係は、国際犯罪組織の構成員と警察官。  拉致した側と拉致された側。  つまり、上下関係は一切ない間柄だ。   「で? なんで先輩はこんなところに?」  揶揄い半分に視線を投げれば、翔の口角が不敵に吊り上がる。  冗談だと両手を挙げて降参すれば、やれやれと肩をすくめられた。   「SATで仮パートナーだった相棒が、一人で旅行中にバスの横転事故に遭ってな。自分も怪我しながら救助活動をしていたらゾーンになってしまったんだ」 「ガイドは?」 「その場にいなかったらしい。で、タワーに療養で入ったんだ。最初は面会もできたし、連絡も取れていた。でも、ある時音信不通になった」  凪が終わった。  また風が強くなり、激しい波が押し寄せてくる。   「経過が悪かったとか?」 「そういう説明を受けたよ。ままあることだから最初は納得した。でも、タワー経由で退職届が送られてきて、おかしいと思った」  センチネルがゾーンになり回復しないとすれば、日常生活もままならない。  それなら、退職の意向も不思議ではないはずだ。  体が資本の警察官ならなおのこと。 「なんで?」  鷹也が問い掛ければ、翔は懐かしむように目元を和らげた。  翔の目の前には、きっとその相棒の残像が浮かんでいるのだろう。   「死ぬまで警察官だって言っていたからな。それに、そいつは天涯孤独でさ。仕事を辞めたらどこも頼る先がないんだ」 「その退職届は?」 「筆跡も本人のものだったからな。届いたもんは受けざるを得ない」 「本人と面接もせずに? ふざけた話だ」 「相手は厚生労働省と文部科学省の外局だからな。代行って形で手続きされたら、こっちは何もできない」  穏やかな顔から一変、翔の表情は急激に曇っていく。  翔の言う通り、タワーは厚生労働省と文部省科学省の外局――つまり公的機関――だ。  一般企業が営む退職代行サービスとはわけが違う。  他機関とはいえ、官公庁が代理手続きしたものを却下することなどできない。    とはいえ、意向確認の面談もなしに退職を受理するとは納得がいかない。  相棒だった翔が不審に思い、憤るのも理解できる。  鷹也だって、杉浦班の誰かが同じような退職の仕方をしたらタワーに押しかけるだろう。 「それで、俺はタワーに行くことに決めた」 「不法侵入?」  タワーに行くところまでは同じ考えだったらしい。  鷹也の場合、タワーに伝手はなく、やるなら不法侵入になる。 「まさか。療養中の知り合いの面会だよ」 「本当か? 怪しい」  翔もそうかと思いきや知り合いがいたらしい。  話の雲行きが怪しい分、暗くなりすぎないように、けれど翔が怒らないラインを見極め、茶化すように視線を向ける。  すると、軽く肩を小突かれた。 「言ってろ。まあ、その先は本当に不法侵入したけどな」 「わぁ、言っちゃったよ……」 「事実だからな」 「開き直ってる」  口元を引き攣らせた鷹也に、翔はふんっと鼻を鳴らした。   「そりゃもう六年前の話だからな。話を戻すぞ。建前は知り合いの面会だから実際に知り合いに会いに行ったんだが、タワーの研究棟が重篤な症状の患者に新しい治療薬の治験を依頼をしている話があると情報を得た」 「その知り合い、よく知ってたな」 「療養仲間が依頼を受けたらしい。その人は薬嫌いで断ったらしいが。で、その後、支援棟の療養階を探したが相棒は見当たらなくて、もしかしたらと思って俺は研究棟に向かった」  体をふらつかせるほど強かった風が、ぴたりと止まり、息が詰まりそうなほどの奇妙な静寂が訪れる。    息が止まりそうなのに、鼓動は速くなる。  研究棟で何があったのか知りたい。  翔が何を見、何を感じたのかを。   「見つけたのか」  生唾を飲み込み前のめりの姿勢で続きを促したが、翔は静かに首を横に振って否定した。   「いや。見つけられなくて、棚にあった資料を捲ってみたらカルテだった。そこに書いてあったのは、治験結果じゃない。実験の経過だった」 「実験?」 「センチネルとガイドが能力発動時に脳内で分泌する物質で、アドレナリンと結合する事でより高い能力を引き出す事ができるステラ。その遺伝証明のな。その過程で、ステラを確実に分析するために強制的に能力を使わせて、意識あるまま頭を開いた」 「……は?」    翔の言葉は耳に届いた。  しかし、その意味は理性が理解するのを拒んだ。 (生きたまま、頭を開いた?)  それはどれだけの痛みと恐怖を伴うのか。  想像しただけで全身の鳥肌が立ち怖気が走る。 「信じられないだろ? でも、読み進めれば読み進めるだけそれが過去にあったことだとわかるだけだったよ。別の棚も見てみたら、カルテは違う実験の内容だった。開発中の、ステラの増減をコントロールする薬のな」  呆然とする鷹也に、少しだけと言い含めて翔が再びタブレットを渡してきた。  鷹也は震える手でそれを受け取り、深呼吸をする。  見ないという選択肢はない。  覚悟を決めて開いたカルテのデータには、翔が話した実験の経過が克明に記されていた。  実験の経過は主観が入ることなく淡々と続き、いずれも最後のページに検体死亡の判が押されている。  少し見ただけで気分が悪い。  カルテの作成者は、一体何を考えていた?  とてもじゃないが正気の沙汰ではない。   「それを治験と称して?」 「みたいだな。カルテだけで、俺は直接見てないけどな」 「見てないのか」 「カルテを見てたら警報が鳴り始めたんだよ。侵入がバレたと思って適当にカルテを抜き取って逃げようとしたら、実験体にされていた能力者を助け出していたベフライエンに鉢合わせた」 「相棒は?」  翔は相棒を探しにタワーの研究棟に侵入した。  それなのに、会えないなんて話はあんまりだ。  目で訴えたが、翔はふいと視線を逸らした。   「いなかった。戻ろうかと思ったけど警備が来ていてできなかった。それに、ベフライエンが連れていたセンチネルがゾーンアウトギリギリで、ガイディングを始めたからな。で、ガイディングが終わった頃にはこの船の上だった」 「じゃあ、相棒は」 「助け出せなかった」  固く握られた拳がギッと嫌な音を立てる。  それ以上握りしめたら傷が付く。  鷹也はその手を取り、一本ずつ指を緩めてやる。  開いた手のひらには不自然なまでにくっきりと爪の跡が残っていた。  痛みが散るようにさすれば、やんわりと手を握られて止められ手を引き剥がされた。  まるで自傷行為だ。 「あの時の選択は後悔はしていない。俺は俺のやれることをやった。でも、もっと俺に力があったら助けられたかもしれないと考える。何度も」 「それは……」 「それから、ベフライエンに帯同して現実を知った。センチネルとガイドが虐げられている裏側を何度も見て、警察官の自分を捨てた」  吐き捨てるように紡がれた言葉。  激しいはずの波の音が遠く感じる。  空中で霧散する波飛沫は、砕けた翔の心のように思えた。    何か言わなければ。  だが、何を?

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