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第22話 伊吹の給仕姿

 馴染みのある日本食や、今は海に沈んだ地域のローカル食を翔たちと食べ、櫂と陽介が教鞭を取る授業に顔を出し、時々、臨時教師として子どもたちと運動する。  子どもたちと一緒では運動量が足りず、翔の部屋で出来得る限りの筋トレをしていた。  そうして、閉鎖空間にいることの鬱憤を晴らす。    そうでもしなければ、頭がおかしくなりそうなのだ。  鷹也は毎日、翔から渡されたタブレットでベフライエンが集めた膨大な各国の研究資料を読み進めていく。  それは、目を背け、跡形もなく消し去りたくなるほど悍ましく凄惨なものだ。    グロテスクなものに耐性があると思っていた。  仕事柄、遺体を見る機会も多い。  海外派遣に行ったときは、敵からの攻撃を防ぎきれず腹部を負傷して内臓が剥き出しになって痛みにのたうち回る者を目の当たりにしたこともある。    そんな鷹也でさえ、手の内にある資料は読み進めるのを躊躇うほどのものだ。  人の尊厳を踏み躙った能力者の管理方法。  能力者を肉体と精神の限界まで、いや、限界がきても酷使する。  意識あるまま解剖する。  それが、当たり前のように書き連ねてある。  特に、日本のタワーから持ち出された資料は読むのが辛い。  鷹也がSAT隊員として守っている自国のタワーがこんな残酷な研究を進めている。  国の上層部はどこまで知っている?  研究内容に精神を蝕まれ、吐き気が襲ってきた。   「散歩するぞ」  あまりにも顔色が酷かったんだろう。  ある日の昼下がり、鷹也は翔からタブレットを取り上げられ、翔の執務室から連れ出された。  廊下に出ると、偶然にも同じタイミングで部屋から出る伊吹と目が合う。  いつもなら軽く挨拶を交わすが、伊吹が着ている服は見慣れないものだった。  鷹也はまじまじと彼を見つめる。 「その格好、何?」 「これ? アテナの乗組員の制服。かっこいいだろ」  白のジャケットに黒のスラックス。  首元を飾るのは銀の蝶ネクタイだ。  キザったらしくポーズを取る伊吹は、なるほど確かにそういったポーズをするだけあって様になっている。 「そっか。今からだったな」 「そうですよ、翔さん。久しぶりに食べます? 鷹也も来いよ」 「いや……ああ、いや。行く」 「了解です。じゃあ、行きましょ」  伊吹は、翔の否定と肯定が行き来する返事に気を悪くした様子はない。  ニッと不敵に笑うと、状況が理解できていない鷹也と手を繋いできた。    鷹也よりも大きな手はさらりと乾いている。  力強く握り、外界との出入口となっている部屋に鷹也を引き入れる伊吹の後ろ姿はどこか楽しそうで、そして頼もしい。  たが、せめてきちんと答えてほしい。 「行くってどこに?」 「察しが悪いなぁ。上のレストランだよ」 「上って……」  伊吹は人差し指を上に向ける。  それにつられて鷹也も上を見上げるが、それでも理解できない。  ベフライエンに来て構成員の様子を見ていたが、伊吹はこの日本支部の中でも主戦力だ。  そんな彼が、そして、責任者である翔が、このベフライエンの区画から外に出ていいのだろうか。 「問題ない。伊吹は顔が割れていないし、俺も鷹也もこのあと顔を隠す」  翔が、鷹也と伊吹の手をするりと切り離し、鷹也と自身の手を繋ぎ直し、疑問に明確に答える。  流れるような自然な動作に、鷹也は抵抗する暇がなかった。  というより、抵抗する気がない。 (なんで手を繋ぎ直した?)  翔の行動に疑問はあるが、それでも手を離そうとは思わなかった。  翔の手は温かい。  鷹也と同じくらいの大きさを持つ翔の手は、鷹也の手に吸い付くようにぴたりと重なっている。  肌が触れ合っていると、妙な安心感があるのだ。  出会った当初、ずっと手を繋いでいたときの刷り込みだろうか。  それとも、パーフェクトマッチの相手だからだろうか。 (ま、いっか)  翔が手を繋いできたということは、おそらく翔もこの妙な安心感を抱いているはず。  仕事で多忙な翔だ。  少しは癒しになっているといいのだが。   「俺たちを待っていたら遅れるだろ。俺たちは準備してから行くから、伊吹は先に行って」 「はぁい。お待ちしてます」  伊吹は手を切り離されたときは目を丸くしていたが、すぐに口元をにやりと緩める。  その緩んだ表情のまま、伊吹は隠されたエレベーターに乗り込んでいった。    それを見送った鷹也は、翔に視線を投げかける。 「で、顔を隠すってのは?」 「帽子やウィッグ、眼鏡とかでな」 「え、それだけ?」 「意外と誰だかわからなくなるぞ」  手を引かれて座らされたのはドレッサーの前だ。  翔はドレッサーの引き出しからダークブラウンのウィッグを取り出し、鷹也の頭に被せる。  緩く波を打つミディアムロング。  