37 / 43
第36話 リスタート
警視庁本部の地下にある会議室は、ようやく静けさを取り戻した。
鷹也の職務復帰一日目。
その午前中――今は午後二時だが――鷹也に対する聞き取り調査が行われた。
聞き取り調査といっても、鷹也一人に対し相手は数十人だ。
警視庁や日本のタワーをはじめ、各国のタワーと捜査機関が合同で行ったそれは、鷹也の負担を軽減するためだったのだが。
「疲れた……」
鷹也は長机にぐったりと体を預ける。
聞き取り調査は予定時刻より二時間オーバーで終わった。
途中で休憩時間が挟まれたものの、長時間、椅子に座り、鋭い視線に晒され、おまけに被疑者であるかのように調査……いや、尋問され続けたのだ。
記憶喪失だと前置きはあった。
調査の進行を務めた警視庁総務部の職員も、時系列順に質問を組んでいた。
それに従い、鷹也は「わからない」「覚えていない」を言い続けた。
だが、それで世界中から集まってきた者たちは納得するわけがない。
質疑応答の時間に入ると、聞かれるのはベフライエンに関することばかり。
別組織の者たちが、繰り返し同じ質問してくる。
(事前打ち合わせをしてきたような感じだ。仲がよろしいようで……)
同じ質問をし、鷹也が何か唄うのを誘っているのだ。
どうにかして情報を取ろうとする熱は、鷹也の精神をジリジリと炙っていった。
結局、後方から調査を見守っていた警視総監の鶴の一声で調査は終了。
警視庁所属の仲間たちによって、外部の人間は会議室から追い出された。
同席していた上席の面々が鷹也に労いの言葉をかけて退席し、鷹也はようやく肩から力を抜くことができている。
「お疲れさま。いやぁ、時間通りには終わらせてくれなかったな」
「はい。わかってはいましたけどね」
苦笑しながら缶コーヒーを差し出す杉浦に会釈し、鷹也は熱いコーヒーを体内に流し込む。
鷹也の付き添いとして同席していた杉浦も、無事に終わった調査に安堵の息を吐き出し、コーヒーの缶を傾けた。
香ばしい匂いのする黒い液体に甘みはない。
(今こそコピが飲みたい)
あれだけ甘い甘いと不満を漏らしておきながら、今ではあの暴力的な甘さが恋しい。
都合が良い自分に苦笑しつつ、飲み終わったそれをことりと長机の上に置いた。
昼食をとらずにいたというのに、不思議と腹は減っていない。
その代わり、体がガクガクと震えている。
興奮状態から抜け出せず、極度の緊張から解放された反動だろう。
「今日は俺の奢りだって言ってやりたいんだが、今日の今日だからな。変な奴がちょっかいかけて来ても困るし、しばらくは基地から出せない。単独行動も禁止な」
「ですよねぇ……」
今、単独で基地から出ようものなら、鷹也はどこかの諜報機関に攫われてしまうだろう。
それがわかっているからこそ、杉浦の理不尽とも言える命令に頷いて了承した。
「まあ、予備の休憩室を自由に使えるのは最高です。寝坊しても挽回できるし」
「寝坊前提で話すなって。俺たちも、必要なものがあったら買ってきてやる」
「ありがとうございます」
「てことで、今日はご褒美で超高級焼肉弁当を用意してるぞ」
「え! 聞いてないですよ?」
「サプライズだ。基地で米田たちが腹空かせて待っている。帰るぞ」
「はい!」
前言撤回しよう。
焼肉弁当の話を聞いて、鷹也の腹の虫がうるさく鳴き始めた。
調査という名の尋問で擦り減った精神を癒すのは、美味い料理。
そして、思いっ切り体を動かすことだ。
会議室から退出するついでに捨てるため、杉浦から空になった缶をさりげなく受け取る。
声を掛けられたのは、かたりと音を立てて椅子から立ち上がり、出口に向かおうとしたときだ。
「帰り際にすみません。公安部の手塚です」
鷹也と杉浦の進路を塞ぐように進み出たのは、ダークグレーのスーツをきっちり着こなした男だ。
目尻にうっすらと残る皺は柔和な印象を受ける。
流れるような動作で名刺を差し出されたため、鷹也と杉浦はひとまずそれを受け取った。
『警視庁公安部 手塚 克明』
記載されているのはそれだけだ。
鷹也が所属する特殊部隊は秘匿性が高く、着任の際は人事名簿から氏名を削除される。
家族にも、同じ釜の飯を食ったかつての同僚にでさえ、特殊部隊にいることも、その任務内容も話すことも禁じられている。
それと同等か、あるいはそれ以上に身分を秘匿しなければならないのが公安部だ。
