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第34話 精神世界の底にあったもの

 足元は柔らかな草が生えている。  その中で、存在を主張するように白く小さな花が凛と咲いていた。 「ここが精神世界……」 「人によって景色は変わるけど、だいたい綺麗なところばっかりかな。あ、お邪魔します」 「えっあ、どうぞ?」  疑問系になったのは、鷹也自身が自分の精神世界だという実感がないからだ。  春のような日差しに、風に吹かれた木々のざわめき。  息を吸い込めば草花と土の匂いがする。  空を見上げれば、鷹也のスピリットアニマルが気持ち良さそうに飛んでいた。 (あいつ、現実世界にいない間はここを飛び回っていんだろうな)  それは、とても気持ちがよさそうだ。  鷹也も空を飛んでみたい。  そう願うのは、自然なことに思えた。  雄大な自然をしばし楽しんだ二人は、改めて向き合う。  金城はじっと鷹也を観察したあと、力強く頷いた。 「鷹也を見る限り、シールドは壊れていない。多分、能力は起き抜けにちょっと使ったけど、コントロールできていたんだろうね。そんなに調整もいらないよ」 「そうなんですね。コントロールって、簡単にできるものなんですか?」 「コツを掴めばね。それができてたってことは、プレゼニングしたあと、誰かに教えてもらっていたってことだ。それも、覚えていないんだよね?」 「はい……」  鷹也は肩を落として答えた。  すっぽりと抜けた記憶。  忘れてはいけないと心が叫んでいる。  首を傾げて唸るが、頭に浮かぶのは「わからない」の文字ばかり。 「多分、タワーはそれを知りたがっているんだと思うよ。あと、俺たち警察の上層部も」 「ですよねぇ。でも、本当さっぱりで」 「仕方ないよ。そのうち、だね」  ぽんと肩に手を置かれ、鷹也は力無く笑った。  鷹也にできることはほとんどない。  誘拐現場を見たりするなど、努力することは限られている。  それで記憶が戻らなくても、誰も鷹也を責めたりしないだろう。  鷹也以外は。  自分に負けているようで悔しい。  自分のことなのに、思うようにできない。  胸を焼く焦燥が、歯痒さが、鷹也を苛む。 「ピーー」  キュッと唇を噛み締めたとき、山の奥から甲高い鳴き声が聞こえた。  鷹也のスピリットアニマルである鷹の鳴き声とは明らかに違う。  金城を顔を見合わせる。  彼の顔には、緊張とも興奮とも言えない表情が浮かんでいた。 「今のは……」 「間違いなければ、雄鹿の鳴き声だ」 「なんでわかるんですか?」 「聞いたことあるからだよ!」  金城が山に向かって走り出す。  僅かに出遅れた鷹也は、すぐさま金城に並走した。  なだらかな傾斜の山は整えられたように木と木の間に隙間がある。  木漏れ日が辺りを明るく照らしているため、遮蔽物はあるものの視界はどちらかといえば良好だ。  柔らかい草と適度に落ちた木の葉を踏み、奥へ奥へと駆けていく。  走りながら右へ左へと視線を巡らせ、鳴き声の主を探す。 (なんで俺の精神世界に雄鹿がいるんだ?)  鷹也のスピリットアニマルは鷹で、金城のそれは犬だ。  精神世界に潜っている能力者以外のスピリットアニマルが入り込むなんて、これまで一度も聞いたことがない。  いや、もしかしたら鷹也が知らないだけで、実はままあることなのかもしれない。  それでも、鷹也の隣を走る金城の様子から、それが普通であることは考えにくい。    だからこそ、あの鳴き声の正体を見つけなければ。  不意に、視界の端に青白い影が掠めた。  鷹也のスピリットアニマルだ。  青白い鷹は、鷹也を先導するように森の奥へと真っ直ぐに飛んでいく。 (もしかして、雄鹿の正体を知っているのか?)  鷹也の疑問に是と答えるように、鷹は「ピッ」と短く鳴いた。  その直後だ。  雄鹿は、鷹也たちの前方の木々の間からその影を覗かせた。 「いた!」  鷹也は叫びに、鹿は斜面の下へと逃げていってしまった。  