おまけとばかりに銀縁の丸眼鏡をつければ、一見すると鷹也でさえ自分だと判別できない別人が鏡に写っていた。   「うわ、本当だ」 「絶対警察官……というか、鷹也だとは思われないだろ?」 「だな」  こんな髪型と眼鏡をした男性を街中でよく見かける。  だが、この格好で出勤したら速攻で上司に呼び出されて叱責を喰らう。  幼少期から現在に至るまで短髪を貫いてきた鷹也にとって、頬にかかる髪の感覚は新鮮だった。  翔はキャップ帽に薄めのサングラスをかけただけ。  それでも、顔は十分に隠れる。  用意ができた二人は、伊吹が言う上のレストラン――正確には「フクロウの森」という――に向かった。  名前に因んでいるのか、レストラン内は背の高い観葉植物で通路や席が区切られている。  だから、鷹也も翔も視線を気にせずに歩くことができた。  着席したのはベフライエンのために常に空けられている席だ。  レストランの端にあり、かつ、窓際にあたるそこからは、昼下がりの光を反射した海が眺めることができた。 「お待ちしていました。ご注文はいかがなさいますか?」  着席してすぐ、人当たりの良い笑みを浮かべた伊吹が注文を取りに来た。  きっとどこかで待機していたんだろう。  綺麗な所作でメニュー表を開く伊吹は様になっていた。 「俺はケーキセット。チーズケーキとホットコーヒーで」 「俺は……」  鷹也は翔に続いて注文しようとした。  が、メニューの豊富さに目移りしてしまう。  どのケーキも煌びやかで美味しそうだ。 「えぇ……と、どうしよう」 「俺のおすすめはこれ」  視線を右へ左へと彷徨わせてメニュー表を眺めていると、にゅっと翔の指が伸びてきた。  その指先が示したのはチョコレートケーキだ。  翔が勧めてくるだけあって、とても美味しそうに見える。 「鷹也って子供舌っぽいし好きそう」  伊吹が揶揄を含んだ声で囁く。  仕事中だから、紳士を崩さないようにしているのだろうか。  それでも、むふふと口元も動かしている顔はねずみを痛ぶる猫のように見える。   「うわ、なんかムカつく」 「それは当たってるってこと?」 「そうだよ。このチョコレートケーキとホットコーヒーを頼む」 「かしこまりました」  伊吹は綺麗な一礼を披露すると、静かに席を離れていった。  その後ろ姿は、乗客の意識を虜にする優雅なものだ。 「なぁ、なんで伊吹は顔を隠していないんだ?」  伊吹が乗務員の制服を着た姿を見たときから引きずっていた疑問。  鷹也の首が自然と傾く。   「ああ、それな。今の顔が日本のタワーに知られていないからだ」 「今の顔?」 「ああ。詳しくはこのあと本人が話すだろうから待ってろ」  そう言うと、翔は窓の外の海を眺めた。  鷹也も頷いて同意する。  伊吹のことは本人の口から聞くのが筋というものだ。  昼下がりの「フクロウの森」は人が少なく、観葉植物の奥から聞こえてくる話し声は木々のざまめきのようで、ゆったりとした時間の流れを感じる。 (なんか、久しぶりかも)  ベフライエンに来てからは、正確な世界の形を確かめようと気が急いでいた。  子どもたちと触れ合い、翔たちとくだらない話をする時間もあったが、どうしても仕事をしているような感覚が抜けなかった。  あの閉鎖空間から抜け出したのが解放感に繋がったんだろうか。  ふぁ……と自然と浮かんだ欠伸を噛み殺すことなく発散させる。   「お待たせしました」  音も立てずにケーキとコーヒーを持ってきた伊吹はトレーをテーブルに置いた。    鷹也の前に置かれたチョコレートケーキ。  正方形の生地の上にはたっぷりのチョコレートクリームが盛られ、いちごが散りばめられている。  翔の前には上品な艶のあるチーズケーキが置かれてた。   「待ってない。早いな」 「人が余ってるんですよ」 「楽できるな」 「暇も暇で大変なんですよ?」  翔の「楽ができる」発言に苦笑いを浮かべた伊吹は、指定された待機場所に戻るのが嫌そうだ。  それなら、と鷹也が伊吹を見上げると、伊吹は思い出したように目を瞬かせた。 「あ、そうだ。俺のことね」 「今のでよくわかったな」 「そりゃあ、ここに誘ったのは俺だし? 聞かれるってわかってたし、言うつもりだったからさ」  周りを見渡した伊吹は、小さく頷いて話してもいい環境であることを示した。  翔は納得したが、念の為と言ってコーヒーを飲みつつ、辺りを警戒している。 「俺は三歳のときに嗅覚のセンチネルをプレゼニングしたんだ。でも、三歳なんて説明したってほとんど理解できないだろ? ガイドも近くにいないしで、タワーに預けられて育ったんだ。それでも、ゾーンに入りかけてはガイディングを受けての繰り返しだったけどな」 「三歳って、早すぎじゃないか?」 「他国でもいくつは症例はあるらしい。でも、すぐゾーンに落っこちるのは体に負担らしくて、そういう人らは短命の傾向にある」 「は……? なんだ、それ。伊吹は今……」 「三十六。まあ、生きてる方じゃない?」  