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第21話 授業参観

 食堂で一息吐いた鷹也は、子どもたちがいる部屋のドアを音を立てることなく開け、中の様子を伺った。  そこは、鷹也が学生時代に過ごした教室とほとんど変わらない部屋だ。  前方にはホワイトボードと教卓。  部屋の大部分を占める机と椅子。  違うのは、それら備品が床に固定されていることと、後方に広い空きスペースがあること。  教壇では櫂が授業を進めている。  席に座っている子どもも大人も、真剣に櫂の話を聞いていた。  櫂はちらりと鷹也を見たが、視線を止めることない。  自然な流れで後方の空いている席を示すと、視線をホワイトボードに移し、黒ペンを走らせていく。   (そこに座れってことか)  授業の邪魔はしたくない。  鷹也は小さく開けたドアの隙間からするりと体を潜らせ、櫂が指示した席に静かに腰を落ち着けた。  授業の内容はとある地域の歴史だ。  鷹也はその地域の歴史について詳細は知らない。  だが、先の大戦で大きく地形が変わったことだけは知っている。  ちょうど先の大戦の内容だったため、しばらく座って授業を聞いていたが、センチネルやガイドがミュートより優れているだとか、世界を能力者で支配するべきだとか、逆に能力者を批判するような、そんな変な思想を教え込んではいない。  胸の中にある視覚のカーテンを少し開き、後方から子どもたちの教材を覗き込むが、使われているそれにおかしなところはない。  ところどころでは、可愛らしくデフォルメされた動物がその項目を深掘りしているコーナーがあるものだった。    自然と鷹也も授業に引き込まれていく。  それは、櫂が話す英語が綺麗であることも要因だ。    どこの訛りもない教科書通りの英語は聞き取りやすく、声に張りがあって眠たくならない。  この声で英語の絵本の読み聞かせをしたら、間違いなく面白いだろう。  それだけじゃない。  授業に慣れていない彼らが飽きないよう、ゲーム形式で進めている。  これなら、遊び感覚で勉強ができる。 (へぇ、上手いな。学校の先生だって言われても驚かないレベルだ)  鷹也は小さくうなずき、視線を隣に巡らせる。  そこには、鷹也とともにベフライエンに拉致された陽介が座っていた。  陽介は生徒たちと同じく教壇に立つ櫂を見ながら、開いた英語の教材へ器用に授業のポイントを書き込んでいっている。  さらさらと滑らかに動く指先。  書かれた文字は速度の割に読みやすく綺麗で、陽介の育ちの良さを感じた。 (当たり前か。官僚の一人息子なんだから)  きっと、大事に育てられてきた。  争いから遠い場所で生きていくはずだった。  それが、なぜこんなこたになったのだろう。  答えは陽介の父が残した動画と、翔が提示した日本のタワーが行っている非人道的な研究資料にある。  それでも、未だ信じられないのが現状だ。    机の上で握った拳が小さく震える。  その手には、何も掴めていない。  陽介に視線を突き刺していたからだろう。  前を向いていた陽介の視線が鷹也に向く。  途端、陽介はびくりと肩を跳ねさせて驚いた。  授業に集中していて、鷹也の存在に気付いていなかったのだろう。  鷹也は口をパクパクとしている彼に、口元に指を当てて静かにするようサインを送る。  すると、陽介は口元に手を当ててコクコクと頷いた。 (ははっ。しっかりしてるけど、やっぱりまだ学生なんだよな)  鷹也は口元に笑みを浮かべ、陽介と一緒に授業に戻る。  戻った……のだが、授業は終盤。  五分後には授業が終わってしまった。  すると、授業に集中していた保護対象者が鷹也の存在に驚き、教室は叫びの渦に飲み込まれる。 「いつからいたの⁉︎」 「鷹也って日本から来たんでしょ? 忍者?」 「忍者だー!」  鷹也が返事をする前に自己完結した子どもたちは、きゃっきゃっと笑いながら鷹也の腕を引き、広い空きスペースへと誘う。  そこで、漫画で描かれる忍者走りをしながらの鬼ごっこが始まった。    鷹也は、有無を言わさず鬼にされた。  鬼といっても、この遊びの中では忍者だ。  そして、逃げ回る子どもたちは城に忍び込んだ曲者ということらしい。 「待てー!」  相手は子ども。  鷹也は手加減して追いかけつつ、時々空いたスペースでバク転したり、かと思えばわざと転けたりして緩急をつける。  