彼らはテロリストから国を守っている。
光の当たらない場所から、密かに。
だからこそ名刺の記載は最低限である。
それ以前に、名刺を持っていたことすら驚きだ。
「お疲れさまです」
このタイミングで声をかけてきたということは、鷹也や杉浦よりも階級が上であることは容易に想像がつく。
自然と、鷹也の背筋が伸びる。
「ああ、楽にしてください。ベフライエンに拉致された前後のことを覚えていないことは承知しています。ただ、上が確認しろとうるさくて……」
苦笑した手塚が胸ポケットから取り出したのは一枚の写真だ。
それを差し出され、鷹也の心臓が跳び上がった。
整えられた清潔感のある黒の短髪。
切れ長の一重。
高さのある鼻。
紺色の制服を着た彼は、意志の強い視線でこちらを貫いてくる。
(翔の写真だ)
鷹也の記憶より少し若いが、写真に写っているのは間違えようもなく翔だ。
過去の写真でも、翔を見られたことが嬉しく、懐かしさが胸に広がる。
それと同時に、初めて見る翔の警察官の姿に胸が高鳴る。
だが、そんな反応は表に出せない。
手塚は柔和な笑みを浮かべていながら、鷹也に鋭い視線を向けている。
鷹也の表情が一ミリでも動くのを見逃さない。
強い意志が伝わってくる。
鷹也は自然な表情を意識し、首を傾げる。
「この人が、どうかしましたか?」
「見覚えはありませんか」
「はい、今まで会ったことはありません。もしかしたら庁舎内ですれ違ったことがあるかもしれませんが……」
鷹也は曖昧に濁してその場を乗り切ろうとする。
(なんで公安部が翔のことを聞いてくるんだ?)
翔はベフライエンに拉致され、未だ行方がわからない被害者だ。
鷹也と同じくベフライエンに拉致された被害者だと明言してもいい。
それなのに、湾曲的に聞いてくるのは何故だ。
まさか、翔がベフライエンに与していることが知られているのか。
だから翔と接触した可能性がある鷹也に聞いてきたのだろうか。
それなら、尚更気取られるわけにはいかない。
先程の返答は上手く誤魔化せていただろうか。
鷹也の緊張は聞き取り調査よりも強い。
手のひらにじわりと滲む。
早く終われ。
そう強く念じていると、手塚はあっさりと引き下がった。
「そうですか。ご協力ありがとうございました。もし何か思い出したら、特殊部隊隊長経由で教えてください。では」
手塚は現れたときと同様に、静かにその場を後にする。
その後ろ姿が見えなくなるまで、鷹也は満足に息ができなかった。
陸に打ち上げられた魚が海に戻ったように、鷹也は大きく息を吸う。
「榎本、大丈夫か?」
渡された名刺を鞄に仕舞った杉浦が、少し低い位置から鷹也の顔色を窺ってくる。
その顔には心配の色が浮かんでいた。
そんなに酷い顔をしているのだろうか。
杉浦には、鷹也がベフライエンに連れ去られたときから心労をかけてしまっている。
これ以上、彼の荷物を増やしたくない。
「大丈夫です。公安の人と話したから緊張しちゃって……」
「そうだよなぁ。俺もびびったよ」
杉浦は参ったと言わんばかりに頭を掻いた。
どうやら彼にとっても、手塚との会話は負荷が強かったようだ。
「でも、これ以上足止めしてくる奴はいなさそうです」
現に、鷹也に声をかけてくる者はいない。
「だな。安心して飯が食えるぞ。さあ、帰ろう」
「はい」
鷹也は、杉浦に続いて会議室を出た。
聞き取り調査に来ていた他国のタワーや捜査機関は、総務部の職員によって早々に庁舎外へと追い出されている。
廊下を歩いていても、鷹也を気にするような素振りをする職員はいない。
鷹也が特殊部隊隊員であることや、ましてやベフライエンから拉致されたということは、ごく一部の人間しか知らないのだ。
(快適だ)
だが、もっと快適なのは、これから向かい、今日から寝泊まりするSATの基地だ。
そこには苦楽を共にした仲間がいる。
ついでに、高級焼肉弁当も鷹也を待っている。
鷹也の心は、少しばかり弾んでいた。
今のところ、ベフライエン関係者が拘束されたという話は警察組織内にいても耳にしない。
きっと、翔たちは無事なのだ。
(大丈夫、大丈夫だ)
心の中で何度も繰り返す。
手塚から向けられた、翔に関する問い。
それによって胸の内に生まれた不安を掻き消すように。
ともだちにシェアしよう!