青白い鷹也は素早く旋回し、鷹也よりも先に鹿を追いかけた。  鷹也は足にブレーキをかけ、ズズッと数十センチほど滑ったが、止まると同時に斜面を駆け下りていく。  金城は鷹也の後ろを離れずついてきた。 「おい、待て! 止まれ!」  鳴き声でその存在を知らせてきたのは雄鹿の方だ。  だというのに、逃げるのは何故なのか。  矛盾に満ちたその行動に、鷹也は焦燥を募らせる。  あの雄鹿は、鷹也が忘れてしまった記憶の鍵だ。  勘がそう告げている。  頭の中でけたたましく警鐘を鳴らすほど、それは強いものだ。  走れば走るほど、雄鹿との距離は離されていく。  これでは埒が明かない。  ただ走るだけでは逃げられてしまう。  何かいい方法は……。 (そうだ!)  鷹也は再び急ブレーキを踏み立ち止まった。  あくまでも創作物から得た知識を元にした判断だが、間違っているようには思えない。 「榎本⁉︎」 「ここが俺の精神世界なら、イメージすればなんでもできるんですよね?」 「そうだけど……あ、そうか!」  鷹也の考えは合っていたようだ。  それなら、これ以上無駄に走り回らなくていい。  イメージに集中するため、鷹也は目を閉じる。  あの雄鹿の目の前に瞬間移動する光景。  シュッと消えて、パッと現れる。  大きく息を吸い込み、クッと息を止めて……。 (シュッパッ!)  目を開けると、目の前に雄鹿がいた。  雄鹿は「ピャッ!」と小さく鳴き、慌てたように足を止める。    追いつかれなのなら、しょうがない。    そう言いたげな、どこか諦めたような目は、もう逃げないと鷹也に伝えているように見えた。 「止まってくれてありがとう。俺の精神世界にいるってことは、俺のことを知っている誰かのスピリットアニマルなんだよな?」  確信を持って聞くと、雄鹿はゆっくりと頷くような仕草をした。  鷹也の肩に舞い降りた青白い鷹も、どこか得意気にクルクルと喉を鳴らしている。    鷹也の勘は当たっていたようだ。  心臓が逸る。  ごくりと喉を鳴らし、鷹也は口を開いた。 「教えてくれ。俺に何があったのか。お前は誰のスピリットアニマルなのか」  鷹也の問いかけに対し、雄鹿は鷹也に近づき、頭を鷹也のそれの高さまで下げてきた。  雄鹿の顔を包み込むように手を伸ばす。  鷹也の雄鹿の額がぴたりと密着した。  途端、青い記憶の奔流が鷹也を飲み込んだ。  銭湯帰りに遭遇した誘拐現場。  豪華客船アテナの中にあるベフライエンの潜伏先。  そこで生活する、ベフライエンによって保護された人々。  ベフライエンとして生きると決めた構成員たち。  過去から現在に至るまでの凄惨な研究記録。  離島にある日本のタワー施設への潜入と目の当たりにした非道な研究。  救出活動の最中、向けられた銃口。  守るために手に取った拳銃と、発砲したときに感じた硝煙の臭い。    それから、翔――。  そうだ、翔がいた。  最初は気に食わなくて、反発したくて。  だが、その胸のうちに抱える苦悩を知り、重荷を分かち合いたいと思った。  気付いたときには翔への想いが大きくなり、命の危機に直面して慕情を自覚して、それから流されるようにして体を慰められた。  これからどう生きるか考えている間に豪華客船アテナに別件でガサ入れがあり、行動を共にしようとした矢先、翔から口付けられ、目が覚めたら日本に戻ってきていた。 『自分の道を進め』  あの別れ際に告げれられた翔の声が頭の中に響く。   「ベフライエンに来い、じゃないのかよ」  目尻から流れた涙が頬を伝う。  目を開くと、潤んだ視界で雄鹿と目が合った。  そうだ。  このスピリットアニマルは、翔のそれだ。 「考え抜いて自分の道を選べって言ったのは翔だろ。なんでなかったことにしようとするんだ……」  雄鹿は鷹也の呼びかけに「チィー」と鳴いて応える。  そして、鷹也と目を合わせたまま、青白い光の粒となって消えていった。  雄鹿が姿を消すと同時に視界が開けた。  