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第35話 陽介の父 

 生田雄介(いくた ゆうすけ)と名乗る男が鷹也の目の前に現れたのは、三日と定められた療養期間の中日だった。  画面がバッキバキに割れたスマートフォン――翔が車の中から外へと放り投げたせいだ――を午前中のうちに買い替え、店でデータ移行が終わった直後だ。  まるで図ったかのようなタイミングに、鷹也の心臓はビクンッと跳ねた。 「記憶がないのは把握しています。それでも、陽介への手掛かりである榎本さんから話を聞きたいのです。そのお礼といってはなんですが、ご自宅までお送りします」    清潔感のある身なりとほのかに香る香水。  その顔は、どことなく陽介の面影がある。  何度かニュースで見たこともある顔に、鷹也は僅かに親近感を持った。  悠然とした態度だが、目には切実な心境が滲み出ている。  鷹也が日本に戻ったことや、個人所有の携帯番号、果てはその行動を調べ上げるまでやったということは、それだけ必死であることの証左だ。  陽介宛てのビデオメッセージでは、日本のタワーが行う非道な研究を知っているようだった。  誘拐に見せかけて、ベフライエンに陽介を託したのは彼自身だ。    生田雄介が真実を知った経緯とその真意。  知りたいと思うのは当然のことだ。  仮にも政治家であるから、簡単には教えてもらえないだろう。  それでも、可能性があるなら踏み込んでいきたい。 「わかりました。お世話になります」  鷹也は生田が運転する白色のセダンに乗った。  国産車の中でもハイクラスのもので、革張りにカスタムされた座席は座り心地がいい。  鷹也が助手席に座りシートベルトを締めると、車はなめらかに走り出した。 「あらかじめ伝えおきますね。この車は外から中が見えない、音が漏れないように加工されています。密談にはとっておきの場所なんです」  鷹也を誘えて嬉しいことを全面に出して笑う生田は、少しばかり緊張が解けたように見える。  きっと、鷹也に会いにくることも、話しかけることも、彼にとっては命懸けだったのだ。  鷹也は、自分が世界各国のタワーや諜報機関から監視されていることを自覚している。  ベフライエンから帰還したのは、鷹也が最初の一人だ。  鷹也の記憶が戻れば、ベフライエンに関する情報が手に入る。  彼らからすれば、それは巨大な金塊よりも価値があるのだ。  ベフライエンから帰還した鷹也。  ベフライエンに子どもを連れ去られた生田。  鷹也の記憶が戻るきっかけとして、細い糸で繋がった二人が接触することを、タワーや世界各国の望んでいたとしたら……?  政治家であり、世界の真実を知る生田が、それに気付かないわけがない。  それでも鷹也に会いに来て、密談ができる環境を用意したのは、陽介のことが心配だからだ。 (陽介をベフライエンに託す豪胆な人だけど、父親として心配するのは当たり前だよな)  環境は整っている。  生田は世界の実情を知っている者であり、彼の心労も十分伝わってきた。  それなら、偽る必要はない。  金城と隠し通すことを決めたが、生田に対して、鷹也はありのままを話そうと判断した。 「実は、記憶は戻っています」  運転席から息を呑む音が聞こえた。  視線を向けた先には、下唇を噛んでいる生田がいた。 「陽介くんは元気です。俺と一緒に資料を読んで、能力者を取り巻く現実を知りました。ベフライエンの活動を理解し、その上で、子どもたちに勉強を教えていました。とても、強いお子さんですね」 「そう、ですか」  生田の声は震えている。  ちらりとその横顔を見ると、泣き笑っていた。  喪失の悲しみの中に、我が子の成長への喜びがある。  鷹也の胸がぎゅっと締め付けられた。  陽介は、いつか生田と再会できるだろうか。  切ない思いが込み上げてくる。   「はい。俺よりしっかりしていて、見習わなきゃなと思っていました」  鷹也は生田を励ますように告げ、陽介とベフライエンで過ごした日々を話していった。  コピの甘さに驚いていたこと。  生き生きと教鞭を取る姿。  時々ジムに来て、鷹也と縄跳び勝負をしたこと。    話しているうち、鷹也も懐かしさが胸に込み上げる。  短い期間で、過ごした時間も翔と比べたら少ない。  それでも、確かに絆ができていたのだ。    生田は、鷹也の話に小さく何度も頷いた。 「本当なら、知り得ることのできない情報です。本当にありがとうございます」 「いえ。当然のことをしたまでです」 「元気にしているならそれでいいんです。タワーに行くよりずっといい」  その言葉に、鷹也はくしゃりと心臓を掴まれた。  生田が世界の有り様を知っている理由。  ベフライエンに連れ去られたあの日からずっと、気になっていたことだ。  それを聞くのは、きっと今だ。 「なぜ、陽介くんをベフライエンに誘拐させたんですか?」 