ひとり、ふたりと捕まえて、最後に元気な年長の子を捕まえればゲーム終了だ。  それを見計らって、陽介と教材を覗き込んでいた櫂が声を上げる。 「鬼ごっこは終わり。さあ、お昼ご飯の時間です。食堂に行ってください」 「はーい」  息を切らしていても、子どもたちは櫂の呼びかけにしっかりと返事をする。  そして、鷹也にお礼を言うと、行儀良く並んで食堂に向かうため、廊下へと出ていった。  可愛い嵐は、余韻を残して遠ざかっていく。 「元気だな」 「まだ午前中だからね。午後になるとやっぱりうたた寝する子が出てくるよ」  くすくすと廊下を名残惜しそうに見つめる櫂の表情はとても穏やかだ。  つられて陽介も笑っている。 「そういえば、陽介くんはなんでここに?」 「俺も櫂さんと一緒に授業をすることになったんです。今まで塾講師のバイトをしていたので、ここにいるからには何かしたくて」 「そっか。人に何か教えられるって凄いな」  擬音語でしか教えられない鷹也とは大違いだ。   「英語での授業は初めてなので、ちゃんと伝わるように頑張ります」 「大丈夫だよ。陽介くんの英語は綺麗だし、ここで教える範囲もばっちり。理系の授業と、俺がやる授業のサポート、よろしくね」 「はい!」 「これで理系を教えていた翔さんの負担が減るよ」  櫂は愛情に満ち溢れた顔を陽介に向け、そして、視線を翔の執務室の方へと移す。  その姿はまるで、教師そのもの。 「本物の先生みたいだな」 「うん。先生からね」 「え……」  鷹也だけでなく、陽介も目を見開く。  胸に、ひやりとした風が吹き込む。  過去形で語られた櫂の言葉に、温度はなかった。 (今、聞いていいのか?)  ここにいる能力者は、大なり小なりトラウマを抱えているはずだ。  虐げられた過去。  苦痛に満ちた記憶。  それを、数日の付き合いである鷹也が聞いていいはずがない。  鷹也の反応から、その躊躇いに気付いたのだろう。  櫂は驚くほど明るい笑顔を向けてきた。 「元々、今日か明日にでも話すつもりだったから気にしないで。それに、鷹也さんには必要な情報でしょう?」 「それはそうだけど……」 「そんなに悲惨じゃないから構えず聞いてほしいな」  パチンと可愛らしくウインクをする櫂には、確かに暗い過去の残滓はない。 「わかりました。聞かせてください」  陽介は早々に櫂の過去を聞く心構えをしたようだ。  鷹也は歳下である陽介の肝が座った姿勢を見て、自分が情けなくなった。    何のためにここにいるんだ。  何のために、ここにいると決めた?    世界を知るためだ。  それなら躊躇うな。  鷹也は大きく頷いて櫂を促した。 「じゃあ、俺のそんなに悲惨じゃない過去の話をひとつ。俺は、ある地方で小学校の教員として働いていた。ガイドということ以外、平凡なただの先生。でも、ある日不審者が侵入して……」  櫂の話に、鷹也の口元が引き攣る。 (そんなに悲惨じゃない話じゃないって言ってたよな?) (でしたよね?)    開始早々、不穏な話の流れに、鷹也と陽介の視線が交わる。  陽介に至ってはごくりと生唾を飲み込んでいる始末だ。  鷹也と陽介の反応に気付いたのか櫂は苦笑いを浮かべるが、肩をすくめ、先程と変わらない明るい口調で口を開いた。 「まあ、不審者といっても児童の母親……正確に言うと元母親でね。彼女はセンチネルで、仮契約していたガイドと不倫して離婚。親権は父親に渡り、父子が転校してきたのが俺がいた学校だったというわけ。んで、親権が取りたかった母親は、自分の能力である聴覚を使って児童の居場所を突き止め、取り返しに学校へ侵入したんだ」  ここまで話すと、櫂は「よくある話だよ」と付け加え、眉尻を下げて困ったように笑う。  陽介が声にならない声を漏らし、視線で鷹也に助けを求めてきた。   (よくある話なんですか?)  目は口程に物を言うなんて言葉があるが、それを見事に体現した顔だ。  助けてやりたい気持ちはもちろんある。  が、鷹也は小さく頷いて肯定した。  鷹也も、交番勤務をしていたときに一度、この手の事案を対応したことがある。  一緒に勤務していたベテラン上司は「ここ数年の間に四件目だよ」とぼやいていた。  先の大戦前よりも制度が整えられている現代ではあるが、そこで生きているのが人間である限り、複雑な問題は発生するものだ。 