カラカラと笑う伊吹に悲壮感はない。  諦めているわけではないが、納得はしている。  そんな感じだ。  ズク……と胸の奥が鈍く痛む。  どこからどうみても健康な伊吹が短命の宿命にある。  それが、信じられない。  信じたくない。 「おいおい、鷹也がそんな顔する必要ないって。大丈夫。内海先生からは健康優良児のお墨付きもらってるから。今のところはね」 「一言多いな」 「本当のことだからね。んで、タワーでもしょっちゅうゾーンに落っこちそうになるから割と早い段階で見切られて研究棟送りになったんだけど、そこでも体力がないからってお払い箱。当時のタワーは詰めが甘くて、被験者は殺されずに土に埋められてた」 「生き埋め……」 「っていうのがタワーの上層部が信じている処理方法。実際は、生き埋めを命じられていた職員が瀕死の能力者をベフライエンに引き継いでいた。俺もそれで助けられたってわけ」  つまり、タワーは伊吹が生きていることを知らない。  伊吹が顔を曝け出して働けているのは、伊吹が死んだものとされているからだ。 「親御さんは、伊吹が生きていることは?」 「当然知らない。タワーは骨まで再現した精巧な人形を遺体として家族に渡しているらしい。俺は戸籍も抹消された動く死体さ」 「帰りたいとは思わないのか」 「愛された記憶は朧げだけどある。でも、今帰っても家族がタワーに追い回される。それなら、帰らない方がいい。それに、俺には櫂がいるからね」  だから、櫂に手を出すな。    ふわりと柔らかな笑顔に、一瞬の鋭さが突き刺さる。  あまりの迫力に、鷹也はごくりと唾を飲み込んだ。 「もちろん」 「よろしく。では、ごゆっくり」    どこか含みがある「ごゆっくり」だったが、今はそれどころではない。  伊吹の背中が見えなくなった途端、鷹也は翔に助けを求めた。 「なぁなぁなぁって! あれってどっちのこと⁉︎ センチネルとして? 恋愛的な意味として?」 「ん? どっちもだな。ボンドも結んでいるし、恋愛的な意味で交際もしている」  のんびりとチーズケーキを口に放り込む翔はすでに知っていたようだ。  よくよく考えれば、翔は責任者であるから、知っていて当然だ。  動揺している様子はまったくない。    ないのだが、気まずそうに流れていく海の景色へと視線を移した。  このことを鷹也に知らせていなかったのが申し訳ないんだろう。  そもそもの前提として、センチネルとガイドがボンドを結び、かつ交際関係にあるのは稀だ。  小説やドラマなど架空の世界ではよくある設定だが、そもそも能力者の数は人口の約三割。  いくらプレゼニングした能力者がタワーで共同生活を送ることになっているとしても、タワーから自立後、疎遠になることがほとんどだ。  さらに、センチネルを日常的にケアするガイドはタワーから派遣されることもあり、センチネルとガイドが出会うことも、そこから恋愛関係に発展することも確率として低い。    例外は能力者が必要と認められる公安系の職業くらいだが、職務上、ガイドがセンチネルとボンドを結ぶことはない。  鷹也とともにSATで勤務する米田と金城ですら仮パートナーで、かつ二人とも既婚者である。    それくらい、能力者がボンドを結んでいて交際関係にあるのは珍しい。  だから、鷹也は伊吹の牽制に驚いたのだ。 「どっちも? いや、それは自由だしなんとも思わないんだけどさ……。俺、牽制されるようなことした?」 「してないから安心しろ。伊吹は新人全員に牽制してる。いつものことだ」 「マジ?」 「マジ。付き合い始めたときも俺含め全員に牽制しまくってな。櫂からめちゃくちゃ怒られて、今は櫂がいない場所でこっそり釘刺して回ってる。今みたいにな」 「うわぁ……」  伊吹の櫂に対する愛情の重さを感じる。  米田が金城に向けていた感情よりも重く熱いように思えた。  それほどまでに、ボンドを結んだ能力者の絆は強いのだ。    憧れていた能力者のボンドと恋愛関係。  実際は想像の百倍くらい重く、口にしていたチョコレートケーキが甘ったるく感じる。  コーヒーを口の中で転がすと、幾分かすっきりした。 「ほら、口直し」  目の前に差し出されたのは、フォークの腹に載ったチーズケーキだ。 「いいのか?」 「いらないなら俺が食べるが?」 「いる。ありがとう」  翔なりの気遣いだ。  鷹也は遠慮なくチーズケーキを頬張った。  程よい甘さと爽やかな酸味が口内に広がる。    チーズケーキもチョコレートケーキも、自然と口角が上がるくらい美味しい。  またこうして、翔とケーキを食べられるだろうか。 (次の機会が来るまで、俺はここにいるのか?)  世界の輪郭はまだ掴めていない。  思考が沈むと同時に視線も下を向く。  コーヒーは表面に湯気を揺らしている。  未来はまだ、見えてこない。

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