「誰の目から見ても、仕方ないという状況に持っていくしかなかったからです」  生田は、ぎりりとハンドルを握り締める。  そこには、悔恨が滲んでいた。 「生田の家系には、時々ガイドが現れます。陽介もそのうちの一人です。ですが、少し特殊でした」 「特殊?」 「能力検査では陰性しか出ませんでした。ですが、陽介の話から、あの子は四歳のころにはプレゼニングしていたことがわかっています」 「そんなこと、あるんですか?」  鷹也は眉を寄せ、首を傾げた。    能力検査の精度は高い。  鷹也は定期的に行われる能力検査を受けてきたが、今までに能力検査で疑似陰性が出るという話は聞いたことがない。 (いや、でも……)  能力検査では、時にレイタント――未覚醒の能力者――も判明する。  ついこの前プレゼニングした鷹也は、それ以前はレイタントだったということだが、能力検査ではレイタントであるという結果は出たことがない。  とすれば、陽介がガイドであるという検査結果が出なくてもおかしくはない。  そういうことだ。  鷹也の疑問を、考えを、生田は頷いて肯定した。 「数は少ないですが、過去にもそういう方がいたそうです。陽介がガイドだとわかったのは、半年前のことです」 「それまで誰も知らなかったってことですか?」 「ええ。親である私も妻も。プレゼニングした能力者は、高校卒業までタワーで生活をしますよね。それが嫌で、ずっと黙っていたそうです」 「それなのに、なんで……」  陽介は賢い。  親にまで隠していたのであれば、長い間、相当神経を張り巡らせていたはずだ。  慎重に隠していたというのに、何があったのだろうか。  流れていく景色は、少しずつ見慣れたものになっていく。  生田との時間も、あと僅かだ。   「能力者だとわかったきっかけは、陽介の友達です。大学のゼミの研究のために徹夜続きだったセンチネルの友達がゾーンに入りかけたのを見て、ガイディングしたんです。当然、騒ぎになり、タワーにも連絡がいきました。それで……」 「特殊だから、タワーで面倒を見ると言われたんですか?」 「そういうことです。ただ、私は会合で会ったある議員から研究資金の援助をしないかと誘われたときに、タワーの現状を聞きました。そして、能力者を多く輩出する家系の別の議員からは、ベフライエンの真実を。陽介がガイドだとわかったとき、私はその伝手を使い、ベフライエンに陽介の保護を依頼しました。陽介を守るにはそれしかなかったんです」  生田の表情が翳る。  最愛の息子を手放さざるを得なかった悲しみが溢れていた。  そして、その根本的な原因であるタワーへの怒りの熱がジリジリと鷹也の肌を焼く。   「そういうことだったんですね」 「苦渋の決断でした。このことは妻にも伝えていません」 「それがいいと思います。知っていることが増えると、危険も増えますから……」    その証拠に、ベフライエンから帰還した唯一の人間という理由から、鷹也は今この時も絶えず複数の諜報機関から監視されている。  鷹也が記憶喪失のふりをしている間は、おそらく接触してこないだろう。  だが、それが長期化したり、ベフライエンに関することを思い出したとなれば話は別だ。  彼らは、あらゆる手段を使って鷹也を奪取しようとするだろう。    もしどこかの諜報機関に捕らわれたら……。  そのあとのことは考えたくもない。    そう思考を巡らせて、はたと気付いた。  生田が陽介の母でもある妻に何も知らせないのは、 翔が鷹也の記憶と封じた話と通じるものがある。    守りたい相手だからこそ、危険から遠ざける。  それは、大切に思うからこそ当たり前に生まれてくる感情だ。 (翔のこと、責められないな)    翔の手段は強引だった。  腹が立つのは今も変わりない。  けれど、あの緊迫した状況の中では仕方なかった。  今は、そう理解できる。   「いつかまた、会えるといいな」    黙り込んだ鷹也に、生田は独り言を呟いた。  切なる願いは鷹也の胸を締め付ける。  鷹也も、相手は違えど生田と同じ想いを抱えているからだ。    車は静かに、ゆっくりと鷹也が住むSAT隊員の寮の前に横付けされた。  十分にも満たない時間だったが、濃密な時間だったように思える。 「送っていただきありがとうございました」 「いいえ。こちらこそ、急な誘いで申し訳ありませんでした。しばらくは接触を控えますが、いずれまた」 「わかりました。では、失礼します」  あまり長話をすれば、監視者たちが不審に思う。  それは、鷹也も生田もわかっている。  だからこそ、別れ際はあっさりとしたものになった。  車から降り、生田を見送る。  鷹也の予想だが、彼と顔を合わせるのは数年先の話だろう。  それまでに、鷹也は何ができるのだろうか。  見上げた空は憎らしいほどに青い。  鷹也は、同じ空の下、きっとどこかで能力者たちのために奔走している翔に思いを馳せた。

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