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第43話 究極のガイディング

 痛みはなかった。  あるのは、被弾した衝撃。  防弾衣に着弾した弾丸は、その勢いで翔の体を押し倒した。  一瞬の隙。  一瞬の敗北。  一瞬の、別離。  途切れたガイディング。  その一瞬が、鷹也から手を離した時間が、暴走の始まりだった。  素早く受け身を取った瞬間、音もなく青白い炎が視界を埋め尽くした。  目の前に現れたのは、青白く巨大な鷹だ。 「鷹也!」  それは『野生化』してしまった鷹也の姿だ。 『野生化』は、パートナーのガイドが攻撃された際の過剰反応である。  普通は、最低でも仮の契約を交わしているパートナーに対して起こる反応のはず。 (なんで野生化⁉︎ いや、でも……)  鷹也からの想いには、言葉にされなくてもわかっている。  熱のある視線。  軽快な会話の中にある一瞬の柔らかさ。  ふとした仕草。  そのすべてが、翔を好きだと告げていた。  いつからだったか、鷹也の気持ちには気付いていた。  気付いたのは、先に翔が鷹也を好きになったからだ。  出逢ったときに示された、正義を体現した生き様。  向けられた熱く鋭い視線。  貫かれたその瞬間には、きっとすでに捕らわれていた。  日々を過ごしていくうちに、心の柔い部分に触れていき、何度となく愛おしいと胸の中で呟く。  それだけで幸せだった。  気持ちを打ち明けなかったのは、鷹也にはまだ選択肢があったからだ。  警察官の道。  ベフライエンの道。  苦しませているのなら、いっそのこと……。  そう思って鷹也の記憶を封じた。    鷹也が野生化した今、それはとても理不尽で残酷なことだったと思い知らされた。  ボンドを結んでいないのに野生化するほど、鷹也の想いは強い。  翔を苛むのは、当たり前の罪悪感だ。  だが、感傷に浸る暇はない。  野生化は放っておくとゾーンアウトになる。  ただでさえ、内海の薬でゾーンになっていた。  一刻も早くガイディングをしなければならない。  翔が青白い鷹に手を伸ばそうとして、だが、触れることはできなかった。 「ピシャーー!」 「待て、鷹也!」  鷹也はけたたましく鳴くと、海老原と内海に向かって一直線に飛び立った。  そして、鋭く尖った鉤爪を、容赦なく二人に振り下ろす。 「うわッ……!」 「紀夫さ、ぐ、ぁ……!」  鉤爪が、海老原に覆い被さった内海の背中を抉った。  生々しい赤が白い床に飛び散り、鉄の臭いが充満する。  内海の息を詰める音がした。  それでも、青白い鷹は止まらない。  何度も、何度も。  海老原を狙い、内海に体当たりし、鉤爪で引っ掻く。  翔を傷付けたことは絶対に許さないと、何度も鳴きながら。 「やめろ!」  このままでは内海が死んでしまう。  裏切った、いや、翔たちを騙してきたことは許せない。  だが、幾度となく能力者を救出する現場に出向き、彼らを救い上げたのは紛れもない事実。  敵に回ったからと言って、彼が死んでもいいとは思えなかった。    海老原に対しては、これまでしてきた凶行を考えるとなぶり殺しにしてやりたいくらいだ。  だが、それでは意味がない。  彼の蛮行を日の下に晒し、然るべき裁きを受けさせる。  そのために、翔がたちベフライエンは活動してきたのだ。  なにより、鷹也を止めたかった。  誰かを傷つけると、自分にもその傷が跳ね返ってくる。  肉体は無事でも、心には深く爪痕を残したまま、この先ずっと痛みを抱え続ける。  ましてや、相手は内海だ。  顔見知りをその手で傷つける痛みは想像より痛いはず。 「鷹也! 俺は無事だ! 止まれ!」  翔は駆け出した勢いのまま、荒ぶる青白い鷹の背に乗った。  必死にしがみつき、振り落とされないようにバランスを取りながらガイディングを始める。  触れたところから流れ込んでくるのは、鷹也の感情だ。    半身を失った悲しみ。  半身を奪われた怒り、憎しみ。  負の感情が渦巻き、濁流となり心を、体を掻き乱している。    融解するほどの熱とも、凍りつくほどの冷たさともとれる激情は、翔の心にも傷を作っていく。  翔が感じる痛みがこれほどならば、鷹也が抱える痛みはもっと強い。  触れただけでは、今の鷹也に翔の声は届かない。  粘膜同士の接触が望ましいが、そんな余裕はあるわけない。  だから、今は、今出来る最善を尽くす。  翔は青白く揺らめき、けれど不思議と実態のある鷹の背に唇を寄せた。  柔らかく熱いそこに口付け、心の中で強く叫ぶ。 (戻ってこい、鷹也!)  *  目の前が青白い怒りに支配された。  翔を失った悲しみを喰らい尽くす怒りと憎しみは、鷹也の心を飲み込んだ。  暴れ出した激情は、もうコントロールできない。  青白く、閉じた空間は空虚だ。  そこで鷹也は喪失と怒り、憎しみを胸に抱き、全身に走る痛みに喘ぎ蹲っていた。 「あ……ああ……いや、だ……」    大切だった。  重荷を分け合い、いずれはその重荷さえなくしてやりたかった。  守りたかった。  愛していると、伝えたかった。  もう二度と、翔の温もりを感じることはできない。  話すことも、触れ合うことも、もう二度と叶わない。  悲しい。  苦しい。  会いたい。  もう一度、翔に会いたい。  ……すべては海老原のせいだ。  あいつが翔を奪った。    憎い。  憎い憎い憎い憎い憎い!  絶対に許さない!  青白い空間に黒いシミが落ちた。  それは、じわりじわりと広くなり、やがてすべてを覆い尽くした。  闇に染まったそこは自分の手さえ見えない。  体に纏わりつく闇は、暗い深淵へと鷹也を沈めていく。 「た…………たか……」  痛みの中で、幻聴が聞こえる。  どこか翔の声にも聞こえるが、一瞬の期待は理性が打ち砕く。  翔は目の前で凶弾に倒れた。  あの距離だ。  助かるわけがない。  これは都合のいい幻聴だ。  だが、声は段々と鮮明かつ大きくなってきた。 「鷹也……鷹也……!」  声がするのは上だ。  痛みに耐えながら見上げると、今にも闇に塗りつぶされそうな光の粒があった。  まるで、宇宙にたったひとつ残された星のように。 「かける……翔……!」  息を吐くと胸が軋み、そして、溺れたように満足に酸素が吸えない。  それでも痛みを振り解き、届かない星に手を伸ばす。 「翔!」  会いたい。  抱きしめたい。  もう一度、掠めるだけでもいいからあの温もりに触れたい。  強く願えば願うほど、体が光に吸い寄せられるように浮上する。  太陽のように暖色を含んだ光は段々と強くなり、呪いが解けたように痛みが引いていく。  眩しさに目を眇めたとき、光の中に、こちらへと伸ばされた手を認めた。  それは、紛れもなく翔の手だ。 「翔!」  幻でもいい。  鷹也は光の中にある手を強く握った。  すると、ぐんっと体が引き上げられていく。  光が目の前に迫る。  眩しくて目を開けていられない。  ギュッと目を閉じた瞬間、水面から飛び出したように、一気に体が軽くなり、肺に酸素が入ってきた。

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