鷹也の正面には、息を切らした金城が涙ぐんでいる。 「金城さん」 「思い出した?」 「はい。俺は……」  言いかけて、言葉を切った。  果たして、その内容を信じてもらえるだろうか。  いや、それ以前に、話してもいいものだろうか。    唸りながらぐるぐると思考を巡らせていた中、ふと思い出したのは金城が「雄鹿の鳴き声を聞いたことがある」と言っていたことだ。  それはつまり、翔と面識があるということではないか?  翔がベフライエンに入ったのは六年前。  金城がSATに入隊したのは、確かそれより前だと聞いた気がする。  別の班だとしても、どこかしらで関わりがあったのではないか? 「俺は……」  意を決した鷹也は、思い出したすべてを金城に話した。  翔の話をすると、金城はくっと息を詰め、涙ぐんだ。 「もしかして金城さんは、翔と面識が?」 「あるよ。タワーで生活していたときは縦割りのグループで一緒になって、タワーに入所したての翔のお世話係みたいなことをしていたよ。SATではガイド同士だから別の班だったけど、同じ現場に行くこともあった」  金城は遠い過去を思い出すように目を細めている。   「六年前、ベフライエンに連れ去られて消息不明になってから心配してたけど、まさかベフライエンが能力者を助け回っている組織で、翔がそこの責任者だなんてね。翔らしいな」  ふふっと嬉しそうに笑う金城は、まるで翔の兄のようだ。  金城の柔らかな目元がゆるゆると綻ぶ。 「仲良かったんですね」 「まあね。ああ、今のところ、アテナに潜伏していたベフライエンの構成員が捕まったという情報はない。ただ、アテナのオーナーはベフライエンと関係ありってことで、現地捜査局に拘束されている」  金城がもたらした知らせに、鷹也は息を呑んだ。  翔は、あの地域のタワーはまともだと言っていた。  それなら、捜査局も同じと考えていい。  ベフライエンの活動を支援していたアテナのオーナーは心配だが、捜査局はオーナーに対して手荒な真似はしないだろう。   「そうなんですね。教えてくれてありがとうございます。あ……でも、こんな突拍子もない話、信じてくれるんですか」 「もちろん。榎本に嘘をつく理由はないだろ」 「それはそうですけど。自分で言うのもなんですが、洗脳とか」 「ないない。洗脳された人とは反応が違うもん。その証拠に、悩んでいるだろう?」  警察として国民を助けていくのか。  それとも、ベフライエンとして能力者を救っていくのか。  金城には鷹也の迷いはお見通しだったらしい。 「それもあるから、記憶はないふりを続けたほうがいい。特に、タワーの関係者に対しては」 「警察内部にも、誰が敵で誰が味方かわかってからがいいですか」 「うん、迂闊に話すと榎本が危ない。それがあるから、翔は榎本の記憶を封じたんじゃないかな」 「だとしても、やり方が気に食わないです」  翔のやり方は横暴だ。  鷹也に世界の真実を教え、選択肢を提示した。  ゆっくり考えろと言っていたのに、その選択肢どころか元となる世界の真実さえ丸ごと、有無を言わさず鷹也の中に封じた。  翔からすると、鷹也はそんなに頼りなかっただろうか。  胸を穿つような悲しさと、ぐらぐらと腹の奥から込み上げてくる怒り。 「次に会ったらぶん殴ってやる」 「榎本を守りたかったんだろうよ。手加減してあげな」 「守られるのは性に合わないです。……って、殴るのはいいんですか?」 「やる方が気に食わないのは俺も同感だからね。さて、記憶も戻ったし、ガイディングも終わったし。戻ろうか」 「はい」  鷹也は再び目を瞑り、金城とともに現実世界に戻ってきた。  記憶が戻ったことは誰にも言わず、金城もガイディングが終わったことと、異常がなかったことを医師たちに告げるだけに留まった。  そして、鷹也が目覚めた翌日、鷹也はタワーの病棟から退院。  三日間の療養期間後、職務への復帰が決まった。

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