「母親が児童のいる教室へ辿り着く前に、彼女はゾーンになってしまった。その学校でガイドは俺だけ。定期的にタワーが主催するガイディング研修に行っていたから、ガイディングを始めたんだけど……」 「失敗したのか」 「そういうこと。ゾーンになったセンチネルのガイディングが危険なのは知っていたんだけどね。知っているのと実際にガイディングするのとでは天地の差だったよ」  鷹也の確信を、櫂はさらりと軽く肯定した。    ガイディングに失敗したガイドは意識混濁又は昏睡状態に陥ることが多い。  そこから回復するのは、そのガイドの精神力と体力にかかっている。  ガイドからガイディングを受けて回復するセンチネルと違い、ガイドは自分自身の力で回復していくしかない。  それが、ガイドであることの最大のリスクだ。 「それで、タワーに?」  陽介の掠れた声は小さい。  だが、櫂はそれをしっかりと聞き取っていた。 「そう。タワーで療養していた。まあ、意識が朦朧としていたから記憶は途切れ途切れだけどね」 「てことは、回復しなかったのか」  否定してくれ。  そう願っても、櫂はそれを肯定する。   「結構酷かったみたいで、回復の見込みなしって判断されたんだ。それで、研究棟に連れていかれて干からびるくらい血液を採取され続けていた。研究職員? は、俺の意識が時々戻ることに気付かなかったみたいでさ。それで、俺の前で色々喋ってくれてね。実験に使われてるんだってわかった」 「逃げ出せなかったの?」 「意識が戻るのはせいぜい五分。状況把握で精いっぱいって感じだったんだよ」  いやぁ、参った。  櫂は小さく呟いて頭を掻いた。  その表情に翳りはない。  もしかして、と鷹也は思考を巡らせる。  櫂の過去は紛れもなく暗く辛いものだ。  だが、ベフライエンとして活動していくうちに、それをはるかに凌駕する悲惨な光景を目にした。  それで、自身の過去が軽いものだと認識した。  櫂は確かに言っていた。  悲惨な過去じゃない、と。  悲惨であることは認めている。  彼にとって、その程度が軽かっただけ。 (俺の分析は、多分合っているんだろうな)    もしそうであるなら、世界は残酷だ。  櫂の認識を覆すほどの惨状が、今もどこかにある。  翔から預けられているタブレットの中にある資料通りの地獄が広がっている。  櫂の話はその裏付けのように思えた。 「俺が研究棟にいたのはせいぜい一ヶ月くらい。そのあと、ベフライエンに助けられて、何か自分でも力になれることがあればと思って、今はここで学校の先生みたいなことをしてるんだ。もう六年になるかな」 「ってことは、翔や内海先生と同じタイミングでベフライエンに?」 「そうそう。いわゆる入社同期ってやつだねぇ」  櫂は誇らしげに口角を上げた。  翔と内海を尊敬し、同志として信頼している。  それがしっかりと感じ取れた。 「さて、お腹減ったでしょ。ご飯食べに行こう」  櫂は開いたままだった教材を閉じ、鷹也と陽介を食事に誘う。 「ああ。櫂、ありがとう」 「俺も。話してくれてありがとうございました」 「どういたしまして。あ、知ってる? 今日のお昼はカレーだよ。早く行かないと食べ損なうかも」  櫂は大型犬が尻尾をぶんぶんと振り回して散歩に誘うように、鷹也と陽介を急かす。  カレーは子どもの大好物で、鷹也も子どものころは三食カレーでもいいと思っていたタイプだ。 「大人と子どもは辛さが分けてあるんじゃないんですか?」 「そうなんだけど……。カレーは飲み物って豪語する人が多くてね」 「それ、翔だろ?」  警察官は時間に追われる仕事だ。  早食いな人が多く、全体的に柔らかく咀嚼しやすいカレーを好む人が多い。  翔もそのうちの一人に違いない。    ちなみに、嫌煙されるのは麺類だ。  食べている途中で事件が発生すると、食べかけで現場に向かう。  帰ったきたときには汁を吸ってぶよぶよになった麺と再会することになる。  鷹也は新人のころ何度かそれで失敗し、職場で麺類は食べないようにしている。   「当たり。あと、伊吹もね。だから早く行かないと」  食堂は隣の部屋だ。  すぐに着く。  それでも気持ちが逸って早足で行った食堂には、席が埋まるほど人がいる。  カレーはギリギリ余っていて、口にしたそれは日本が恋しくなる味だった。

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